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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

クルーゼンシュテルン日本周航記 一八〇四年~一八〇五年ロシア艦ナジェージダ号長崎・蝦夷地・樺太滞在記

2025-01-19 16:01:07 | 買った本・読んだ本
書名 「クルーゼンシュテルン日本周航記  一八〇四年~一八〇五年ロシア艦ナジェージダ号長崎・蝦夷地・樺太滞在記」
著者 A・J・フォン・クルーゼンシュテルン著(山本秀峰編訳)
出版社 露蘭堂  出版年 2024

レザーノフと共に長崎に来航したナジェージダ号艦長クルーゼンシュテルンが残した世界一周記は、世界的名著として知られ、日本でもいち早く高橋景保が翻訳、そのあとも羽仁五郎がドイツ語から全訳した大著もあるが、決して読みやすいとはいえず、自分も両者の本はもっているが、参考になる箇所だけをつまみ読みしてきただけだったので、こうした新訳で日本の部分だけを全部訳してもらえたのはありがたかった。クルーゼンシュテルンが長崎で見聞し、また伝聞したことを最初から最後まで通読できたことにより、最近また気になっているレザーノフの日本滞在についてに新たに知ることもいくつかあった。
長崎滞在の中で、日本の役人や通訳と実際に面と向かって交渉したのはレザーノフであって、クルーゼンシュテルンはほぼ日本の役人とは没交渉であったことがはっきりした。むしろ彼の日記で興味深かったのは、長崎を出てから樺太までの航海中での記述だった。蝦夷地の根室でラックスマン来航時に対応した役人との会話について、樺太のアニワ湾で出会った日本人との会話などは、いままで不勉強で知らなかったことなので、とても興味深かった。あの役人や日本人を特定した研究はあるのだろうか。特に樺太であった日本人は誰だったのであろう。もうひとつ善六のことを追いかけているものとしては、陸奥湾でナジェージダ号が見たという日本の海賊のような一団について、クルーゼンシュテルンがペトロパブロフスクに戻ってから、善六からこの一団が基地としているところが、陸奥湾にどこかの港町にあるという話を聞くところである。善六がこうした情報をもっていたこと、のちに彼が訳す赤水地図のロシア語訳で、港町の地名をほぼ正確に訳していたことから、もしかしてかなり海運について詳しい人物だったのかもしれないという気がしてきた。
訳者はこの前はこの航海で一緒だったラングスドルフの航海記を訳したり、幕末に来日した外国人たちの紀行記などを意欲的に訳し続けている。こうした地道な研究翻訳は、後世に残る立派な仕事だと思う。ただ今回のようにダイジェスト版を訳す時は、注などで、訳された部分では理解できないところを解説してもらったら良かったと思った。
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昭和が愛したニューラテンクォーター

2025-01-08 16:10:02 | 買った本・読んだ本
書名 「昭和が愛したニューラテンクォーター  ナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス」
著者  山本信太郎    出版社 ディスクユニオン  出版年 2012

図書館で借りたい本があった棚にあった一冊。かつて赤坂にあった東洋一のナイトクラブ「ニューラテンクォータ」の支配人が、ここに出演したジャズ、ポピュラーのスターたちの思い出や舞台裏の話をまとめた一冊ということで、これは読まないとということで借りた。このナイトクラブの話は、ここにいわゆる色物のタレントの招聘担当をしていたキョードー東京の内野二朗さんから聞いていたが、いまでは信じられないような素敵なショービジネスの世界があったことにワクワクしながら、楽しく読ませてもらった。今年は昭和100年らしいが、日本が高度経済成長をつづけていたよき昭和の時代を象徴する場であったナイトクラブに、それこそきら星のようなスターたちが300人の客だけのために歌や演奏をしていたというのは夢のような話である。こんな時代に呼び屋の仕事をしたかったなとつくづく思う。自分もバブル期の最後の時代にダスキンが経営したサーカスレストランの仕事を3年ほどやらせてもらったが、ニューラテンクォータに比べたら、スケール感からいえばまったく小さなもの、比べようがない。親しくさせていただいている三協プロモーションの佐藤さんも、この本に登場して、若かりし頃レビューショーを招聘していたことがでてきて、へぇーと思ったりもした。いまもブルーノートにはビックスターが数少ない客相手ライブをするスペースがあるらしいが、ニューラテンクォータとは、また違うものだろう。ナントクラブならではの魅力がニューラテンクォーターにはある。著者にはもう一冊、ここで刺殺される力道山の話などが書かれた「東京アンダーナイト」という本もあるということなので、これも読んでみたいと思っている。


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熊谷孝太郎 間世潜 時の彼方へ 函館から

2024-12-13 10:30:32 | 買った本・読んだ本
書名「熊谷孝太郎 間世潜 時の彼方へ 函館から」
編集 津田基  出版社 Mole  発行年 2024

今年函館まで見にでかけた写真展の図録。決して名が知れているわけでない写真家の写真を発掘した、はこだてフォトアーカイブの津田基のおかげで、われわれは、1910年代から30年代にかけての、失われたモダニズムの街函館の風景や人々と共にいることができることになった。街の風景もそうなのだが、ぬかるんだ雪の中を歩き、街角に佇み、立ちどまった女性たちのその生き生きとした表情にカメラは向けられているのだが、その中から、当時の函館にはカフェやバーが300軒近くあり、女給たちが700人以上働いていたというモダン都市の姿が浮かび上がる。さらにそこには革命ロシアから逃げてきた白系ロシア人の女性たちが徘徊し、函館がなによりコスモポリタンの街であったことを伝えてくれる。
間世は新聞社のカメラマンとして、戦時中の南千島を取材していたという。そのときの記事や日記も展示会では展示されていたが、なかなか不思議な気になるカメラマンである。プロのカメラマンとして独立してから撮られたトラピスト修道院の写真の迫り来るような静謐さには圧倒される。函館を描いたものではないが、役者たちの肖像写真もいい。
ふたりの写真によって、自分が追いかけた長谷川 濬が少年時代を送り、終生その幻を追い続けた函館の街を旅し、時の彼方へ身を寄せることができたことに感謝したい。
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別れを告げない

2024-12-09 05:39:12 | 買った本・読んだ本
書名 「別れを告げない」
著者 ハン・ガン(斉藤眞理子訳)  出版社 白水社  出版年 2024

今年のノーベル賞作家ハン・ガンの最新作。ノーベル賞作家ということで読もうということではなく、済州島事件(4・3事件)を扱った小説ということで、読もうと思った。
かなり読むのがしんどい小説であった。歴史小説ではなく、現在と過去を行き来しながら、さらにはこの島に住んでいた主人公(作者を投影されている)の友人との過去の経緯などが、主人公が友人の家を大雪の中訪ね、そこにいるはずのない友人との会話の中で語られるという、幻想と現実が溶け合ったなかで見事な小説世界が構築されているのだが、この独自の小説空間にはいりこむまでがしんどかったのと、やはりここで語られる済州島事件の悲劇と惨劇が鋭角に切り取られていることが胸に響き、それがきつかった。でもこのきつさに対峙しなければならないという決意が、このタイトルにこめられているのだろう。
ちょうど読んでいたとき、韓国では戒厳令事件があった。ハン・ガンもこの事件についてコメントしていた。多くの人はやはりハン・ガンが光州事件を題材にした小説「少年が来る」のことを思い出している。今度はこれを読まなければ。
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外岡秀俊という新聞記者がいた

2024-12-02 05:48:21 | 買った本・読んだ本
書名「外岡秀俊という新聞記者がいた」
著者  及川智洋  出版社 田畑書店  出版年 2024

いま新聞は存亡の危機に面しているといっていいだろう。ニュースは新聞でもテレビでもなくネットでということが当たり前のようになり、新聞もネット講読を進め、紙で新聞を読むということはどんどん減っている。スポーツ紙だが東京中日スポーツが紙での発行を来年からやめるというニュースも入ってきた。この波はさらに拡がっていくだろう。そうした中一番問題なのは、新聞が紙で存在する意義それ自体を自ら否定して、ネットニュースの手法を踏襲しようとしていることだ。そんなときにこの本が出版されたことの意義は大きいと思う。
新聞がまだ輝きを放っていた時代を記者として現場やデスク、さらには編集局長という管理者として、朝日新聞のまさに一線で働いてた外岡が退職後、朝日の後輩記者だった著者を相手に、長い時間をかけて、新聞記者としてなにをしたのかを語るオーラルヒストリーとなっているこの本は、外岡自身が、生前葬とも語っているように、単なる回顧談に終わっていない。新潟支社時代からはじまって、支社での記者生活、文化部での仕事、ニューヨークやロンドンでの海外での仕事、さちにはアエラ時代と、外岡が朝日新聞のエース的存在であったことが、よくわかる。記者生活での彼の姿勢は一貫していた。現場での取材、そして歴史的検証をしていることだ。時代になびくのではなく、歴史のなかでどう位置づけるかということを常に意識していたこと、これこそ新聞の一番の使命ではないか、そう思う。
もうひとつ大事なことは、安倍が最初に政権をとった時、外岡が権力がマスコミに介在してくることを予知、それに対して危機感をもって対処していたことだ。二度目に政権をとった安倍そして菅は、マスコミに圧力をかけ続け、そしてマスコミ側はそれに対して忖度ということで応じてしまった。外岡があの時持っていた危機感をほかのマスコミが共有できなかったこと、それがいまのような脆弱なマスコミの体制をつくってしまったのではないか、そんなことも気づかせてくれた。
外岡さんは同世代、彼の書いた「北帰行」は当時一番衝撃を受けた書だった。新聞記者を早期退職して、独自に東日本大震災を取材しながら、マスコミのなかではなく一ジャーナリストとして活動、最晩年彼が北方文化圏を意識しながら、またギアチェンジして次なるものを目指そうとしていたことを知って、いま自分がやろうとしていることは、これだと思った。どちらかというと新聞記者ではない外岡のことをずっと意識していたのだが、この書を読んで、新聞記者外岡秀俊もすごい人だったのだと思い知らされることになった。惜しい人を亡くしてしまったものだと改めて思う。

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