カッパのロードスター

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路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

築城400年、城主はにゃんこ?

2009-03-18 18:00:19 | おしろ
彦根城 別名:金亀城(こんきじょう)国宝・重要文化財など




屋形船乗り場 馬屋

築城400年祭を去年に終えた、往時の姿をそのまま残す希少なお城でもあります。
関ヶ原合戦に功のあった井伊直政は、徳川家康から近江国石田三成の旧領十八万石を与えられ、
落城した三成の佐和田山城は使い物にならず、この中世山城を修築することなく
新たに鉄砲戦に適した近世城郭の築城を目指した・・・が、
関ヶ原で受けた鉄砲傷が癒えず没した。かわって嫡男の直継(のちの直勝)が
父・直政の意志を継いで築城にあたった。

この地は中山道と北陸道(北国街道)が合流、京への水路もある交通の要所。
関ヶ原も近いですがこれまでも上洛、天下を盗るに重要な拠点でもあり
織田信長は長浜に羽柴秀吉、和田山に丹羽長秀を配したし、秀吉が天下を盗った時も
譜代筆頭の石田三成を、そして家康も同じく譜代筆頭の井伊直政を配し、
彦根城築城にあたっては、幕府の総力を上げて支援した。


内濠と大手門橋



城の形式は連郭式平山城。琵琶湖畔の小高い丘、亀山に造られている。
また、現存例の少ない倭城築城の技法である「登り石垣」が良好な形で保存されている。





大手門と表門からの道が合流する要(かなめ)の位置に築かれた櫓(やぐら)は
天秤櫓(てんびんやぐら)と呼ばれ、堀切(ほりぎり)には廊下橋という橋が架かってます。
この城の特徴的な見どころでもあり、構造的にもこの橋を渡らないと櫓の石垣を登らない限り
本丸へとは侵入できないようになってます。



天秤櫓の中は意外と広く、見晴らしもイイ。おや?井伊さんが・・・



ケイタイ電話をいじってるようですが・・・?
この真っ赤な鎧兜、戦装束は「井伊の赤鬼」と恐れられた井伊軍の赤備え。
赤備え(あかぞなえ)と言えば、有名なのは甲斐武田の山県隊などの赤備え軍団。
実は武田滅亡後、その旧臣達が井伊直政軍に編入されたことで、伝統にあやかり
全軍を赤備えとしたようです。



ちなみに幕末期、第二次長州征伐で芸州口の先鋒を務めた井伊直憲率いる彦根藩は
赤備えに火縄銃。一方、長州軍は射程距離の長いミニエー銃の遊撃隊による
アウトレンジ戦法。彦根藩は見事に一方的に破れることに。
目立つ赤揃えが格好の標的になったようで
彦根藩は伝統の赤鎧を脱ぎ捨て敗走・・・したようだ。

そう言えば、プロ野球の「赤ヘル軍団」広島カープの新球場の名前が
「マツダ zoom-zoom スタジアム広島」になったようだ。
赤ヘル広島ファンは、新球場開幕をムズムズしながら待ってるのかな・・・





天守は3階3重、規模は小ぶりですが、屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど美しい姿をしています。



階段はお城特有の超急角度、ミニスカートでの見学はご注意・・・



北側には玄宮園という大名庭園があります。



通し柱を使わない積み上げ式の構造で、梁も複雑。
昭和32~35年に解体修理が行われ、それにより元は5層構造のものを移築した
ことが分かり、大津城の天守を移築したものと考えられてます。






着見櫓跡の着見台(つきみだい)からは、三十五万石の城下や琵琶湖が望めます。


さて、次は ひこにゃんに登場してもらおうかな






2009.3/8、彦根城にて。牛蒡積みの石積み、西の丸三重櫓。