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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

リボフ編8 サーカス学校で講演

2019-10-04 14:53:56 | 
早くは寝たもののあまりよくは寝れなかった。朝方目が覚めトイレに行こうと思ったのだが例によってドアがうまく開かない、ただいままでの経験でなんとかフックを外しトイレにいけた。5時半すぎにまもなくキエフというコールで、みんなはタオルと歯ブラシをもってトイレへ、自分も並ぶが、並んでいると前の人に次ぎは私よといって、席を外していく。ということでなかなか自分の順番がこない、結局自分は最後になった。クリューコフから電話、メッセンジャーで「おはよう」と答えておく。
6時50分キエフ駅着。クリューコフが迎えにきてくれた。昨日大騒ぎになったカバンはあったというメッセージが入っていたので、「良かった良かった」だったのだが、汽車の中に忘れたらしい、カバンには現金やなにより彼のコンピューターである住所録、そして家のキーなどが入っていたとのこと、全部そのままで帰ってきたという、なによりである。汽車の中に忘れたと言っていた帽子を被っていたのでそれも汽車にあったのかと聞くと、家に忘れていたらしい。やれやれである。
なつかしのクリューコフの家に戻る。待っていたナージァが朝飯をつくってくれていた。リボフのビールを飲んで、朝飯を食べ、これで落ちついた。昨日は考えてみれば朝飯しか食べていなかった。そのままベットに横になる。
12時過ぎに目が覚め、講演に行く準備。ここでもまた昼飯を食べるだのたべないだのクリューコフとナージャの間で一悶着あったのだが、時間がないということで食べないで家を出る。キエフの街はすっかり秋めいている。サーカス学校で映像のチェックをしたあと、新しい校長と挨拶。2時半から講演会が始まる。最初は校長の挨拶、そのあとクリューコフが自分について紹介して、それから講演が始まる。
前半はサーカス学会事務局次長の山田君が集めてくれた今年日本で公演したいわゆるコンテンポラリーサーカスのトレイラーを5本ほど見てもらう。このあと日本では海外との共同作業もはじまっているということで、フィンランドの演出家と日本のアーティストの作品つくりについて紹介、そのあとに今日から初演の渡辺君とギヨームの「妖怪ケマラ」の練習風景を見せる。短い映像なので、もう一度見たいということで二度見てもらう。デフラクトと頭と口のことは知っている学生が多かったのでこれはかなりインパクトがあったようだ。
このあとは日本のパフォーマーを紹介したいということで、これも山田君が集めてくれた谷口界君の椅子のネタとホワイトアスパラガスのジャグリング大会での映像を見せる。これが今日一番反応があった。ふたつの映像が終わると会場から拍手がまきおこった。ふたりが沢入のサーカス学校出身で、いまキエフのサーカスの先生となっているナジェージダ・ティシェンコの指導を受けていたということも解説しておく。
このあとはハッピィードリームサーカスのマルチネスブラザーズのイカリアンアクトを見せる。これにも歓声があがる。学生にとっては界君とホワイトアスパラガスの方がインパクトはあったようだ。
最後に先日横浜でワールドプレミアがあった、ギーラリバテプロデュースのインフニティーボールのドローンの映像を見せる。ユーチューブにあったものをそのまま見せたのだが、見ている若い男の声で「すげえ」が連発され、場内から「すげえ」という声が流れると笑いがおこった。人間によるパフォーマンスではないが、これもなかなか受けていた。約一時間半の講演を、また来年もコメディアーダに参加することになれば、ここでまた新しい日本のパフォーマーの演技や、学生が興味をもってくれるような映像を見せたい、いままでは呼び屋の仕事を通じてだったが、今後は6月に結成されたサーカス学会の活動を通じ、サーカス芸術の発展に寄与したいと締めくくる。最後に校長が感謝の言葉をのべてくれてお開きとなった。この日テクニカルを担当していた人が最後の映像についてあれはなんだ、ほんとうにドローンなのかと質問してきた。どうやら関心をもってもらったようだ。サーカス学校でサーカスの歴史を教えているというタマラさんをクリューコフに紹介される。彼女はアーティストしても日本に何度か公演しており、今回訪ねたかったシマダの墓を探してもらっている人で、なんと2年前のポルトガルサーカスに参加したジェーニャとアーラの先生でもあるという。彼女は界君の椅子の演技にはかなり感動したようだ。今後もフェイスブックを通じて交流していくことにする。そして最後に近づいてきた少女が、私のことを覚えていますかと尋ねてきた、なんとなく見覚えがあると気になっていたのだが、パーチのヤーロフの娘だという、子供の頃両親と一緒にルスツに来ていた。思わず抱きしめて再会を喜ぶ。いまは17歳だという。クリューコフがすばらしい反応だったと大喜びしていた。一緒に車に乗った息子のボーバは、いろいろインターネットでコンテンポラリーサーカスの映像を見ていたつもりだが、今回見たのは全部初めてなので、とてもよかったとコメントしてくれた。車の中で坂本九のCDをいつも聞いているらしい(なななが置いて行ったもの)が、この家族の一番のお気に入りは「ムスターハー」という歌。ブラジルにいるクリューコフの孫も大喜びしているらしい。
家ではナージャがでかい鯉を煮つけたものを料理して待っていてくれた。3月にも食べたがこれが絶品なのである。ウォッカにも合う。講演も終わり、クリューコフにすれば大成功ということで大いに盛り上がる。トゥイチーに電話、40分近く話す。サーカス学校のナージャ先生ともやっと連絡がとれ、明後日サーカス場で会うことになった。今日の講演会のことを知っていたのかと思っていたが、誰も教えてくれなかったという。こっちからも連絡すれば良かった・・・
クリューコフが見たいと言っていた自分が出演した水族館の芝居の映像リンクを持ってきたので一緒に見る。自分の出番のところでクリューコフはナージャとボーバを呼び、みんなで鑑賞、これこそリボフのフェスティバルでやるものだと歓声をあげながら見る。自分も自分の演技を見るのは初めてだったので、なかなか面白かった。みんな大喜びして見終わり、今日はお開きとなった。


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リボフ編7 完全休養日

2019-10-03 18:26:31 | 
ベットの周りに服が脱ぎ捨ててある。よほど眠かったのだろう。外は予報通り雨がしとしと降っている。今日は芝居もない、なにもない休演日になったようだ。こういう日があってもいいのかもしれない。アテンドをしてくれていたナージャにメールで予定を聞く。今日は22時に迎えがいくので、それまで部屋にいていいという。なんとありがたい話しか、こういう日があってもいいと改めて思う。まずは明日のキエフサーカス学校での講演の準備。また降って湧いたように決まったというか、クリューコフに決められてしまった話し。ただサーカス学会との関係をこれからも深めていきたいというこちらの意向もあるので引き受けた。今回もビデオを一杯見せるのが一番ということで、サーカス学会の事務局次長の山田君が集めてくれた映像リンクをサーカス学校のベロニカに送る。今日中に事前にダウンロードしたいということだった。なんとかかんとか送る。あとは朝飯を食べて明日の講演の内容をメモ風にまとめる。クリューコフにメールを入れておくが返事がない。荷物を片づけ、息抜きに持ってきた「六龍がとぶ」を見る。またとんでもない展開になっていく。あと7回どうなるんだろう。
荷物の整理をして、帰国してからやらないといけないことをメモにする。今日なにも芝居もイベントもないということであれば、昨日クリューコフたちと一緒に帰った方がよかったのではないかとも思ったのだが、こういうなにもない一日というのは案外大事なのかもしれない。やっとクリューコフと連絡がとれる、なんと昨日クリューコフはバックをなくしたという。劇場に行ったら探してくれという。なんたることか。昨日お昼に酒を飲みながら、10年ぶりにサンクトで再会したときに、自分はモスクワの空港で財布をなくし、酒を飲んだあとバックをなくしたという話しをして大笑いしていたのだが、また歴史は繰り返してしまったということか。
18時劇場に汽車のチケットを取りにいく。今日は何もないというので劇場は静かなもの。ヤロスラフがやって来て、汽車の切符を受け取り、今後のことをいろいろ話し。いくつかACCを通してプレゼンできる企画もあるような気がするので、ディスクを何枚かもらう。
またの再会を約して別れる。部屋に戻って汽車の切符を写真にとってクリューコフに送り、劇場にはやはりバックがなかったことを報告。しかたがないと言っていたが、となりでナージァにお金も入っていたことを伝えていた。22時前にチェックアウト。劇場の副支配人の夫のビターリーさんがやってきて駅まで送ってもらう。汽車の出発は23時20分、電車は22時50分すぎにやって来て、ビターリーが車室まで荷物を運んでくれる。残りの3つの席はみんな女性。汽車が出発する前に皆さん横になる。やることもないのでそのまま自分も横になる。


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リボフ編6 街を散歩

2019-10-02 15:46:44 | 
今日は快晴の予報。これがすぎると一挙に寒くなるらしい。10時に朝食を一緒にとって、11時にキエフのラジオ局のイリーナさんからインタビューを受け、それを録音。そのあと12時に劇場でヤロスラフと会うことになったので、街を散歩。ひとつひとつの小さな路地とか通りがとても趣があるし、みんな歴史を感じる。通りの店やカフェもみんなおしゃれだ。歩くのが楽しくなる街だ。12時に劇場へ。やがてクリューコフたちもやってきて、ヤロスラフのキャビネットで打合せ。いろいろ資料をもらう。
いつものカフェでランチをとったあとは、チョコレートの店を探しながら散歩。やっと見つけたチョコレート屋さんがめちゃめちゃおしゃれ。ナージァは山のようにチョコを買った。ヤロスラフの話しではオペラ・バレエ劇場で明日やる予定だったチェコのグループのショーがあるというので、真ん前のカフェでビールとウォッカを飲みながら公演が始まるのを待つ。始まったところで移動、前の方でビデオ撮影。ほぼサーカス。なかなか楽しかった。気づいたらナージャもクリューコフもいない、彼らは今日はまっすぐキエフに行くことになっている。トイレに行きたくなり、自分は近くのホテルに向う。結構酔っぱらっていたみたいでそのまま寝てしまった。


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リボフ編5 講演をする

2019-10-02 14:46:24 | 
5時に目が覚める。昨日は休肝日にしたので目覚めは早い。ストレッチをしてシャワーを浴び持ってきたコーヒーをぬるいお湯で入れて、今日の講演の準備。ノートにロシア語で要点だけをまとめる。日本の野外演劇について簡単に紹介しようと思った。こっちにきてから話してくれと言われたのだがプログラムを見たら、演劇関係者による円卓会議というのがあったので、ここでなにか言われるのではないかという気がし、であれば野外演劇ということで水族館劇場の映像を見てもらうのがいいかと思って映像は持ってきてあった。映像も細切れに見せるしかないので、そのポイントを確認。9時に部屋に来ると言っていたクリューコフ夫妻が来ないので、食券をもって部屋に行く。昨日夜何も食べていないから腹が減っていたのだ。
10時過ぎにホテルの近くのオペラ・バレエ劇場の2階にあるレクチャールームへ。天井の高いすばらしい部屋。まずはUSBのチェック。水族館の映像は最後なので、自分がパソコンのところに行って操作することにした。映像がなんとかなりそうなので少しホットとする。何故か自分は前のテーブルに座らせられる。3番目に講演。ロシア語で通訳なし話し始めたらわっとという声があがり、拍手がおこった。これだけが自分の取り柄である。1970年代の紅テントと黒テントを紹介して、維新派のことを説明したのちに、水族館の映像を見せる。反応はいまひとつわからないが、なんとなく集まった人たちのまずは記憶に残ってもらえたらいいのだが。ジェフ・ヘスとデビットはとても喜んでいた。14時過ぎまで6人がスピーチ。昨日見た「ワーニャ伯父さん」のハンガリーのカンパニーの人を紹介される。講演が終わったことで今回の招待に対するオブリゲーションはとりあえず果たしたことになるのでほっとする。今日は天気もいいので気持ちよく3人で散歩しながらいつものランチカフェへ。今日は講演も終わったということでビールとウォッカを飲む。
ホテルに戻り少しだけ休んで、17時の芝居を見に行こうと思ったら、またハンガリーの劇団と会って、いろいろ話しているうちに17時の開演に間に合わなくなった。この芝居は途中入場ができないということで、近くのカフェでコーヒーを飲む。
19時からの「釜-八月オーセージ郡」(トレイシー・レッツ)を見る。これはきつかった。さっぱり筋はわからないし、しかも長い。終わったのが22時。次ぎの芝居が21時半からだったのでバスで次ぎの劇場に向う。ここは電車の車庫のようなところだった。ここでデビット・マメットの「オリアンナ」というワイルド・シアターの公演を見る。我々の到着を待っていてくれたようだ。22時過ぎからふたり芝居が始まる。こんなに遅く始まったのだから早く終わるかと思ったらとんでもない。たっぷりやってくれた。砂ぼこりがまったり、だんだん寒くなってきたので咳が出てきて、芝居を見るというような環境ではなくなる。我慢比べであった。しかし平日の夜に24時まで芝居を見ている人が100人以上はいたというのに驚く。どうも風邪のひきがけのような感じになったので、すぐに部屋に入り、買ってあったウォッカを一杯ひっかけてベットに横になる。

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リボフ編4 市長表敬訪問

2019-09-30 13:03:33 | 
6時過ぎに目が覚める。こちらにきてからメールの返事ぐらいしかできていなかったので、ブログをまとめたりする。7時過ぎ窓を見ると、朝焼けが・・・
3日分のブログをなんとかアップ。家から持ってきたパソコンのネット接続ができない。この前石巻に行ったときもそうなったので予備にもう一台持ってきたのは正解だった。まどろこしいやり方だがしかたがない。
明日の講演のための準備。10時過ぎにクリューコフが部屋にきて、朝飯を食べに行く。
ジェフ・ヘスと一緒になり、昨日の彼の作品についてクリューコフがいろいろアイディアを出す。クリューコフを部屋に連れてきて、8月にやったクラウンミーツの映像を一緒に見る。リンクは送ってあるのだが、まだ見ていないというのでこの機会に一緒に見て彼のダイレクトな反応が聞きたかった。ふくろこうじの椅子のギャグにかなり興味をもったようで、彼なりのいろいろなアイディアがあるようでそれを本人に伝えてくれというので、あとでメモ的にメールしておく。2時すぎにカフェでランチをとろうということになってそれまで休もうということになったのだが、まもなくすぐに出かけようとやってくる。何でもゲストは全員市長を表敬訪問するということになったらしい。市庁舎は街の中心にあった。なかなか気さくな市長さん。バルコニーでココアをご馳走になりながら、記念写真をとったり各自紹介してもらったりする。それからちょっと高台にある2014年の戦争で亡くなった人たちの記念碑を見学したあと、カフェでランチ。今日は休肝日にしようと決めていたのでビールもウォッカも飲まず。あれだけ天気が良かったのに急に雨が降り出す。ネットの天気予報では確かに雨は40%の確率だったのだが、ほんとうに降ってきた。それもひどい降りになる。少しおさまったところで劇場に向う。17時からポーランドの劇団の芝居。これがまたさっぱりわからない抽象劇でとなりでクリューコフが何度もため息をついて、お前わかるかと聞いてくる。彼がわからないのだがらこっちがわかるわけがない。まさに苦痛の時間であった。このあとはすぐ近くにある劇場に移動して、今回の負スティバルの主催者のヤロスラフの演出の「ワーニャ伯父さん」を見る。出演するのはハンガリーの劇団で言葉もハンガリー語。隣にヤロスラフが座る。これは寝れないぞ・・・
ヤロスラフはかなり緊張している。やっと普通の芝居が見れた感じがする。ナージャがいままで見てきたのはドラマトゥルギーがないと怒っていたが、確かにそう感じるところもある。なんと言っても「ワーニャ伯父さん」である。しっかりとしたドラマトゥルギーがあり、新しい演出があり、役者さんも上手い、新しいチェーホフの世界があった。公演後ヤロスラフのところに何人もの人が素晴らしかったといいにやってくる。中には涙を流している人も。良かったとこっちも思ってしまう。雨もあがりホテルまで帰る途中、Macでお茶だけ飲む。クリューコフ夫妻はなにか食べようと言ったが、すぐ寝たいので断りお茶だけにする。部屋に戻りゲームを少しして、就寝。

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