
書名「東京美術学校物語」
著者 新関公子 出版社 岩波書店(岩波新書) 出版年 2025
東京芸大の前身、高橋英吉も学んだ東京美術学校の歴史を、「東京芸術大学百年史」という幻の大作を手がかりにたどった一冊。国立という官制の美術大学の足跡をたどることは、当時国がどのような美術をつくるかという本流を生み出すために、葛藤が演じられていたことをたどることでもある。岡倉天心やフェノロサ、黒田清輝や横山大観たちが軸になり、国粋か国際かでしのぎを削っていたことが、小気味いい筆致でたどられる。著者のひとつの思い切りのいい見立てのなか、確かにそうした官制による路線争いがあるなかでも、美術家たちはしなやかに対応していることも描かれていたことが面白かった。例えば文展という官製の展覧会が生まれたことによって、著者はその最大の功績は、「個性的な在野団体を多数生んだこと」に見る。
さらに戦中、根っからの国粋主義者であった横山大観が頂点に立ったことによって、「彩管報国」という行動規範を決め、それによってゆるやかな規制をもうけることになったこと、さらに人事によって敗戦後の芸術教育の強力な体制をつくっていたという見立ては実に興味深い。
戦中の美術学生たちが、自画像をみな描いていたという。無言館で見たあの戦没美大生の描いた自画像が浮かんできた。芸大に保管されているこうした自画像の中に、英吉の描いたものはないのだろうかとふと思った。ただ彼は彫刻科の人間なので、絵は残していないだろう、でも気になった。
朝のウォーキングは杉田緑地まで。途中歩道が真っ赤になっているところが何カ所か。あとで妻に聞くとヤマモモとのこと。

展覧会に提供する資料のひとつがなかなか見つからず、さらに読まなくてはならないと思っていた本も見つからず、かなり大規模にほっくり返しながらの捜し物大会になったが、両方とも見つからず。ついでにいろいろ書棚の周りに適当においていたものを整理。
連載の原稿を3回分アップ。図版もそろえて、夕方には提出。
新聞社の方に問い合わせのメールを出していたのだが、大変親切な返事がくる。戦中サーカスの猛獣が銃殺されたという悲しい事実は、サーカス史の中にやはりきちんと組み入れないといけない。いいことを教えてもらった。この慰霊碑が一関にあるとのことなので、今回は無理だが、訪ねたいと思う。
金曜日に訪ねることになっている松村太郎の関係の方から電話が入る。取材場所を変更してもらいたいとのこと、バスの時間を調べるとこの前とった新幹線とうまく接続してくれそうだ。
15時からオンラインで岡田劇場の社長と近況を尋ねる打ち合わせ。相変わらずしぶとくやっているようだ。石巻学でとりあげるネタについてもヒントをもらう。
いつもより早く夕食を食べ、20時からサーカス学会の総会。今年はオンラインだったが、20人以上の会員さんが参加してくれて、しゃんしゃん決議だけでなく、いろいろな話し合いもできて、なかなかよかったのではないかと思う。学会という定義についてもちょっと考えるきっかけにもなった。あえてサーカス学という定義を決めずにスタートさせたが、自分の中にはサーカスを学問として確立させたいということはもちろんあるが、もうひとつサーカスの愉しさをたくさんの人に知ってもらいたいということもある、設立総会で桑野さんが講演した時の最後の締めの言葉、サーカスを学ぶ楽しさを共にするということが、この会が目指すものだとは思っているのだが。総会だけでなく、いろいろな学会でつくる場で煮詰めていきたい、そんなことを思わせてくれた総会であった。その意味でもいい会になったと思う。
ひとつ大きな山は越えたかな・・・ほっとした。あとは「石巻学」と「サーカス学」をつくることだな。