ヴォーリズ建築で知られる大丸心斎橋店本館が今年いっぱいで
大改装、来年初めから建て直し工事に入るという情報を知り、
えらいこっちゃ見とかな・・・と思い、行ってきました。
11月14日だったので、御堂筋の銀杏並木もまだこんな状態。
実は私、大阪の市街地をクルマで走るのは苦手。
あまり来ることがありません。大阪の学校に通っていたことも
あるのですが、その頃は電車だったしね。
それに淀屋橋と梅田くらいしかうろうろしなかったし・・・
考えたら大丸心斎橋店は初めてかも。
相変わらず駐車場は屋上が好き。(^_^ゞ あれ何やねん?
ここはどこやねん、みたいなものも見れるしね。
こんな細い路地があった、何か楽しそう♪「風呂小路」やて。
風呂工事? 袋小路でもなく、抜けると・・・
御堂筋~!
ででぇ~んと大丸心斎橋店がッ!
建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表作のひとつで、
1933年に完成した「大正モダン建築」。
この景観は見納め?外観は保存するということだが、どうなることか。
重厚なネオ・ゴシック様式。幾何学模様や動植物を抽象化した図柄を
基調としたアール・デコの装飾を至る所に採り入れている。
北西角の塔は同時代のエンパイアステートビルを彷彿とさせる。
とりあえず、ぐるっと回ってみることにします。
(左)塔の部分を見上げるが、肝心のてっぺん部分が見られない。
(右)ネオ・ゴシックスタイルのランタン。
ここだけ切り取るとアメリカかヨーロッパのようです。
御堂筋側エントランス上部の装飾、花崗岩とテラコッタによる
手の込んだ幾何学模様が美しい。
創業1717年の銘板が懸けられている。享保2年、徳川吉宗の時代。
京都伏見に古着商「大文字屋」を開業したのが始まり。
1912(明治45)年にはデパート形式の京都大丸が開店してた。
京都では大丸百貨店を呼ぶとき「大丸さん」とさん付けにして呼ぶ、
理由は何だっけな?災害か何かの際、市民を救済すべく店の前で
炊き出しをしたとか・・・
大丸創業者の経営理念は「先義後利」。天保の大塩平八郎の乱の時、
「大丸は義商なり。これを侵すなかれ」として大丸は焼き討ちを
免れたといいます。京都人には根強く大丸信仰が残っているかもね。
高島屋も京都が創業の地なんだけどね・・・
そうそう、さん付けでなくても大丸京都店とは呼ばないかな
「京都大丸」って呼ぶ。これも京都人らしいところかも。(^_^ゞ
御堂筋中央玄関、もう少し上を見ると
大丸のシンボル、孔雀のレリーフが。そして、鷲とペリカンの彫刻。
なんでペリカンなんやろ・・・?
正式な大丸の社章は「七五三」と知られています。
創業当時の大丸の屋号は「大文字屋」と言うこともあり、当時から
「大」の字を使っていました。「大という字は、一と人を合わせた
もので、丸は宇宙・天下を示す」ことから、天下第一の商人であれ
という創業者の志と決意が込められたものと伝えられています。
大丸マークは、1913(大正2)年に、縁起のよい七五三の髭文字を
商標登録したということです。
「一」の左が三本、「人」の左下が五本、右下のはねが七本に
分かれています。
大丸の社章の左右には「イソップ寓話」をモチーフにしたと思われる
「ウサギとカメ」。ヴォーリズ建築における「ウサギとカメ」は、
滋賀県の豊郷小学校のものが有名ですね。
南西門を曲がって清水町筋へ。
それにしても色んな意匠が見られる、これをどのように保存するのか?
1945(昭和20)年の大阪大空襲で焼失した部分の修復やその後の増築
など同店は何度かの修復・改装を経ているが、一貫してヴォーリズの
デザインを尊重し、守ってきた。
今後もその方針は変わりません。いかなる改装があっても
それは継承していくことになっています。
と言うことなので、お手並みを拝見したいものです。
〈南玄関〉
さて、これが心斎橋筋かな。アーケードが邪魔をして
残念なことに上が見えない・・・
〈心斎橋筋中央玄関〉
こちらのファサードには印象的な孔雀、大丸のシンボル
ピーコックのレリーフが輝いています。
当初ヴォーリズからは、焼失した店舗再建の願いを託して
不死鳥フェニックスでという指示が出ていた。ところが
テラコッタを受注していたアメリカのメーカーは愛と幸福の
象徴である孔雀を提案し、それが採用されたのだそうです。
北側、大宝寺通りから塔を見上げたけれどやはり無理がある。
〈北玄関〉
一応ぐるっと回ったけれど、見れなかったり見落としたり
しただろうな。それでもまずは納得。ヴォーリズ建築を
堪能できたと思います。
それでは次回、店内編を・・・
2015.11/14、大丸心斎橋店にて。
大改装、来年初めから建て直し工事に入るという情報を知り、
えらいこっちゃ見とかな・・・と思い、行ってきました。
11月14日だったので、御堂筋の銀杏並木もまだこんな状態。
実は私、大阪の市街地をクルマで走るのは苦手。
あまり来ることがありません。大阪の学校に通っていたことも
あるのですが、その頃は電車だったしね。
それに淀屋橋と梅田くらいしかうろうろしなかったし・・・
考えたら大丸心斎橋店は初めてかも。
相変わらず駐車場は屋上が好き。(^_^ゞ あれ何やねん?
ここはどこやねん、みたいなものも見れるしね。
こんな細い路地があった、何か楽しそう♪「風呂小路」やて。
風呂工事? 袋小路でもなく、抜けると・・・
御堂筋~!
ででぇ~んと大丸心斎橋店がッ!
建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表作のひとつで、
1933年に完成した「大正モダン建築」。
この景観は見納め?外観は保存するということだが、どうなることか。
重厚なネオ・ゴシック様式。幾何学模様や動植物を抽象化した図柄を
基調としたアール・デコの装飾を至る所に採り入れている。
北西角の塔は同時代のエンパイアステートビルを彷彿とさせる。
とりあえず、ぐるっと回ってみることにします。
(左)塔の部分を見上げるが、肝心のてっぺん部分が見られない。
(右)ネオ・ゴシックスタイルのランタン。
ここだけ切り取るとアメリカかヨーロッパのようです。
御堂筋側エントランス上部の装飾、花崗岩とテラコッタによる
手の込んだ幾何学模様が美しい。
創業1717年の銘板が懸けられている。享保2年、徳川吉宗の時代。
京都伏見に古着商「大文字屋」を開業したのが始まり。
1912(明治45)年にはデパート形式の京都大丸が開店してた。
京都では大丸百貨店を呼ぶとき「大丸さん」とさん付けにして呼ぶ、
理由は何だっけな?災害か何かの際、市民を救済すべく店の前で
炊き出しをしたとか・・・
大丸創業者の経営理念は「先義後利」。天保の大塩平八郎の乱の時、
「大丸は義商なり。これを侵すなかれ」として大丸は焼き討ちを
免れたといいます。京都人には根強く大丸信仰が残っているかもね。
高島屋も京都が創業の地なんだけどね・・・
そうそう、さん付けでなくても大丸京都店とは呼ばないかな
「京都大丸」って呼ぶ。これも京都人らしいところかも。(^_^ゞ
御堂筋中央玄関、もう少し上を見ると
大丸のシンボル、孔雀のレリーフが。そして、鷲とペリカンの彫刻。
なんでペリカンなんやろ・・・?
正式な大丸の社章は「七五三」と知られています。
創業当時の大丸の屋号は「大文字屋」と言うこともあり、当時から
「大」の字を使っていました。「大という字は、一と人を合わせた
もので、丸は宇宙・天下を示す」ことから、天下第一の商人であれ
という創業者の志と決意が込められたものと伝えられています。
大丸マークは、1913(大正2)年に、縁起のよい七五三の髭文字を
商標登録したということです。
「一」の左が三本、「人」の左下が五本、右下のはねが七本に
分かれています。
大丸の社章の左右には「イソップ寓話」をモチーフにしたと思われる
「ウサギとカメ」。ヴォーリズ建築における「ウサギとカメ」は、
滋賀県の豊郷小学校のものが有名ですね。
南西門を曲がって清水町筋へ。
それにしても色んな意匠が見られる、これをどのように保存するのか?
1945(昭和20)年の大阪大空襲で焼失した部分の修復やその後の増築
など同店は何度かの修復・改装を経ているが、一貫してヴォーリズの
デザインを尊重し、守ってきた。
今後もその方針は変わりません。いかなる改装があっても
それは継承していくことになっています。
と言うことなので、お手並みを拝見したいものです。
〈南玄関〉
さて、これが心斎橋筋かな。アーケードが邪魔をして
残念なことに上が見えない・・・
〈心斎橋筋中央玄関〉
こちらのファサードには印象的な孔雀、大丸のシンボル
ピーコックのレリーフが輝いています。
当初ヴォーリズからは、焼失した店舗再建の願いを託して
不死鳥フェニックスでという指示が出ていた。ところが
テラコッタを受注していたアメリカのメーカーは愛と幸福の
象徴である孔雀を提案し、それが採用されたのだそうです。
北側、大宝寺通りから塔を見上げたけれどやはり無理がある。
〈北玄関〉
一応ぐるっと回ったけれど、見れなかったり見落としたり
しただろうな。それでもまずは納得。ヴォーリズ建築を
堪能できたと思います。
それでは次回、店内編を・・・
2015.11/14、大丸心斎橋店にて。