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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

サンクトの旅2

2018-11-16 03:08:16 | 
9時半集合。今日からモンテカルロのフェスティバル関係者の3人が加わる。中国・デンマーク・日本の3人は人類学博物館で降ろされる。えらく立派な建物だったが、フォーラムの共同宣言会場らしくものすごい仰々しい会場つくりとスタッフの多さに驚く。将来の協力関係に関する文書にサイン、偉く仰々しいのだが、会場には関係者以外はほとんど聴衆がいない。この政治の匂いがぷんぷんなところもフォーラムの一面。歩いてサーカス場へ。11時過ぎからフォーラムの二日目の円卓会議。モンテカルロのフェスティバル関係者のひとりで、モンテカルロにプライベートのサーカス博物館を開いているおじいさんの報告。今年はサーカス博物館が出来て90年ということで、それを記念した館長のエカテリーナさんの報告。そのあとランチブレークの前に、サーカス博物館所蔵の展示物がサーカス場のあちこちに陳列されているのだがそれを案内してもらうことに。ロシア語の解説員はユリアがやる。そのあとについていく。サーカス場が新しくなってからはゆっくり落ち着いて展示物をみることがなかったのでこれはとてもありがたかった。このあとで一人の女性が近寄ってくる。モスクワのボリショイサーカスの名刺をもっていた。来年9月にフェスティバルをやるのでぜひ日本のアーティストを紹介してもらいたいとのことだった。
このあと後半の円卓会議は、海外でのロシアサーカスの活躍ぶりを紹介するコーナー。シルクドゥソレイユのキャスティングスタッフは、シルクドゥソレイユが誕生してから参加しているロシア人のグループを紹介。最後にひとりのクラウンの演技が紹介されたが、これはほぼスノーショーのぱくり。モンテカルロで賞をもらったロシア人の紹介は午前中に報告したモンテカルロのおじいちゃん。あとはデンマークのトラペーズという新しいサーカス団の代表のおばさんの報告。この方はベネワイスの宝塚公演の一回目に自分の旦那さんが参加しているし、静岡の大道芸フェスティバルには息子のコメディーアクトをアシスタントとして出演したことがあると言っていた。
この報告で文化フォーラムは終わり。このあと全員でブンカフォーラムのオープニングセレモニーガラコンサートがあるマリンカ(マリンスキイ劇場)に向う。19時から開演なのだが、17時過ぎに会場入りさせられる。ここでデビッド・ラリブレと記念撮影。彼は日本では公演したことがないが、イスラエルで日本のグループと一緒に公演したことがあるらしい。このとき「サクラ」の歌を覚えたと、うたってくれた。日本に行きたいと盛んに言っていた。彼は昨日クラウニングについて簡単な講演をしていたが、とてもいい講演だった。クラウンで一番大事なことはシンプル、このシンプルというのが万国共通。ただこれほど難しいこともないと言っていたのがとても印象に残った。
やっと開場、こういう時のセルゲイは頼りになる、席を取ったあと一杯やりにいこうという。ここで昔のサンクトのサーカス場の支配人とばったり。4階ではただでいい酒が飲めると案内してくれる。すきっ腹にブランデー。
例によって20分ほど押してプーチンの挨拶からガラコンサートがはじまる。今回はチャイコフスキイコンクールで受賞した人たちの演奏が中心となる。最初に登場したピアノの男性の演奏はすごかった。まるでジャズの即興のような演奏。彼は2回登場少女とふたりのデュオピアノ演奏もすごかった。ただそれをつなぐコメントを映画監督のコンチャロフスキイとレンコムの女優さんがやっていたのだが、とても退屈だった。これはみんなが言っていた。1時間ほどのコンサートが終了、このあとが結構たいへん。なんとかバスに乗り込み、ホテルに戻る。腹が減ったので飯をということになって、たまたまバスで一緒だったセルゲイの知り合いのトゥアラと三人で彼女が知っているカフェに行こうということになる。なんとこれがあのメイエルホリドやマヤコフスキイが通った「野良犬」ではないか。これにはびっくり。メイエルホリドやマヤコフスキイの写真や絵も飾られている。すっかりいい気分になる。閉店が11時半ということで追われるようになったがしっかり600CCのウォッカを飲んだ。歩いてホテルへ。途中なぜか馬に乗ったふたりの女性と出くわす。

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サンクトの旅1

2018-11-15 15:40:08 | 
朝飯を食べてもこのホテルに知り合いが泊まっている気配がまったく感じられない。もしかしたら知り合いは誰もいないつまらない旅にあるかもしれないという予感。それに輪をかけるようなことが起こる。今日発表するパワポの資料を確認しようとしたらなんと空っぽ。新しいパソコンでUSBが見れなくなったときに初期化したことを思いだす。なんたること。事前に送っているのですでにダウンロードしているとは思うのだが念には念をいれないとということだったのだが、とんでもないことになっていた。カメラ用のSDカードを持ってきたのでそれに入れておく。いやいやまいったな。
迎えのクルマで会場へ。ここでも知っている顔はいない。シルクドゥソレイユのキャスティングスタッフとデンマークのサーカスの代表、呉橋雑技協会の会長さんと一緒。サーカス部門の会場はフォンタンカサーカス。ここでやっと知った顔を発見。みんなサーカス博物館のスタッフ。特にユリアとは3年ぶり。抱き合って再会を喜ぶ。それにしても人が少ない。あとで聞いたことだがパルーニンたちも別会場でやっているのでダブっているらしい。午前中はロスカンパニーのディレクターの自慢話。そのあとこれは面白かったのだが革命後のソ連のサーカスを演劇界の動きから歴史をたどったもの。三人目のスピーカーはドニエツクサーカスのディレクターらしいのだが、テーブルにある国旗がウクライナではない見たことのない国旗だった。このあと休憩。ここでユリアがパワポの資料をチェックしてくれとのこと。どうやらすでにダウンロードしてくれていたらしい。本番の時はユリアが操作をやってくれるとのこと。彼女はスペルの間違いも直してくれていた。これですべては杞憂と終わった。ここでやっと知った顔がやってきた。サハのセルゲイ。自分が出ると知ってそのためにやってきたと言ってくれる。リップサービスとわかっていてもうれしいことを言ってくれる。なんとなくこれでホットとする。午後2時から第二部の開始。最初は中国の会長さんの講演。そのあとが自分。参加者が少なく、関係者もほとんどおらず寂しい聴衆を相手の報告となり、内容も構成がいまいちだったように思う。終ってから気づいたことなのだが。講演後の質問もほとんどは中国の人の話しに対するものだった。すべったかなというのが第一印象だったが、終わった3人ほどやって来てくれてとても面白かったと言ってくれたのが救い。ひとりは芸人さんで東さんのことを本にすればいいのではないかとアドバイス。話しは日露サーカス交渉史だったが東さんの話しははいっていなかった。もうひとりは日本語に訳したいといってくれた。ジャーナリストの女性もとても面白い話題だった。まあこれでよしということだろう。ここでとりあえず今日の話しは終わり。5時からサーカス博物館で刊行したばかりの馬のサーカスというカタログが発刊されたということでそのプレミンテーション。サーカス博物館の館長さんのエカテリーナさんがこれをやったのだが、この館長さんとても美人。
あとでやってきた顔見知りのモスクワサーカス学校の校長のワレンチナとセルゲイとワレンチンの友人と四人で近くのグルジアレストランで食事。セルゲイが2年前に亡くなった奥さんのマルファの最期の話しをしてくれた。とてもいい夕餉となった。ワレンチナがあなたはロシアのユーモアがわかるからとてもうれしいと言っていたが、もう半分ロシア人のようなもんだからな。でもやっと楽しくなってきた。
そしてなんとこのあと世田谷で見ることができなかったシルクールをバルティックホールというところで見ることに。来年は大々的にロシアでは演劇祭が行われるらしい。そのプレイベントのようなもので演劇祭がここで開かれている。そこでシルクールが演じられることになったということに幸運にもめぐりあったことになる。そしてここでやっと別会場でやっているパルーニンのグループの面々と会う。パルーニンと抱き合って再会を喜ぶ。
シルクールの「リミット」。ビデオで見たのとはちょっと違っていて女性のボーカルがはいっていた。最初のハシゴを越えようとするところでもうすっかりはまる。短縮版で1時間のショーだったが、素晴らしい公演だった。前から2列目のど真ん中に席をとってくれたので迫力満点。公演後楽屋裏に案内される。メンバーはみんな世田谷、世田谷と言っていた。まさかここでシルクールが見れるとは、すっかり楽しくなってくる。すっかり

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緊張の乗り換え

2018-11-14 13:30:37 | 
5時起床。さすがに今日は歩かない。いま気になっているのは17日のホテル。自分の勘違いでフォーラムが終わったあと18日からしか予約していなかった。連絡はきていない。風呂に入り準備しているうちにあっという間に時間が経っていく。早めにということで予定していた電車の一本前に乗る。京成が遅れたとかで遅れている。結局予定していた時間のリムジンに乗る。これも道路渋滞で遅れているという。11時半に到着。オンラインチェックインしていたのだがやることは同じ。結構混んでいるようだ。レンタルしたモバイルルーターをピックアップ。初めて借りる。出国手続きが自動になっていた。ただパスポートをスキャンして写真を撮影したものと照合するだけ。第一はいろいろ変っている。セブンイレブンがあるのがうれしい。ビールを2缶購入。9割方席が埋まっていた。ほとんどがパリなのだろうが。ご婦人のグループが多いようだ。食事にはビールはなくてワインがでたのだが、アルコールのサービスは一切なくなったようだ。ビール2缶もってきて正解だった。食事に飲み物がないのはきついし、日本からの食事もロシアから持ってきたもののようだ。持ってきた「斗南藩」を読む。著者星さんのスタンスはまったく自分と同じ。力作である。
時刻通りにモスクワ着。問題はこれからである。ここ2回モスクワからサンクトの乗り換えで問題が起きている。一時間間違えてめちめちゃ焦って財布をなくしたのが4年前、2年前は焦っているところに変な奴がパスポート審査を終えたところに待ち構えていてあやうくだまされそうになった。今回は何度も乗り換えについて確認。まず有り難かったのが荷物がサンクトまでだったこと。これで荷物を待つ時間がなくなった。パスポート審査もロシア人向けのところでもやってもらいスムーズに。搭乗券ももらっているので楽勝かと思ったら到着したDターミナルからBターミナルまでえらい遠い。無理もない昔の第一ターミナルである。地下鉄のようなものでつながっていた。それでも遠い。Bターミナルの中も広い上、搭乗口がわかりづらい。なんとか乗り込んだのは6時30分すぎ。やはりこの乗り換えは無理があるような気がする。モスクワに着いたは5時20分、バスでの移動だしあれだけの移動で70分しか時間がないというのはなあ、きつい。でもなんとか乗り換えが問題なくいったのでホットする。ここで携帯ルーターのセッティング。なかなか活躍してくれそうだ。荷物もすんなり出てて来て、迎えのボランティアにピックアップされ、ホテルまで。ホテルにはだれも関係者はおらず。チェックインしたのが9時半。まあ順調な感じだろう。相変わらず立派なホテル。荷物を簡単に整理して、トランクに入れていたビールを飲んで一息。家とサーカス博物館のユーリャに連絡。部屋のネットが繋がらず、モバイルルーターの繋ぐ。明日の講演のテキストをもう一回読む練習をしたところでダウン。

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帰国

2018-04-05 07:32:34 | 
日本時間19時30分無事成田に着陸。寝たような寝ないような。とにかく着いたのでほっとする。荷物も無事に出てきて、ここで三雲君とお別れ。
バスでYCATへ。ネットではかなり暖かいとのことだったが、肌寒い感じがする。富岡からはタクシーで自宅まで。タクシーを待っているとき、隣に座ったおばちゃんが一人でぶつぶつ。電車のなかでよく一人で怒鳴っている人だ。今日はじっくり聞かせてもらったが、なかなかインテリの人のようだ。
23時前に帰宅。風呂に入って就寝

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コメディアーダ最終日

2018-04-02 23:33:00 | 
集合時間のことを聞いていなかったのでクリューコフの部屋に電話すると寝ていたみたいでねぼけ声で10時というので、10時に行ったがだれもおらず。今日変えるデビットが、三雲いおりを自分がいまつくっているコメディー映画で使いたいという。そしてあの酔っぱらいについては自分もいくつかアイディアがあるので、それはあとでメールするという。三雲君の酔っぱらいにみんななにか可能性を感じたのだろう。
11時から映画がはじまるのだが11時近くになってもクリューコフ夫妻はおりてこない、おそらく荷物を片づけているのだろうということで、部屋に行ってみる。案の定片づけの真っ最中。荷物ができたものをバスまで運ぶ。
劇場に到着したのは11時20分、もうチャップリンの「サーカス」ははじまっていた。面白い映画だ。途中でユージン・チャップリンは退席、空港に向う。ほんとうに気さくないいおじいさんだった。昨日なんか子供がゴミのような紙切れをだしてサインを求めたのに、笑顔でなにかを書いていた。
映画が終わってロビーでぶらぶらしていると、誰からか「お前がチャップリンの息子か」と声をかけられる。どう考えても日本人の顔だろう。帰ったようという空港まで行こうかなという。よほど写真を撮りたかったのだろう。
ランチを食べてあとは用事もないので、三雲君と街中を散歩に出かける。意外に港までは近かった。ポチョムキンの階段で写真をとる。途中サーカス場の前を通る。「レスラーと道化師」に出てくるサーカス場とまったく同じ。古い!なかはどうなっていたのだろう。見たかったな。
街中のカフェでビールを飲みながら三雲君といろいろ話す。とても三雲君にとっては有意義な旅行になったようで、誘った人間としては嬉しかった。これをきっかけに彼の中でいろいろなアィディアがふくらんでいるようだ。いいね。
それにしても三雲演技賞受賞のニュースは日本で大きな反響を呼んでいるようだ。ツィッターのいいねもすごい件数になっているし、三雲君のフェイスブックも反響がすごいらしい。
すごいですねといいながらも「これで浮かれいられないですよ、逆にこれからです大事なのは」という三雲君をたくましく感じる。
歩いて劇場に戻ったら自分たちが消えたと大騒ぎになっていたらしい。といっても騒いでいたのはクリューコフ夫妻だけなのだが。
電話を借りて電話するとそこを動くなという指示。15分後やってきて、街中のオデッサ料理を出すレストランへ。考えてみたらこっちへ来てから三雲君はろくなものを食べていなかったはずだ。それを言うと、今日は一杯食べろとがんがん注文。今日のウォッカはわさびウォッカ。
よう食べ、よう飲んだ。そして三雲君も今後ともコメディアーダとは協力していきたいし、こうフェスを日本でもやりたいとスピーチ。これにはクリューコフが大喜び。そんなとき電話。そろそろ出発の時間だという。彼らは汽車でキエフに戻る。ナージャが別れ際に次回はオデッサのあとはキエフに来てほしいと抱きつく。
タクシーでホテルに戻る。

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