goo blog サービス終了のお知らせ 

デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録ー芸人たちが見た日中戦争

2025-02-18 08:55:08 | 買った本・読んだ本
書名 戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録ー芸人たちが見た日中戦争
著者 早坂隆  出版社 中央公論新社  出版年 2008

久しぶりに不愉快な本を読むことになった。澤田さんがこれだけは書き残したいと書いていた戦時中吉本興業と朝日新聞が中国大陸に派遣したお笑い芸人による慰問団わらわし隊のことをまとめた本はとりあえずこれしかなかったので読んだが、著者の日中戦争へのかなり偏向した見方が随所に見られ、わらわし隊を利用してその主張を読まされたような気がしたのだ。
戦闘直後の大原というところに慰問にきた一行は町に遺棄された中国人の死骸を見ることになる。そのほとんどは野犬が食い荒らし見る姿がなかったが、その中に一体だけ顔も腕も頭もある死体をみた慰問団の団長だった柳家金語楼が、夫婦喧嘩をしたのだろうと言ったというエピソードを紹介するこの無神経さが全編を貫いている。このような本で紹介されたわらわし隊がかわいそうである、澤田さんはそう思って、これだけは書き残したいと書いたのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和を紡いだ東洋一のナイトクラブ実録赤坂「ニューラテンクォーター」物語

2025-01-30 15:10:30 | 買った本・読んだ本
書名 「昭和を紡いだ東洋一のナイトクラブ実録赤坂「ニューラテンクォーター」物語」
著者 山平重樹   出版社 双葉社   出版年 2020

映画「ショウタイム」を見て、石巻でキャバレー(西欧式のキャバレー)ができないかというまたとんでもない夢をいだているうちに、「ニューラテン」のオーナーだった山本信太郎の本を読み、そのあと図書館の棚でこの本を見つけて、読んでしまうことになった。山本の本をベースにしているので、さほど目新しいことはないが、強いていうなから、著者が裏社会のことにかなり通じている人のようで、山本の本では描ききれなかった、東京のヤクザたちの対立をしっかりとらえていたことで、そこから力道山の刺殺事件などもかなり立体的に見えたことぐらいが、新しいことだったというところだろうか。
一流のスターたちのショーを一流のもてなしで見れるというナイトクラブが日本にあったということ、それがひとつの伝説へと昇華され、昭和のよき思い出の世界の一部となり、こうした本も生まれるのだろうが、裏側にはいろいろ任侠やら右翼やらの世界があったのだろうなという気はしてきた。
ニューラテンは東洋一のナイトクラブだが、かつて鮎川には東洋一のキャバレーがあったと言う。どんなものだったのだろう。おやじに聞いておけばよかったと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか

2025-01-29 19:32:58 | 買った本・読んだ本
書名『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか」
著者 アグラヤ・ヴェテラニー(松永美穂訳)  出版社 河出書房新社  出版年 2024

昨年末の桑野塾の今年をふりかえる会の中で、ふたりがこの本を紹介してくれたので、初めてこの本の存在を知った。タイトルもそうだし、表紙の絵もそうだが、なかなか不気味さが漂う本である。チャウシスクの圧政が続くルーマニアから逃れた、丸天井から髪の毛でぶら下がり、ボールや輪っかや松明を使ってお手玉をする母とクラウンの父を持った娘が、自分の実体験をもとに書いた小説。海外でのサーカス生活、施設に預けられてからの生活、また母に引き取られるも、母が事故でけが、こんどは自分がキャバレーでダンサーとして働くなかでの話が、詩的言語で綴られていく。どちらかというというと悲惨な話ばかりで、しかもこれがほぼ実話、著者自体も39才で自死しているという、なんとも救いようのない話で正直読んでいる間も、あとがきで自死の話を読んで、ますます救われなくなったのだが、心に届いてくるなにかがある。それは神の存在への作家の問いかけなのかもしれない。そうした中「イエス・キリストも芸人だ」ということばが重く響いてくるものがある。
この本に出てくる母が演じたアクトについての私の個人的な思い出を書いておきたい。彼女の芸はヘアースイングと呼ばれる。
40年のサーカス呼び屋生活でこの芸をする芸人さんと一緒に仕事をしたのは、ひとりだけである。チェコの代々続くサーカスファミリーの名家スタウベルティ家の長女エンリカが演じていた。彼女は弟とかなりスリリングなパーチアクトも演じている。彼女のヘアースイングのビデオのリンクを添付したが、リトルワールドの公演では高さがあまり感じられないが、サーカス場でかなり高い場所で演じられるとかなりスリリングである。自分の髪の毛を束ねて吊るすというのにはまったくトリックや仕掛けがなく、本人に痛くないのかと聞いたことがあるが、痛いと言っていた。その痛みをこちらも感じるのは上に吊り上げられるとき、彼女の目がつり上がることである。この芸はもうあまりやりたくないとも語っていた。この小説の中で、母がこの演技をするとき、主人公の娘は母が落下するのではないかと、いつも恐怖にかられるとあるが、他の空中芸から比べると、それほど危険という感じはしないが、子どもの目線から見れば、その目がつりあがるのを見たとき、普段とは違う母の顔に驚き、戦き、そして髪の毛が抜けたらどうするのかそういう気持ちになったのだろう。
エンリカは多弁な弟と比べて、無口で、いつもひとりで行動する女性だった、なんとなく翳を感じたが、嫌な感じはしなかった。彼女の一番の思い出は、姫路で公演して、あと3週間ほどで千秋楽という時、お父さんが危篤という知らせがきたときのことだ。弟が姉だけでも帰してもらえないかという相談があった。芸人は親の死に目にもあえないということは日本の話で、真剣に帰りたがっていた。それを見て、帰してあげたいと思い、働いていたテーマパークの支配人に、代りの芸人を用意するから帰してもらえないだろうかと相談した。その時の支配人はとても優しい方で、周りの人たちが反対するなか、帰国を許してくれるばかりか、弟も一緒に帰っていいし、早く帰ったほうがいいと翌日帰ることを認めてくれた。あの時の感謝に満ちたエンリカの顔を忘れることができない。すぐに航空券の変更をして、翌朝慌ただしく帰った。まもなく父親の死に立ち会い、自分もサーカスから引退し、娘を弟のバートナーとしてパーチアクトは引き継ぐと連絡が来た。
翌年かその二年後に新しくできたエンリカの娘ナンシーとドミトリーのペアを呼んだが、エンリカのように熟練した技の修得まではできていなかったが、若々しい感じがして、将来性を感じた。ヘアースイングはやるのかどうか聞いたら、やりたくないと言っていた、エンリカもやらせたくないとのことだった。よほど苦痛がともなう芸だったのだろう。ナンシーが話し、そして見せてくれた写真のエンリカは、なんとも穏やかな表情の母親であった。長年背負ってきたサーカスファミリーの伝統から離れ、そしてヘアースイングの芸をしなくてよくなった、危険から遠ざかったということが大きいかったのかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物には心がある。

2025-01-29 06:00:36 | 買った本・読んだ本
書名「物には心がある。消えゆく生活道具と作り手の思いに魅せられた人生」
著者  田中忠三郎    出版社 アミューズ エデュテインメント  出版年 2009

「石巻かほく」で連載している「漂流民を歩く」で青森で裂織を見てきたことを書いたのを読んだ知り合いが、この本を貸してくれた。著者の名前に見覚えがあったのだが、読んでいるうちに、刺し子のことをいろいろ調べている時に、下北に住む人から、浅草で「BORo」という展示会をやっていて、そこで刺し子の服を見ることができると教えてくれ、見に行った。その時展示されていたのが、この著者のコレクションだった。不思議な縁を感じながら読みはじめた。ここに綴られているのは、著者の貧乏ながら母や周りの人たちから、ものの大切さと心の優しさをおしえながら過ごした少年時代の思い出、考古学に目覚めて、すべてを投げ打って、発掘に命をささげた青年時代、発掘から民具収集へと転換しながら、アミューズに収集品を所蔵してもらうことになった人生を短い文章によってたどっていく。ひとつひとつの文に命へのいとおしさがこめられている胸にしみこむものばかりであった。たくさんのことを教えてもらったような気がする。
さりげなく語られている高橋竹山との出会いの場面や、黒澤明との出会いや寺山修司の「田園に死す」で著者の家が撮影に使われたことなどに、人と人の出会いの妙にもこの人の生き方が導いたものなのだろう。
とんでもなく貧しい生活のなかで生まれた知恵が、どれだけその土地の人々の生活を豊かなものにしていたのか、そんなことにも思いがいった。素晴らしい一冊であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本興業をキラキラにした男

2025-01-22 11:39:14 | 買った本・読んだ本
書名 「吉本興業をキラキラに男  林弘高物語」
著者  小谷洋介   出版社 KKロングセラーズ   出版年 2017

この本も図書館の伝記コーナーの書棚で見つけたもの。やはり書棚を見るというのは大事なことだと改めて思った、とても面白く参考になった本だった。著者は吉本興業の社史をつくるなかで、未開封の箱がふたつあり、その底にあったふたつの袋を見つけたことから、この評伝の人物林弘高の仕事を追っていくことになる。著者に資料を見つけてもらったことに、ほとんど知られていなかった林弘高、そしてわれわれ読者は感謝すべきだろう。林は、創業者の伝説的女傑吉本せい、そして吉本を大きくした正之助というふたりとDNAを分かった末の兄弟で、東京吉本を開業した男であり、さらに正之助が病気の時吉本本体の社長までなった男だった。それだけの男なのに、まったくと言っていいほど知られていないと言っていいだろう。なぜかはわからないが、正之助に負けず劣らず、エンタメのことを知り、ビジネス感覚もあり、アンテナももっていたこの男のことは紹介されていなかった。評伝としても面白く読んだが、資料的価値をもっていることもこの本の大きな特徴である。それはなにより著者が、わずかしか残っていない林の資料をエンタメ史の中に位置づけるような資料を社史をつくるなかで有していたこと、そして他の資料にも目配りができる人であったことが大きい。この書の圧巻は、林が興行師としてデビュー、正之助やせいもできなかっただろう、アメリカのマーカスショーを吉本で公演、戦前の興業史のなかに燦然と輝くようなショーをプロデュースしたところなのだが、このショーについても林が残した写真をもとに、残された資料によって見事に再現までしてくれている。この書が確かな資料読みによってつくられたことにより、昭和の興行史の空白を埋めることにもなった。弘高が戦時中に軍と話をして慰問団として芸人をつかっていくということに関して、わらわし隊のことも紹介しているが、ここもいろいろ珍しい史料を使い、その実態に迫っているのもたいへん興味深かった。わらわし隊のことをずっと気にしていた澤田さんは本書を読んでいたのだろうか。ふと気になった。
吉本せい、正之助、弘高とDNAがつながっている三人がいまの吉本に繫がる、さまざまな試みをしながら、「笑いの殿堂」)をつくろうとしていたことを明らかにしながら、著者の「笑いの殿堂」への思いの深さも伝えた優れた芸能書であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2025年9月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

バックナンバー