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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

リボフ編3 サーカスに感動

2019-09-29 15:49:33 | 
クリューコフのノックの音で目が覚める。一緒に朝飯を食べに行く。そのあとサーカス場に向うのだが、行くまでが大変、ホテルの前に待機しているタクシーが歩いてもいけるところなのに100グリビナというのでナージャはかんかん、その時の運ちゃんの言いぐさがおかしい、俺たちは働かなければならないなんだよだって。だったらちょっとのところでも行ってくれといいたくなる。結局タクシーを呼んで、開演になんとか間に合う。ディレクターが迎えにきて、貴賓室に案内される。水中サーカスというのだが、しょぼいんではと思ったが、とんでもない、実に見応えがあった。そして客席もほぼ満杯。さすがウクライナだけあってひとつひとつの番組のレベルが高い、そして水中もかなりしっかりつかっているので迫力がある、空中ものは水中から出てきて、それでまた空中で演技する、アーティストも大変だろうが、この迫力はたいしたもんである。アシカのショーも面白かった。熊が腹這いになっていつもは飛ぶときにつかっている障害物をくぐるのにもびっくり。クレイドルを台を空中において、さらに二人組の男子が梃子になってジャンパーを飛ばす空中芸にも驚いた。そして何より驚いたのが丸太をぶんまわすストロングマン。これは迫力があった。ウズベキスタンのアーティストらしい。これだけのものが見れるとは・・・幕間にディレクターがお茶を用意してくれていろいろ話しをしたのだが、面白かったのは新しいディレクターになったキエフのサーカスで、昨日アーティストが集まって、前任者のリュドミラ・シェフチェンコを支持する集会を開いたというニュース。ほんとうは昨日新しいディレクターに招待されてサーカス場に行くはずだったのだが、自分が寝すぎて行けなかったのは逆に良かったのかもしれない。かつてボリショイサーカスの一員として象のショーをやったというポーランド人から日本ではグリンピースはどうなんだと聞かれる。すっかりサーカスを楽しんでさあ帰ろうとなったときに今日最大の笑い話が誕生した。タクシーを電話で頼んでいたのだがなかなか来ないのでクリューコフとナージャが何度も電話するものの、タクシーは一向に来ない。およそ30分ほど待たされる。クリューコフがいまどこにいるんだと運転手に電話で聞くと、もうサーカス場に着いている、サーカス場のどこだというと大きな階段の前にいるという。それを聞いていたナージャがオデッサにでも行ってるんじゃないと笑う。これがあながち間違ってなかったのである。ナージャはキエフのタクシーを予約していたのである、それにまもなく気づく。そして自分も確かにキエフのサーカス場の前に大きな階段があることを思い出す。クリューコフがそれを知って呆然、ナージャもあら間違ったわという苦笑。自分は大笑い。すぐに流しのタクシーを拾ってカフェへ。ここでやっと笑い話になり、みんなで大笑い。やってくれるよな。
16時からヘスの公演ということで食事をして急いで劇場へ。30分押しで始まった。その前にヤロスラフの部屋でまたコニャック。そして約束していた飛行機代の一部として500ユーロをもらう。ヘスのショーはソロショーということで彼のネタをただくっつけただけだったので新鮮味はなかったが、客には受けていた。17時からオペラ・バレエ劇場の前の特設でサーカスの公演があるというので急いで行ったがもう終っていた。残念!
次はキエフのパペットシアターの公演を見る、これがまったく人形が出てこない芝居でびっくりしてしまった。要は人形を動かす人たちも俳優さんとして実力があるのよということを見せたかったようだ。人形劇見たかったな・・・・このあとまた広場に戻ってスティルツ劇団の公演を見る。これはACCのネタになるかもしれないと思い、しっかりビデオカメラで撮影しながら見る。20分ぐらいにまとめてやればとても面白い作品になると思うのだが、およそ60分の公演だったのでやはり間延びしてしまった。撮影するのも大変だった。ナージャも途中疲れてしまい、近くのベンチで座っていた。立ってみるというのは年寄りにはきつい。今日は部屋で少し飲んで食べようということになる。スーパーで酒を買おうとしたら22時以降は法律でアルコール類を売ってはいけないことになっているらしい。たった5分も経っていないのだから売ってくれとクリューコフは言うが、この先に22時過ぎでも売っているところがあるからそこで買ったらと言われる。ちゃんと抜け道があるのがおかしい。クリューコフの部屋で軽く飲む。30分もしたらクリューコフがベットに横になったので、早々に引き上げた。確かに今日はかなりツーマッチの一日だった。


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リボフ編2 リボフ到着

2019-09-28 15:47:53 | 
飛行機ではがまんできたが、昨日は二回もトイレに起きてしまう。しかも二回目はトイレから戻って客室を間違え、違う人が寝ていた二階のベッドにあがってしまう。人がいるのでびっくりして部屋を出る。あぶない、あぶない・・・・
5時半前に「まもなくリボフ」という車掌さんが各部屋を回って歩く。二回目のトイレに行ってからはほとんど寝ていない。時差があるのかな・・・
クリューコフは帽子がなくしたみたい。迎えの人が来ていて、車でまずは主催者の劇場「バスクレセーニエ劇場」へ。ここで軽く朝食をいただき、時間があるので朝のリボフの街を三人で散歩。石畳の通りがきれいな街だ。大通りではなく小さな路地もみんな趣がある。とてもきれいな街だ。7時過ぎに歩き始めたのでまだ通りには人もなく、気持がいい散歩ができた。カフェに入ってしっかり朝飯を食べる。なかなか美味しかった。こうしたカフェがあちこちにある。ウクライナというよりはヨーロッパの雰囲気が漂う街だ。そして街の中心にあるオペラ・バレエ劇場の並木道の栗の木はすでに色ついている。秋である。劇場に戻って11時に行くことになっているサーカスに向う。てっきりサーカスが見れるのかと思ったら、ただ案内してくれるということになっていたようだ。明日12時からの公演を見せてもらうように主催者のヤロスラフにお願いすることになった。劇場に戻って、ランチ券をもらったカフェでランチとビール、そしてウォッカ。すっかりいい気分になって、ホテルにチェックイン、劇場から歩いて10分のところにあるでかいホテル。近いのはありがたい。荷物を整理しきれないまま、フェスティバルのオープニングイベント会場のオペラ・バレエ劇場の前の特設ステージに向う。オープニングはカーニバルパレード、そしてそこから野外パフォーマンスの予定なのだが、パレードが会場に到着したところで急に雨が降り出す。市長とヤロスラフの挨拶の時は本降り、庇のあるところに逃げる。なんというタイミングで雨が降るんだろう・・・オープニングセレモニーが終ってここでのパフォーマンスは中止ということで劇場に向う。ヘルソンの劇団の公演が19時からあるのだが、それまで時間があったのでヤロスラフの部屋でコニャックをご馳走になる。10月1日に円卓会議があるのでそこで話しをしてもらいたいと言われる。プログラムを見てなんとなくしゃべらされるのかなと思っていた。時間は10分ぐらいということなのでそう大変なことではないだろう。ヨーロッパから集まった演出家や演劇関係者が出席するという。なにを話すかちょっと考えないと。何気にヤフーのニュースを見たら、アイランドに勝ったというとんでもないビックニュースが出ているのにびっくり。リボフに着いたというラインをおくりつつ、アイランドに勝ったのと聞くと、その記事がすぐに送られてきた。
19時から始まった芝居は自分にとっては苦痛以外のなにものでなかった。ルーマニアの作家の芝居でさっぱりストーリーがわからない。たっぷり飲んでいたしきつかった。それはクリューコフもナージャも同じだったようだ。
このあとグルジアレストランで招待されたゲストが集まっての食事会。これでもかこれでもかというぐらい料理そして危険な酒チャチャが出てきて、まあ飲んだこと飲んだこと。チャチャ美味すぎ。隣に座ったのがフランス人だったので、ラグビーの話しをしたら、彼もラグビーが好きなようで日本が勝ったのをとても喜んでくれた。これじゃまた酒が進むはずである。
二年前の「コメディアーダ」でグランプリをとったジェフ・ヘスとホテルが同じ階ということもあり、クリューコフの部屋に呼んでまた飲み直し。どうやって部屋に戻ったのかわからず。


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リボフ編1 キエフから寝台列車でリボフへ

2019-09-27 15:42:20 | 
野毛ほや祭りで完全に飲みすぎてしまった。しかし10日も留守にするので浜空碑をきれいにしておこうと、冨岡総合公園に向う。台風の爪痕はまだ消えない。碑の周りに溜まった落ち葉を掃いて、参道はブロアーできれいにする。ちょっとすっきり。
家に帰ってたらたら準備。夜の出発はこれができるからいい。気づいたらもう17時すぎ、あわててタクシーを呼ぶ。妻が大丈夫なのと聞くぐらいたらたらしていた。タクシーで駅に出て、YCATからバスで成田第二ターミナルへ。オンラインチェックインをしていたので荷物を預けるだけ、そのあとレンタルのWifiをピックアップして、セブンコーヒーを飲んでから、入国審査。ほんとうに楽になったものである。澤田さんに電話、サーカス学会一般向けのフォーラムに出演してもらうことを承諾してもらう。今回は初めてのカタール航空、今回は全部窓側、トイレが近いのでとても心配。しかも昨日は飲みすぎで朝から何度もトイレに行っている。ナーバスになったのだが一回だけですんだ。食事をとったあと「ダンボ」を見る。公開の時に見損なったのでちょうどよかった。おかしかったのがアレクサンドロフの「サーカス」の映画からのピラミッド式に出演者が並ぶというシーンをティム・バートンがパロディぽっくつかい、しかも音楽もそのとき使われたサーカスマーチをつかっていたこと。今日はトイレのことが心配でアルコールはとらず。映画を見たあとはわりとしっかり寝れた。定刻より早めに到着、前回はドバイ空港の乗り継ぎがえらくたいへんだったので心配だったが、ドーハー空港も広いけどドバイほどではなく、楽々乗り継ぎ便の搭乗口までつく。3時間ほどの待ち合わせなので、持ってきた本「かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた」を読み始める。1910年代から革命までモスクワの娯楽場アクバリウムやマクシムを経営したアメリカからやってきた黒人興行師の生涯を描いた伝記なのだが、内容が内容だけにすぐに夢中になって読みはじめる。キエフに着くまで読了。これは面白い。帰ってからきちんと書評を書きたい。
定刻より40分ほど早くキエフ着。クリューコフにメッセージを送るとまだ途中なので、ロビーで待ってくれとのこと、早く着いたのだから仕方がない。3月に来たときは荷物が届かなかったというトラブルがあったので心配したが無事に出てきた。と言っても一番最後、ハラハラさせられる。30分ほど待ったところでクリューコフがやってくる。5ヶ月ぶりの再会。相変わらずご機嫌なおじさんである。車もレクサスに変っていた。荷物を積んでさあ出発というところで、いきなりウィスキーを出して、持ってきたグラスに注ぎ、無事到着したから飲めという。昨日は酒を一滴ものんでいなかったのですぐにまわってきた。なつかしのクリューコフのアパートに到着、息子のボーバが待っていて荷物を運んでくれる。ナージャと抱き合って再会を喜ぶ。食事をということでボルシチとピーマンの肉詰めをご馳走になる。18時にサーカス場に行くので少し休めということでベットに横になったのが16時過ぎ。なんと目が覚めたら20時。ナージャが起こそうとしてくれたらしいがあまりにも深く眠っていたのでそのままにしてくれたらしい。クリューコフもやってきて軽く一杯やってから呼んでいたタクシーでキエフ駅に向う。今日はナージャと自分が同じコンパーメント。クリューコフは別の部屋。夜行列車の二階席はなかなか危ないところである。今日は一緒ではないのでわりと早めに二階にあがって横になる。


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キエフ・オデッサの旅 15

2019-04-05 13:12:10 | 
5時前に目が覚める。荷物を整理して5時45分チェックアウト。なななは寒くて寝れなかったという。確かに冷房きき過ぎだった。まずは飛行機の出るゲートCへ。早朝にもかかわらず人が多い。かなり歩いてゲートC51へ。ここで軽くまたなななに背中のマッサージ。今日はおよそ10時間のフライトとなる。7時半すぎから搭乗開始。今回はなななと隣り合わせ。ここまで来ると、日本に帰ってからのことでいろいろなことが気になってくる。そのひとつは水族館劇場のこと。もう芝居は始まっている。帰ったらまずやることはこれに出るためのセリフと歌を覚えることだ。その前に自分が演じることになる伊達麟之輔の小説を読まねばということで、壇一雄の「夕日と拳銃」を読む。満州が舞台の小説というのは何故か心が踊ってくる。なんとか羽田に着く前に読了。飛行機は時間通りに到着。荷物がなかなか出てこなくていらいらしたが、なんとか出てきて、レンタルwifiを返却して、なんとか最終に間に合う。冨岡でちょっとタクシーを待ったがなんとか1時すぎに帰宅。風呂に入りたかったので、まずは風呂。そして缶ビールを飲んで、まずはクリューコフに無事到着を知らせる。それから就寝。時差があるのかな、なかなか寝つかれなかった。

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キエフ・オデッサの旅 14

2019-04-04 12:08:35 | 
いよいよ帰国の日。腰の調子はいまひとつ。一番の懸念は合計16時間のフライトに腰が耐えることができるかどうか。そのためにも通路側の座席を確保したいところ、何度もドバイまでの運航をするドバイエアのオンラインチェックインを試すがどうにもならない。クリューコフはまだひとつ案内していないところがある、なので出発前に見に行こうという。9時半家を出てサーカス場へ。この中に来年オープン予定のサーカス博物館がある。まずはいまこの仕事を担当しているオレグの事務所へ。彼の案内でいま準備中のサーカス博物館を特別に見せてもらう。小さな入り口なのだが、サーカス場のバックステージの階段や楽屋などをうまく使い、縦の空間を生かしたつくりにするようだ。見物客が楽しめるようにいろいろな工夫がされているのだが、その一つが体験コーナー。ローラーバランスになななが挑戦。この博物館の最大の目玉は屋根裏ツアーだろう。初めて入るサーカス場の屋根裏、鳩のうんだらけ。そして実際に鳩が突然飛びだす。オレグがポチョムキンの階段と呼ぶ長い階段を登っていくとなんと外にでるドアがあって、屋上に出ることができる。ここから市内が一望できる。こんな仕掛けがあろうとは・・・・日本のサーカスについてのビジュアルな資料や自分の本などを寄贈することを約して、慌ただしい見学を終える。それにしても最終日までなんと濃密な中身となった。家に戻り、飛行機に乗れば温かいスープは飲めないからとナージャがスープをつくってくれていた。息子のボーバがつくったデモ用の映像を見せてもらい、それをUSBにダウンロードしてもらい、12時20分いよいよ出発。出発前の儀式、全員が座って旅の安全を祈り、旅の別れを言う。全員が座るというのが大事なようだ。息子のボーバがいるから今日は安心。3階から2つのトランクをおろしてくれた。去年は落ち着きがなかったが、ずいぶんといい青年になったものだ。ここでボーバとはお別れ。しかしずいぶん暖かくなったものだとつくづく思う。オペラ・バレエ劇場の中庭に、日本大使館が植樹したというさくらの木もまもなく咲くことだろう。車中ナージャが大統領選挙で決戦投票をすることになったふたりの候補者のひとり現職のポロシェンスキイが討論会をもちかけたところ、コメディアンで第一回の投票で一位となったゼレンスキイが7万人入るスタジアムでやろうと言ったと、大笑い。一体どんなことになるのか。空港まで40分あまりは今回の旅がどれだけ濃密で楽しくて、ほんとうにお別れするのがつらいという話しになる、なななに絶対また来年来るのよとナージャが言う。ほんとうにあっと言う間の2週間であった。荷物が来なかったり、ぎっくり腰になったり、いろいろあったがとにかく陽気なそして人情味にあふれるクリューコフ夫妻のおかげで、すっかり楽しむことができた。なななもいろいろあったが、いまとなってはすべてがいい思い出になったろう。しきりに夢のような2週間でしたということを言っていた。
13時過ぎに空港着。チェックイン。やはりもう席はいっぱいで、真中の席しかないし、しかもばらばらになるという。仕方がない。腰は朝はいまいちだったが、昨日のなななの整体が効いてきたようで、ずんぶん楽になった。なんとかなるだろう。クリューコフ夫妻といよいよお別れ。クリューコフが円くなってお別れしようということで、スクラムを組むようにして円をつくりお別れ。
15時搭乗開始。満杯のようだ。ここからうそのような幸運がやって来る。アベックの客が席をかわってくれないかという。彼らもバラバラになったのだろう。まあいいだろうと思ったら、席は最後尾の通路側。これはありがたい。さらに幸運がやってくる、真中のお姉ちゃんがどこか痛いから席を代わってくれと客室乗務員に泣きつき、なんと他の席に行ってしまった。満杯の機内で自分だけは真中が空いているなかゆっくり足を伸ばしドバイまで行ける。これはありがたかった。格安航空会社の運航の5時間のフライトが腰に一番きついと思っていた。これでかなり緩和される。
21時半ドバイ到着。前回は焦ったが、今回は11時間の待ち時間があるので焦ることはない。それにしてもとんでもなくでかい空港である。仮眠をとることになっているAゲートまでは移動に小一時間かかった。レストランで天ぷらソバとタイガービール。天ぷらそばは絶対富士そばの方が美味しいが、かつおだしはちょっとうれしかった。仮眠するところをなかなか探せなかったがやっと見つけ、チェックイン。ネットでの評判は良かったのだが、なにせ金額がたかが5時間ほどの仮眠なのに2万近くなのにはびっくり。ただ寝た状態にしないと腰にはきついと思ったのでしかたない。1時すぎに入室。

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