書名 「まるまる一冊マルセ太郎」
著者 マルセ太郎他 出版社 早川書房 出版年 2001
マルセさんのライブを見たのは、白州のアートキャンプの時にご一緒した時だけ。この本を読んで、改めて見逃してしまったことを本当に悔しく思う。こういうライブこそ見逃してはいけないのに、悔やみきれない。
マルセさんへの追悼という意味の一冊なのだろう。本人が書いた短いエッセイと、対談と回想からなる。メインとなっている山田洋次との対談が、意外につまらなかった。マルセさんは寅さんファンのようだし、山田の映画もよく見ているみたいなのだが、話しがあまりかみ合っていなかった。面白かったのは、マルセさんが所属していた会社人力舎の社長や売れないころ一緒にやっていた人たちが集まった座談会。ストリップとかキャバレーでコントしていたことの話しなのだが、かなり無茶なことをやっていたことがよくわかる。マルセさんと同じぐらい無茶やっていた一人が一色涼太さん。どこかで聞いたことのある話しだなと思っていたら、去年水族館劇場で伊藤裕作と大島幹雄というセリフ覚えの悪いおやじと一緒におやじ3人組のリーダー格だった一色さんではないか。ストリップを舞台にいろんなことをやっていたんだなと感心。
本書を読んで一番胸に沁みたのは、マルセさんの喜劇に対するはっきりとした考え方。
「コメディというのは、人間を典型的に表現することである。
「典型とは何か。端的に言うと、表れるものは特殊で、伝わるものに普遍性があることだと、僕は考えている。その特殊な表現を見つけることが大切である。
例をあげて具体的に言ってみよう。僕はサルの演技を得意にしている。サルが示す様々なポーズや動きの中で、何がサルの典型と考えるか。僕は観客に背を見せたままでひょいと椅子に跳び乗り、後をふる向くのである。そこで観客はドッと笑う。それが最もサルらしい表現だと、観客の潜在意識にあるのだ。つまり普遍性である。よくやりそうな、のみを取ったり、お尻をかいたりの類型的演技では、観客は決して笑わない。
芸人も俳優も根は同じである。典型を見つけるためには、その対象をよく知らなくてはならない。より知ろうとする行為が愛である。それがコメディアンの資質である。」
「典型とは何か。端的に言うと、表れるものは特殊で、伝わるものに普遍性があることだと、僕は考えている。その特殊な表現を見つけることが大切である。
例をあげて具体的に言ってみよう。僕はサルの演技を得意にしている。サルが示す様々なポーズや動きの中で、何がサルの典型と考えるか。僕は観客に背を見せたままでひょいと椅子に跳び乗り、後をふる向くのである。そこで観客はドッと笑う。それが最もサルらしい表現だと、観客の潜在意識にあるのだ。つまり普遍性である。よくやりそうな、のみを取ったり、お尻をかいたりの類型的演技では、観客は決して笑わない。
芸人も俳優も根は同じである。典型を見つけるためには、その対象をよく知らなくてはならない。より知ろうとする行為が愛である。それがコメディアンの資質である。」
クラウンで一番大事なことではないだろうか。