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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

曲馬師の故郷へ(東北の旅2 八幡平)

2023-06-23 08:17:01 | 
6時45分の山田線で盛岡に向かう。昨日飲んだあと寄ったコンビニはまったくの無人だったが、今日は人がいた。朝飯用のパンを買って、駅へ。うれしいことに立ち食いそば屋がちょうどオープンしたばかり。めかぶをトッピングしたそばを食べる。これがほんとうに駅そば、汁まで全部のんでしまった。うまかったな。

宮古駅の隣に市役所があった。ここでもウクライナの平和を幕が。

山田線はたぶん初めて乗る。新緑がまぶしいぐらいにきれい。それと山法師の花も。およそ2時間半の旅路なのだが、ここは寝ないようにずっと車窓を見ていた。雲海も見えてくる。
ずっと山間を走っているので、景色自体は単調なのだが、見入っていた。たまにうたた寝をしていると、窓に木の枝が激しくあたる音ではっとする。盛岡まであと3つぐらいの駅をすぎたところで、また前の電車が鹿と衝突、その現場確認のために速度を落とすとのアナウンス。鹿との衝突はこうなるとよくあることなのだろう。現場確認の場はあえて見ず。さほど遅れもなく盛岡に到着。花輪線のホームへ。ここはいわて銀河鉄道の管轄になるようだ。
大更という駅で下車、曲馬師が建てた家に住む方が車で迎えにきてくれた。車で家へ向かう。途中焼走という標札を見る。もしかして岩手山の登山口ですかと尋ねると、そうだとのこと、今日は雨模様で見えないが、ここから岩手山が大きく見えるというではないか。となるとこの駅にはおりたことがある。岩手山を最初に登ったときは焼走でキャンプしてから岩手山をめざした。
曲馬師が建てた家に到着。ここで家を見学させてもらいながら、いますんでいる方のお話をいろいろ聞かせてもらう。とてもいい話を聞いた。石川清馬もそうだが、この曲馬師も故郷に錦を飾り、石川と同じように、町の人からは曲馬さんと呼ばれていたという。向かいにある酒屋さんのご主人を紹介してもらう。驚いたのはこの方のお父さんに宛てて、尾崎宏次先生が手紙を出したものを保管されていたこと。尾崎さんとここで会えるとは・・・またなにか運命的なものを感じる。
駅まで送ってもらって、盛岡から仙台に向かう。車中「石巻学」の原稿整理。
仙台から泉中央へ。スーパーで今日の焼き肉の買い物をして、17時過ぎ帰宅。
今日は焼き肉。弟に奉行をやってもらい焼き肉食べながら、買ってきたワインを2本あける。弟の話で、自分が釜石に一時期住んでいたということがわかる。これはおふくろから聞いた話で、おやじが釜石で働くことになったとき、おふくろも生まれたばかりの自分を連れて住んでいたが、周りにだれも知っている人がいないので、こわくなり早々に石巻に戻ったとのこと。おふくろに聞くとまったく記憶がないという。ちゃんと聞けるときに聞いておかないと、ということだな。
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いざ東北へ(東北の旅1 遠野・釜石・宮古)

2023-06-22 05:30:26 | 
朝起きて、まるこの食器を見ると、まったく減っていないではないか。ということはまったく昨日は下に降りてきていないことになる。どうしたのか心配になるが、6時半すぎに家をでる。今日から大人の休日倶楽部パスをつかっての東北への旅がはじまる。東京駅はまさにこのパスを利用しようという自分と同じぐらいの年の人でいっぱい。自分の今日の目的地は遠野図書館。途中妻から、まるこが下に降りてきて、24時間ぶりに飯を食べたというラインが入り、ほっとする。良かった・・・新花巻で乗り換えなのだが、新花巻ではかなりの人が下車していた。温泉ツアーの人が多かったようだ。釜石線に乗り換え、遠野へ。
飯を食べれそうなところが駅の回りにはあまりなくこれだと食い損ねるかもしれないということで、駅近くの喫茶店でランチをやっているところがあったのでここで昼飯。辛豚丼だったが、うまかった。遠野図書館の郷土資料館でめざす資料を探すも見当たらず、受付にいって司書の手を借りて、みつけてもらう。なかったらどうしようと思ったが、良かった。問題は著作権法で全部コピーはとれないこと。資料を何度もチェックしてどこをコピーするかを決める。この時驚いたのは、この私家版の冊子の出版者の住所を見たとき。なんと仙台の実家と同じ町内ではないか。住所をノートにとる。
図書館での用事が終わったので、つぎは釜石線の終点釜石へ。途中上り電車が鹿と衝突したため、待ち合わせ駅で15分以上も待たされる。釜石の駅につくと、鉄と魚とラグビーの町という大きな看板が目に入る。まるで俺の町じゃんと思ってしまう。宮古行きの電車まで時間があったので、港の方に行ってみる。
子供の頃というか赤ん坊の頃おやじが自分を抱っこしている釜石で撮った写真があったので、ずっと気になっていた。それで今回は遠野-釜石-宮古へというルートをとることにした。駅から歩いて20分ぐらいのところに港があったが、防波堤に囲まれて閉鎖感が半端ない。こっちやはりそうなのかと思ってしまう。それでも港が見れてよかった。
駅に戻り、今度は三陸鉄道に乗り換える。
一両のかわいい電車。三陸鉄道の駅にウクライナに平和という看板があったのにはちょっと感激。ここから釜石までの車窓からの景色を眺めるのが楽しみだったのだが、防波堤で望めなかったり、さほど海の近くを走るわけではなかったりと、そんなに海の景色はみれなかったのにはがっかり。あまちゃんの撮影されていたところは違うところだったのだね・・・釜石をでてすぐに大槌や吉里吉里の駅はあったが、あそこは降りて歩きたかった。
宮古に着いたときは乗客は2人だけだった。
まずはホテルにチェックイン。もう8時になるので、ホテルの近くにあった居酒屋に入る。そこそこいっぱいの人がいた。カウンターに座りまずはビールを飲んで、店の人の薦めにしたがって、まんぼうの串焼き、地元で養殖している鮭(宮古はサーモンタウンらしい)の陶板焼き、刺身の三点盛りを頼む。刺身盛りを頼んだのは吉田類の真似。みんな美味しかった、まんぼうはこりこりしていたし、刺身盛りに入っていたどんこの刺身が絶品、そして鮭の刺身も。これだと酒でないとということで地元岩手の酒をもっきりとグラスで3合ほど飲む。締めは陶板焼きにご飯を載せたもの。全部うまかった。ここは大当たりだった。

朝も早かったので、ホテルに戻って、先日娘からもらった余市ウィスキーをケットリにいれたものを寝酒に飲んで、就寝。
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リボフ編11 帰国

2019-10-07 11:51:31 | 
今日も人形劇を見に行く。今日はハンガリーのオブジェクトシアター。いろいろなアイディアが折り込まれ、それを9人のアクターの動きでまさに変化自在な世界が現れる。人形劇というよりはクラウニングといってもいいかもしれない。クリューコフ親子はかなり気に入ったようで、クリューコフは公演後カンパニーのマネージャーと会って、名刺をもらっていたコメディアーダに招待したいという。コメディアーダにはぴったりかもしれない。ただ人数が多いが、これは調整できるだろう。公演後自宅近くまで戻り、ナージャを乗せてサーカス場へ。今日はサーカス博物館の支配人でもあり、サーカスの副支配人でもあるオレグと面会。開口一番新ディレクター就任後のサーカスの現状について、かなりの危機状態にあるとクリューコフ夫妻に訴える。チケット販売システムに対して茶々を入れられ、チケット販売が思うようにいかないこと、そして番組も落ちている、それはすべて新しいディレクターが就任してからおきたことで、入場者は去年に比べて大幅に減っているという。かなり状況は切実、また深刻なようだ。こんな話しを聞いたあと、サーカス博物館とサーカス学会の交流についていろいろ提案するのもなんだったのだが、持ってきた資料をとりあえず寄付。オレグはとても喜んでくれたし、提案があればよろこんで検討するし、交流はやっていきたいということでみんなで記念写真。
このあとサーカス場の向いにあるクリューコフ夫妻お気に入りの海鮮レストランというか貝(ムール貝)料理レストランでランチ。今日はクリューコフは自分を空港まで送っていかないといけないので飲まないというので、ナージャが付き合ってくれる。貝は確かに美味かったが、実が小さい。窓の外をみていたクリューコフが「あっ」と声をあげる。雪が降っているという。確かにみぞれのようなものが一瞬降ってきた。
家に戻り、まずは荷造り。今回は新しいスーツケースで、前のよりは少し大きめなので、なんなくパッキング。ナージャが見送りの乾杯ということで、食堂で待っていた。またウォッカを注いでくれて乾杯。20時に家を出る。家族全員が見送りに空港にきてくれるという。余裕かと思ったらなんと大渋滞に巻きこまれ、結局22時半すぎに空港着。オンラインチェックインをしていたので問題なくチェックイン。三人の家族と記念写真を撮ってお別れ。

23時40分離陸。ここで熟睡したかったのだが、あまり寝れなかった。定刻より30分前にドーハ空港着。ここでの乗り継ぎが短いので心配だったのだが、余裕だった。6時45分ドバイ発。朝飯を食べたあと「恋人たちのパレード」を見る。いくつか発見があった。武田泰淳の本も途中まで読んだのだが、今回はいろいろ中身が濃い旅になったので、字を読むのが辛くなってきた。カタール航空に乗るのは初めてだったが、乗り継ぎなどはドバイよりは楽だし、全体的に悪くはないのだが食事があまり美味しくない。夕飯は残す。
定刻通り到着。荷物も思ったほど遅くなく出てきた。帰りの電車は当然混んでいるだろうということで、スーツケースは宅急便で送ることに。エアーポート急行に乗れて、冨岡には12時半過ぎに到着。帰宅するとまるちゃんがお座りして待っていた(?)ようにお迎え(たぶん本人的にはちがうと思うのだが)。風呂に入って就寝。

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リボフ編10サーカスを見る

2019-10-06 16:37:31 | 
クリューコフ夫妻は別荘に行く用事があるということで早くに出発。ボーバが朝飯をつくってくれる。何やら外で歓声が聞こえるので見たら、どうやらマラソン大会をやっているようだ。10時に家を出る。今日は歩いて人形劇場へ。街はマラソン大会一色。昨日も見た見晴らし台を通ってのんびり散歩しながら劇場へ。キエフの街はすっかり秋である。11時からセルビアの影絵を見る。ロビーでは日本の女性の方が、のぞきからくりのような一人で見る人形劇をやっていた。セルビアの影絵はとても面白かった。プロジェクターで背景を次々に変えていくのでカラフルな感じで見れる。いろいろな動物の動きがとても素朴で、人間のからだでそのかたちをつくりだすので、ライオンそのものにはあまり似ていないのだが、それがかえって想像力をかきたててくれる。公演はセルビア語でやっていたようだが、隣で見ていたボーバはほとんど理解できたという。ウクライナ語とセルビア語はほぼ同じだとも。ボーバもこの芝居がとても気に入ったようで一緒に人形パフォーマンスをしている仲間に電話して見に行くように話していた。確かにとても参考になるだろう。帰りもボーバの案内で街を見物しながら散策。今年の3月来たときは考えてみたら、サーカス学校とサーカスしかいかなかったので市内見物ができなかった。天気もよくいい散歩になった。部屋に戻るとしばらくしてクリューコフ夫妻が戻ってくる。別荘からたくさんのクルミとかトマトを持ってきた。ナージャが何も食べてないんじゃ、ボーバはいったい何をしていたのとわめきはじめたので、ちゃんと朝も昼もたべさせてくれたし、市内見物もできたし、すごく満足しているといっても聞かない。サーカス学校のナージャ先生と3時にサーカス場で会うことになっていたので、ここでまた昼飯を食べたら遅れるので、食べずに出発。例によって車の中では坂本九の曲がながれ、「ムスターハー」を親子で合唱している。陽気な家族である。サーカス場の前でナージャ先生と落ち合い、サーカス場のカフェで再会を祝して乾杯。クリューコフがいつも持ってあるいてあるグラスに持ち込んだウォッカを注ぐ。先生はいまサーカスアカデミーではなく、サーカス場の練習場で教えているという。だからサーカスアカデミーに貼られていた自分の講演のポスターも見ていないということだった。先生はいま90人の生徒を教えているという。兵隊に行っていたサーシャもいま戻っていて、運転手をやっているという。それからインスペクターマネージュをしているタマラさんのところに行って、また乾杯の続き。ここでタマラさんがサーカスにまつわるアネクドートを連発披露。これが大受け。サーカス学会の創立総会の時に桑野さんがサーカスに関するアネクドートをいくつか紹介していたのを思い出す。これを集めて本にしたら面白いだろうが、誰が買うのかということだな.
まもなく開演というところで客席へ。先生の教え子のハンドスタンドがすごかった。一部が終わったところでクラウンの部屋に寄って、そのままサーカス場を出る。先生ははじめから一部を見たら帰るつもりだったし、クリューコフ親子も17時から始まる中国の人形劇を見たかったようで、予定の行動。人形劇場は超満員。補助席を出してもらって見る。変面をやったりサーカス芸なども披露する、まさにケレンの技の連続。面白かったが、自分はセルビアやクロアチアの人形劇の方がよかった。
20時過ぎに家に戻る。またウォッカの続き。ナージャは早々に退散。ボーバとクリューコフと3人で、五人囃子の話しになる。初めてクリューコフの制作ノートを見せてもらう。彼にとってはたいへんな仕事だったとそのノートを見て思う。ウォッカがなくなったところでお開き。いよいよ明日は帰国だ。


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リボフ編9 人形劇フェスティバル

2019-10-05 16:33:42 | 
朝食を食べながらテレビを見ていると、いきなりプーチンが出てきて、今日は「先生の日」ということでお祝いの言葉をしゃべっていた。今日はウクライナでも先生の日で休日らしい。クリューコフの話しではヨーロッパではみんなこの日は先生の日ということになっているという。教師をしている上の娘が聞いたらびっくりするだろうな。
今日はキエフで今日から始まる第三回国際人形劇フェスティバルを見ることになっている。まず最初の演し物は11時から始まるので、それに合わせて家を出発。サッカー場の隣、キエフでも名所のひとつとなっている公園の中に劇場があった。素晴らしいお城のような劇場であった。リボフで知り合った劇場のディレクターと挨拶、招待券をもらう。最初の演し物はクロアチアの劇団の「カシタンカ」、カシタンカの犬の動きが絶妙だった。途中うるうるしてしまうほど感動した。このあとカフェでお茶を飲んだあと、13時からベルギーの人形劇を見る。これはあまりぴんと来なかったが、子供たちは喜んでみていた。次ぎの公演まで時間があったので散歩しながら、グルジアレストランに入る。昔キエフに来たときにきたことがあるドニエプルを見下ろす見晴台には、ロシアとウクライナの友好をたたえるアーチ状の碑がある。これをなくしてしまおうという動きもあるらしい。ここの見晴台とウラジーミル公の碑がある公園を結ぶ橋が最近できたという。この橋を渡り、街中に出る。すっかり木は色づき秋めいている。
グルジアレストランではワインを飲む。途中ずっと気になっていたサモアと日本の試合結果を見る。日本勝利に思わず歓声をあげる。ここで祝杯をあげる。いよいよ福田さんと見に行くスコットランド戦が重要な試合となることに。祝日ということで今日はパレードがあるという。人形劇場に戻り、17時からスペインとコロンビアのふたりによる人形劇を見る。これは正直あまりわからなかった。客もつかったりしているのだが、言葉がわからないということもあるのかもしれないが、うまくいっていなかったような気がした。ナージャから絶対行くように言われたトイレへ行く。こんなファンタスティックなトイレは他にないのでは。水族館トイレと呼ぶことにした。途中前にも寄ったことのあるメガマガジンで買い物をしてから帰宅。
今日はナージャのお得意の料理のひとつらしいカルボナーラを食べながら、ウォッカを飲む。
オペラ・バレエ劇場の脇の公園では、なにやらパーティをやっている。途中何度かクリューコフと見に行く。23時過ぎに就寝


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