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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

キエフ・オデッサの旅 13

2019-04-03 14:29:57 | 
車掌さんのノックでみんな起きる。もうまもなくキエフ。これから家に戻るまでがドラマ。年寄りと腰の悪いととかよわな女4人が荷物を出して小さなタクシーに乗り込んで、階段を登って3階にたどりつくまでどんだけたいへんだったか。
あわただしく簡単な朝飯をたべ、なななに寝る前にマッサージをしてもらい、そのまま寝る。12時前に起きて荷物の整理とか始める。慌ただしく簡単な昼飯を食べて、なぜか急に決まったテレビ出演のために街中に出る。2時に来いということだったらしいが、番組は生放送でしかも始まりは2時。普通は打合せとかあるだろうと思うのだが。およそ30分ほどの番組で自分もなななも出演。コメディアーダについての印象などを話す。終ってやっと今回の行事も終わりかと思ったら、そうはいかないのが、クリューコフとの旅。なななにクリューコフがプレゼントしたマジックネタが故障したので、その道具をまずキエフの秋葉原で買って、それをマジシャンのあの魔法の部屋に持っていく。そこで直してもらう。今度の道具はばっちりらしい。帰り前の車にぶつかりそうになる、自分が助手席に居て注意したから寸前ととまり、ぶつかることはなかった。コワイ!コワイ!
食料品店でまたいろいろ買って戻る。そのまえにクリューコフの家の近くにあるベルチンスキイの生家あとを訪ねる。そして食事。たださすがに今日ははやめにお開き。なんどかオンラインチェックインを試すが、うまくいかない。ドバイで羽田行きの飛行機に乗るまでは安心できないのが今回の旅、まだまだ終わらない。

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キエフ・オデッサの旅 12

2019-04-02 17:23:43 | 
腰の状態は一進一退という感じ。バロメーターは靴下を履くとき。今日は昨日よりは痛みがあったかも。まあだましだましやるしかない。皆さんお疲れのようでバスもなかなか来ない。劇場に行くと、まずはロシア組たちが帰る準備。トゥイチーとまた会えた。そしてなんとそのときにシルクドソレイユのスカウト担当シェリフがトゥイチーに近寄り、とても面白かったと名刺を差し出す。これは応援しないといけないということで彼はマジシャンとして日本に何度も来ている、とてもいい芸人さんだとよ援護射撃。シルクから仕事がもらえるようになるといいなあ。そしてバスが出発ということでトゥイチーとお別れ。なななと近くの市場を見て劇場に戻り、黒海に面したレストランで昼食。なななはやっとすべての予定が終わりほっとしたようで、ウォッカも少々飲んでいた。なななの今回の作品についてクリューコフや同席していたユーゴスラフがいろいろコメントとアイディアをだす。この作品をもとにチャバのような作品ができると思う。その最初のスタートということで今回のコメディアーダ参加はとても意義のあったことだと思う。気持よくウォッカとブチキー(これは節もの、秋田のハタハタみたいなもの)を食す。そのあとオデッサの中心街にあるチョコレート屋さんでお土産を買ってもらい、駅へ向う。とにかく年寄りふたりと腰の悪いおやじとかよな女性なので荷物を入れるまではたいへん。なんとか入り、今度は前回困ったドアの開け閉めの練習。それが終わったところで汽車が動き出し、またコニャクで乾杯。クリューコフが寝ると行ってベットに横になったので、自分となななは二階のベットにあがり就寝。

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キエフ・オデッサの旅 11

2019-04-01 15:45:11 | 
今日はオデッサは祝日、お祭である。ホテルから近い広場の特設ステージまで歩いていく。文化担当の部長さんと市長とあいさつ。ふたりとも去年と同じ。そういえばウクライナの大統領選挙はどうなっているんだろう。
パレードがやってきて、審査員はステージで市長たちと一緒にそれを出迎える。今年は去年より参加者が多かったのでは。コメディアーダのパレードの最後はグランプリ受賞のトールマンブラザーズ。この人たちの客いじりは見ていて不愉快になる。なにか壊している感じだ。どうにも好きになれない。しかも遅れてきたので、授賞式の順番がまた狂っている。
自分はそのため最初のプレゼンターになってしまう。最初日本語で言えというので日本語で適当にしゃべっていたらみんなぽかんとしていた。トゥイチーは二番目でユージ・チャップリンに賞をもらう。とても喜んでいた。
そして六番目がななな、プレゼンターはイスラエルのゲンナージ。彼もなななのことをとても評価していた。女性のクラウンにぜひあげたいということで持ってきた手製のクラウントロフィーを授与した。なななもこれには感動していた。
このあとホテルでちょっと休んで劇場へ。相変わらず今日の公演に誰が出演するかわからない、なななも準備していたが、20分前に今日は出番がないことがわかる。
公演前に例の整体屋さんがいるというので、客でごったがえしているカフェのベンチにうつ伏せになって治療を受ける。前回やってもらってかなり良くなっているのでありがたかった。
20分押しでガラショーが始まる。チャバが2年前のグランプリをとった作品を演じる。休憩後なななはまさかチャバの生が見れるとは感動したと興奮。この時シルクドソレイユのスカウト担当シェリフが、なななに名刺を渡してきて、素晴らしいショーだった、つくりかたがとてもよかったと話しかけてくる。
22時半に公演終了。ナージャが最後のトールマンブラザーズの演技になぜあれがグランプリなのと言う。同じ意見の人は結構いるんではないかと思う。
バスでパーティー会場へ。ここでトゥイチーとはお別れということになる。短い間だが、会えていろいろ話しができて良かった。奥さんのズフラがなぜこのあと大島さんはモスクワに来てくれないのと泣いていたという。ここまで思ってくれる人たちがいるというのはありがたいはなしである。
我々も1時過ぎにバスに乗ってホテルに戻る。今日は二次会はない、当然である。
やっとこれで今回の遠征のイベントはすべて終了ということになる。腰もまだまだ心配だし、去年イスタンブールで乗り継ぎに間に合わなかったりということもあるので、先々まだいろいろあろうかとは思うが、とりあえずの峠は越えたということになるのかな。、

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キエフ・オデッサの旅 10

2019-03-31 15:06:47 | 
10時少し前にクリューコフから電話。なんかあわてている、時間が進んでいるという意味がしばらくわからなかったが、今日から夏時間になり1時間時計が進むことになるということだった。なななにすぐにラインで電話。スマホの時計が一時間いきなり進んだのでなにか混乱していたようだ。ただみんな知らないだろうと思っていたら、えっ知らないのというような反応だった。知らなかったのはクリューコフ夫妻と日本人ふたりだったようだ。なななは劇場へ。われわれはミハイル・レムというオデッサで有名な彫刻家のアトリエを見学。この人はコメディアーダにいろいろ協力しているらしい。素晴らしい作品だった。このあと劇場へ。なななの稽古をというところで、頭に使う音楽がないというこれはCDなので、前回の公演ですでにとりこんでいたばかり思っていた。とりあえず頭は音楽なしでやる。なななはホテルに戻って探すが、ないという電話。音はネットでひろえるはずだが、ないわけはないはず。なななは劇場に戻る。帰りは乗っていた車が接触事故を起こしたらしい。劇場でどこかにないか探すと、なぜないんだと言っていたクリューコフが、自分が持っていたのに気づく。ほっとするというか、おいおいだよな。
リハはぎりぎりまでつづけられ、順番もぎりぎりまでわからない。開演1時間ぐらい前にやっとなななは二番目の出番、トゥイチの次ということがわかる。
本番中途中つけていたハンカチがおちるというアクシデント、なんとか対応。かなりはらはらした。
公演後すぐにホテルのレストランに連れて行かれ、審査会。15人の審査員が集まって賞を決めるのはたいへんである。自分はトゥイチーをグランプリに押したが、ロシアの5人組がグランプリ、トゥイチーは演技賞ということになった。審査では審査員がそれぞれ5人を推薦したが、なななもこの中に入り、特別賞を送ろうということになる。なななは出演者のなかで作品をつくるということでは一番丁寧にやっていた、それを高く評価していたのがなななが目指すようなクラウニングをつくっているチャバだったことがうれしかった。自分にとってはグランプリがロシアの五人組というのが納得はいかなかったが、みんなで決めることなので仕方がない。
審査が終ってほっとしたということで、ドイツとフランスから来た酔っぱらいたちがみんなクリューコフの部屋に集まって二次会。自分は2時ぐらいに退散。

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キエフ・オデッサの旅 9

2019-03-30 15:58:53 | 
ベットから起きたときの感じは昨日よりも少しはいいかなという気がする。シャワーを浴びるとき腰に当ててみる。今日到着した審査員もかなりいるようだ。10時過ぎに出発。クラウンの家はすでにプレスの人たちとクラウンでごった返ししているのは毎年のこと。なななもすでにコスチューム姿でロビーにいた。誰か探しているようでしたよという。トゥイチーが今日到着しているはず。楽屋とかあっちこち探してやっと会える。2年半ぶりの再会となる。去年モスクワの自宅に行くはずが、トゥイチーに急に仕事が入って会えなかったのだがそのことをとても気にし、今回はわざわざ自分に会うためにオデッサまで来てくれた。つもる話しをいろいろしながら過ごす。フェルーザが再婚しふたり目の子どもを妊娠中、いまキエフで暮らしていること、ズフラの商売は順調でほとんどいまはくわせてもらっていること、いまはがつがつ仕事をとらず、工芸にはまっていること、開演まで時間があったのでゆっくり話せた。
12時からプレス。オープニングはチェルノモーリェにある子どもサーカスグループのステージ。これが本格的で感動的だった。このあとヤーナの司会でプレス会見。ここでデリーエフが粋な演出。プレスを壇上にあげて記者に質問する。さすが愚者の祭である。無事セレモニーが終わったところで記念写真をとろうというところで、昨日自分の腰の状態をとても心配していた事務所のおばちゃんがすぐに来いとひっぱられる。そこに整体師のような人が待っていて、すぐにうつ伏せになれと言われ、身体をいろいろねじられる。時間にして3分か5分ぐらいだった。これで良くなればいいのだが。整体師は自信たっぷりにどうだよくなったかと聞いてくるがあまりその実感はない。トゥイチーの知り合いのクラウンがいまオデッサのコーカスで働いているというので16時からの公演を見せてもらうことにした。去年は招待されたのだが、別の人形劇を見なくてはならずできなかったのでやっとオデッササーカスを見ることができた。
この建物はとんでもなく古く130年前に建てられた、自分にとってはあのサーカス映画の傑作「レスラーと道化師」に出てくるサーカス場なので中に入ってみたかった。さすがに古い。2年前にここで働いたということでトゥイチーはあちこちで声をかけられる。貴賓席で見ることに。ここでドゥーロフにからかわれたゼリョンヌィ市長が座っていたところかもしれない。トゥイチーの知り合いのクラウンは大活躍、父と子夫妻の4人が出ているのだが、お父さんのクラウンがめちゃめちゃ張り切っている。あとで歳を聞いたら73歳というのでびっくり。ショー自体はまあまあ、ただ最後の幻想的なポニーのショーはすごかった。ポニーたちがまるで自然の中で自らが望んで演じているように見えた。公演後楽屋に挨拶にいく。猫がいた。さすが猫の街オデッサである。
「クラウンの家」に戻り、19時からのコンペッションを見る。これについてはまた別項で書くことにしよう。
およそ3時間半の公演が終わったあとロビーでパーティー。あっと言う間に料理と酒がなくなるのは毎度のこと。審査員たちはホテル近くのレストランで二次会。あいかわらずクリューコフのテンションが高い。だんだん腰の痛みがなくなっていく。サーカスを見終わったあとは、立ったときやはり痛みがあったが、コンペッションを見終わったあと席を立ったときにあまり痛みは感じなかった。ただ一晩寝るとまたもとに戻るかもしれない。とにかくこの状態に慣れないといけない。

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