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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

コメディアーダ審査会議

2018-03-31 13:54:50 | 
朝飯を食べているときフリッシュがやってきて、昨日の三雲君の演技についての感想とダメだし。とにかく素晴らしい演技だったし、状況も全部わかった。カナダから来たシルクドゥソレイユの演出家も言っていたが、ゲロを吐くシーンはカットしたほうがいい、それと最後は歌を歌い、マイクと踊ってみたらどうかとのアイディア。ただほんとうに良かったと絶賛。10時出発と聞いていたのだが、下に行っても誰も居らず。クリューコフとヴァロージャがおりてくるも、バスも来る気配はなし。バスが着いたらレセプションに連絡するということになったらしい。とにかく11時過ぎにバスが来て、劇場へ。今日は一日ワークショップ。まずはディクールのマイムのワークショップ。
三雲君はチャバのワークショップに参加。仮面をつかったワークショップをイスラエルから来たゲンナージがやっていたがこれがなかなか面白かった。デリーエフがやってきて昨日の三雲くんの演技をほんとうに素晴らしかったと絶賛。彼の演技力はほんとうにすごいという。その証拠となるのが写真。マスキの専属カメラマンが写真を連写で撮って、あとでいらないものを捨てようと思ったのだが見ていたら全部のカットの表情がみんな違っていたという。素晴らしいクラウンを連れてきてくれてありがとうと感謝される。
4時からずっと見たかったオデッササーカスに行くはずだったのだが、到着した日に4時からあるシャドウシアターを見に行くことになっていたのを忘れていた。約束したのだからいかないわけにはいかない。三雲君と一緒に見に行く。影絵というよりはフィジカルシアター。アイディアは面白いと思うが、1時間20分は長すぎ。途中何度も船を漕ぐ。三雲君も一緒に行ったチャバも同じ感想。
劇場に戻るとクリューコフからいきなりモスクワから来たというサーカス芸術を大学で教えている人を紹介される。20分押して7時20分からガラショーの二日目の公演が始まる。
今日の公演の方が昨日よりは内容的にはまとまっていたと思う。ウクライナの女性クラウンのロカは非常に良かった。自分の中ではグランプリ候補。公演のあと去年も行ったレストランフルンゼで審査会議。最初に審査委員長のクリューコフが候補を述べて、あとは委員がそれに対する意見を述べるということになった。クリューコフ案の中に三雲君が入っているかどうかドキドキしていたが、彼の口からイオリ・ミクモと名前が出たときは思わず心の中でガッツポーズ。これに対してどんな意見がでてくるかちょっと不安はあるが、自分も冷静に全体を見て三雲君の演技賞は妥当だと思う。クリューコフ案について技術賞としてあがっていたジャグラーについて、サーカスフェスティバルであれば、彼女が受賞するのはまったく問題ない、ただこれはクラウンフェスティバルなので、楽器をつかったり皿回しをしたりと多彩な演技を見せたクリィムンスキイがいいのではという意見が出て、クリューコフも同意する。グランプリはジェフになったが、三雲君の演技が一番ではという意見も出た。ドイツからきたビクトリアがとにかく彼の演技は素晴らしいと絶賛。三雲君の演技賞については他から異論はでず満場一致で決定。ちょっと涙が出そうになる。
そのあと会食となるもすでに24時を回っており、あわただしく食べてバスでホテルに戻る。うれしかったのは去年も初めて食べてはまったヴィチカという魚のフライが出たこと。美味かった!
今日は昨日のメンバーの他にリボフから参加した人も入って二次会。今日は3時前には終了。まだ正式発表前なのでツイッターとかにはあげれないが、とりあえず会社には三雲君の受賞を報告するメールをいれてから就寝。
明日は雨の予報だというのだがどうなるのだろう。とにかくさすがに連日のウォッカでくたびれてしまった。

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今年のオデッサは寒いぞ

2018-03-29 14:07:44 | 
イスタンブールまでは13時間もある。結構寝れたと思う。目が覚めてからは持ってきた「磐渓事略」を読み始める。大槻玄沢の息子磐渓のことを孫にあたる如電が回想したもの。これが抜群に面白い。やめられなくなる。磐渓が父の影響を受けてロシアびいきであったこと、戊辰戦争の時の東北同盟のイデオローグであったこと。明治維新150年と浮かれているが、彼の書いた宣言文こそいま再読されるべきだ。
現地時間4時にイスタンブール着。オデッサ行きの飛行機がどこのゲートから出るかの情報は例によって1時間前にならないとわからない。三雲君と一緒に2時間ほど待って、指定されたゲートへ。ここでまた理不尽なウェイティングがあって飛行機はおよそ1時間遅れて出発。イスタンブールは雨でしかも寒い。そして着いてオデッサも晴れてはいるが肌寒い。来る前に天候情報をネットでチェックしなかった。この寒さは想定外。迎えに来ていたサーシャの話だと2日前は雪が降ったという。ホテルに寄って他のメンバーを拾って劇場へ。クリューコフ夫妻、去年のグランプリチャバらと再会を喜ぶ。劇場着。三雲君はマスキがつくったこの自分たちの劇場に興奮気味。ヤーナ、デリーエフたらと再会を喜ぶ。さっそくディレクターの部屋でコニャックを一杯。14時からコメディアーダ期間中に開催されるクラウンの古いスケッチの展覧会の開会式。オランダから来ている(去年も会った)クラウン好きの絵描きさんのコレクションの一部が展示されている。
いったんホテルに戻る。ネット関係はいいのでこの前の中国のように不便はない。場所はポチョムキンの階段の向え、いいところで古いホテル。なぜか銘々の部屋に名前がついている。自分の部屋はクプリーンの部屋、クリューコフの部屋はマヤコフスキイの部屋。
19時から「QuartetDEKRUとJelf Hess と去年も参加したキエフのサーカス学校の4人組4Maticsによるクラウンショー。マイムの4人組QuartetDEKRUのショーは素晴らしかった。フリッシュも来日、再会を喜ぶ。
ホテルに戻ってマヤコヘスキイの部屋でクリューコフと再会を祝す乾杯の杯を重ねる。さすがに眠くなる。

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下北紀行2佐井の朝

2017-06-25 13:56:36 | 
多賀丸の碑を見ておいた方がいいだろうと思い立ち軽く走りながら、碑のところへ。イカ釣り船があるのは佐井らしい。去年のイカはまったくの不漁だったとのこと。今年はどうなのだろうと地元の人が心配していた。漁は来月ぐらいからはじまるとのこと。記念碑のところにいたら一人で遊んでいた少年が寄ってくる。むつ市内に住んでいて、週末はおじいさんとおばあさんがいる佐井に遊びにくるらしい。小学生3年とのことだったが実にしっかりした少年で、ここの神社のお祭についてしっかり説明してくれた。ではということで神社に行くことにしたら、しばらくぶりだから自分も行くということで一緒いに行くことに。この間もずっとお祭のことを話してくれた。子どもがこうして地元で開催されるお祭について一生懸命に語るのはなんて素敵なことなのだろうと思う。あんまり楽しそうに話すからそのにぎわいぶりが目に浮かんでくるようだった。おかげで素敵な朝をすごさせてもらった。
9時半に民宿を出て、一路講演会が開かれる大畑へ。途中本州最北端の大間で記念撮影。
12時半から講演会。今日はせっかく下北に来たので若宮丸の話しではなく、前半は慶祥丸と善六の話し、後半は多賀丸からメッセージということで、レクシコンの辞書の話しと菅江真澄が採集したロシア盆唄について話した。この唄の節回しを知りたいものだと言ったら、一斉にこれは佐井の盆唄だという声があがり、下北地方の民謡を集めている方がいらっしゃり、この盆唄の節でロシア盆唄を唄ってくれた。うれしかった。ずっと気になっていたことだったのだ。
唄ってくれた女性に講演後にあらためて唄ってもらい録音した。レクシコンの辞書はいまでも地元の漁師たちはつかっていますよと教えてくれた人もいた。なかなか波瀾に満ちた展開となったいい講演会になった。大湊線は日曜ということでまったく汽車がなく、野辺地近くから来てくれた方の車に便乗して、野辺地まで送ってもらう。車中も唄の話しでもちきりになる。
野辺地ですぐに電車が来て八戸へ。昼を食べていなかったので軽くビールを飲んで食事。18時過ぎのはやてで一路東京へ。持ってきたワイファイは仙台近くまで圏外。見ようと思ったDVDも見れず、結局水族館劇場の北九州公演の前半だけを見る。22時過ぎに帰宅。さすがに疲れたな・・・

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下北紀行1半島半周

2017-06-24 12:58:56 | 
いくつになっても母は母。早くでるということで筋子入りのおにぎりをつくってくれた。6時半前に家を出る。仙台駅では1時間ぐらい時間があったので、おにぎりの朝飯。はやては超満員。立ち客も。八戸までは1時間半足らず。大人の休日倶楽部の割引利用の人で駅も電車も混み合っている。青い森鉄道と大湊線をつかい終点の大湊に着いたのは11時半ぐらいだった。駅では佐藤ミドリさんはじめ出迎えの人たちが待ち構えていた。今日は川内、牛滝、佐井と回るというかなりハードなスケジュールになっている。三台の車でまずは中川五郎次の故郷川内村へ向かう。ここの立派なまちの駅でお弁当を食べてから、冨岡さんの家を訪ねる。ここで五郎次の川内時代についてのお話をさまざまな資料を見せてもらいながらお伺いする。吉村昭さんも「北天の星」を書かれた時に冨岡さんのところに来たとのこと。川内庁舎の2階にある五郎次展示コーナーを役所が休みだったのにもかかわらず特別に見せてもらう。ここから牛滝に向かう。牛滝は慶祥丸が出帆した港。海沿いの道はなく、山道を登っておりてしながら向かう。牛滝の港をまず見物してから坂井さんの家を訪ねる。かつてここはヒバの積み出しで大いに賑わったという。3千人の人が伐採し、運んで、さらには製材して積み出したという。それにしても坂井さんの家は宝の山だ。江戸時代のヒバ木材の商い、明治以降はラッコとかやっていたらしい。この家の蔵を調べるといろんなことがわかるんじゃないかな。北前交易や北方との交易のこともわかるような気がする。
最後の目的地佐井に向かう。ここも同じように山を登って下ってということになる。途中仏が浦を見る。こんなところを菅江真澄は歩いたのかなと思う。
佐井で10年ぶりに渋田さんと再会。真澄が10日逗留したときに泊まった部屋で貴重な資料を見せてもらう。あらためて写真撮影。渋田さんのことばは本格的な下北ことば。津太夫と左平と合流した慶祥丸乗組員と会話したときはこんな感じだったのだろうかと思ったりも・・・・
このあとは渋田さんにも入ってもらい今日の下北ツアーの参加者で泊まる民宿で食事会。うにが絶品だった。それ以外にもほややほたてにイカ、海の幸を満喫させてもらった。朝も早くかなりハードなスケジュールだったので、部屋に戻り100メートル決勝を見てそのままばったり。

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帰国

2016-12-08 22:57:16 | 
今日も寒い。ここオデンツォフは-11度。お母さんのフェルーザが今日手術で不在。自分が寝ているのはフェルーザの部屋。娘のディアーナは母を求めて部屋に入っている。当然だろう。ズフラに叱られる。
胡椒入りのウォッカが効いたようだ。ずいぶん楽になる。朝飯を食べたあと、ズフラがセルゲイにいまやっているストッキング販売について話すと、セルゲイはいたく感心していた。こうした積極的な売る姿勢がいいということだ。サハに手伝いに来ないかと誘われていた。確かにズフラは商売に向いている。
セルゲイとお別れ。これからロスカンパニーとサーカス学校に行くという。今回は思いがけなく会えて、良かった。しっかり抱き合ってお別れ。
ズフラも商売に行くというのでここでお別れ。トゥイチーのアシスタントしているときより生き生きしている。
残されたディアナとトゥイチと三人でランチのプロフを持って新宅へ。
荷造りをしてトランクを計量して支度完了。ランチをウォッカ付きで食べる。昼飯後1時間半ほど昼寝。トゥイチーが渋滞情報をこまめにチェック。3時半家を出る。ここから1時間半で空港に着くという予想なのだが。途中あちこちで渋滞にかかる。感心しちゃうのはディアナが車に乗るとすぐに寝てしまうこと。
5時半空港着。トゥイチーと慌ただしく別れを告げる。チェックイン。ここまでくると一安心。
帰りの飛行機はガラガラ。でも寝れず。夕食を食べたあと持ってきた「ワイルドバンチ」を見る。途中ディスクを替えるよう指示。でも2枚目ないし。また持ってくるのを忘れたのかもしれない。いいところだったのに・・・・
ほぼ定刻通り到着。
やっと終わったなあ・・・・
リムジンでYCAT、そこからは京急で冨岡まで。ここからはタクシーで自宅まで。


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