キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

無事帰国

2009年06月20日 | Weblog
久し振りに我が家へ帰ってきました。成田は思ったより涼しく、快適でした。35℃にもなったイタリアの夏は相当堪えました。湘南も湿度が低く、爽やかな風が通っています。

ヨーロッパにいると肉とチーズを多量に食するため、体から獣の匂いが立ち上っていますので、まずはゆっくり風呂につかり、西洋の匂いを落としたいですね。さっぱりしたところで、浴衣でも着て鮨を食いに出かけましょうか。

まあ、無事帰国を果たしたことをお伝えし、何はともあれ一風呂浴びることにいたします。

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再びのローマ

2009年06月19日 | Weblog
トスカーナでの止宿先は、キャンティ・クラシコの造り手のところで、120haの土地に30ヘクタールのぶどう園を持ち、そこの昔の農家を改造した長期滞在用のロッジにおりましたので、電話やインターネットなどリラックスするのに不用なものは無く、再びローマのバチカン近くのホテルに帰ってくるまでご無沙汰をしてしまいました。

キャンティ・クラシコのメーカーを、この2日間で3軒訪問し、昨夜はそのうちの一軒のフィレンツェの館で、プレスの方を10名ほどご招待して、今回のミッションの総仕上げとなるセミナー形式の発表会を行ない、続いて生産者、ジャーナリストと共に、アルノ川を眺めながらガラディナーとなりました。対岸のウフィツィー美術館と河上のポンテベッキオは昨年訪れたところで、そこを見渡すバルコニーからの眺めは、視点が180度変わり大変趣のあるものでした。

結局今回は7社を4日間かけて廻りましたが、そのうちの4社は既に日本に輸出しており、新たなメーカーを開拓する趣旨から考えれば、あまり成果がありませんでした。しかしながら、イタリアワインについては素人ですから、ラッツィオとトスカーナについての導入部分を詳細に見聞できた点では大変ありがたい企画でした。同業他社が輸入しているワインの品質価格についても知ることができましたので、そのレベルを知ることができました。

フランスとスペインについてはある程度の知識の蓄積があるのですが、イタリアについては、本格的に取り掛かってこれで2年が経過し、今回で6回目の訪問になります。日本で「神曲」「ローマ帝国盛衰記」「ガリア戦記」等を読んでなるべくイタリア文化に馴染むように心がけているのですが、まだまだ知るべきことは無数に有り、この国は歴史が古い分だけ奥が深く一筋縄ではいきません。近いうちにまた来たいと思います。
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ローマにて

2009年06月16日 | Weblog
ローマは思ったより暑く、日曜日の午後観光のために歩いている人達は息絶え絶えで、日陰で休んでいる人がほとんどでした。夜はさすがに湿度が低いせいか過しやすく、今回のワインコンヴェンションは日曜の夜、ローマの一番の繁華街で始まりました。やってきた生産者はラッツィオという生産地域のかたで、ローマに近いわりに有名産地のピエモンテやトスカーナに押されて知名度が無いらしく、ローマを市場として今までやってきたようです。

この地域には200社位のカンティーナがあり、注目すべきは50社位だとの事ですが、その中の選りすぐりの4社が今回のコンヴェンションのサポーターです。その後、話をする機会があって分かったのですが、この内二社ついては日本にインポーターがいて、既にワインを輸出しているようです。今回参加したバイヤーは、アメリカ3社、台湾、香港、マレーシア、インド各1社ですから、それはそれで良いのでしょうが、新たに日本のインポーターを探す必要が無いのに、我々にやけに親切で、イタリアの金持ちというのは、世界の金持ち同様に鷹揚なものだと思いました。

彼らのワインを試飲して感じたことは、白ワインが総じて優れていて、赤については樽熟成したものは、しつこくて感心しませんでした。もう少し試飲を重ねて評価をしてみたいと思いますが、何しろ4社がサポーターなので、ここ以外のワインが味わえない欠点があり、ラッツィオを理解するのは難しいかもしれませんね。

話は全く変わりますが、愚息より携帯にメールが入り、孤軍奮闘されていたノアの三沢社長が試合中バックドロップで亡くなられたとの事、凄くショックを受けました。せめてローマより心からの追悼を捧げたいと思います。
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ブレッサンでさくらんぼ

2009年06月15日 | Weblog
朝飯はうちへきてさくらんぼをしこたま食べてくれと誘われておりましたので、ホテルでの朝食はカプチーノだけにして、フルヴィオと共にブレッサンへ向かい、何はともあれ今期最後に品種になり、最高に美味いことになっている黒さくらんぼを鱈腹いただきました。どのくらい喰ったのでしょう50粒は優に平らげたと思いますが、フルヴィオがピノネロを勧めてくれたので、朝ワインと洒落ました。さくらんぼとピノネロの相性は既に確定されているらしく、爽やかに腹に溜まらずいただくことができました。我々が畑を見ている間に兎とポレンタを準備しておくから食べるかと親爺さんが聞くので、断る理由など何処にも無く、放し飼いで育てた特別のやつだとなれば、期待は大いに膨らみ、少しカレー風味で煮込んだ肉は実に味わいがあり、しみじみと美味いもので、以前パリで食べてあまりの不味さに辟易してからヨーロッパでは兎を食さないことにしておりましたが、まともに育てたものは違いますね。ブロイラーと地鶏ほどの差がありました。

朝から随分ヘヴィーにいろいろいただきましたが、午前中のフライトでトリエステからローマへ無事入りました。いよいよコンヴェンションの始まりです。
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ブレッサンへ

2009年06月14日 | Weblog
昨日夕刻ヴェネチア空港でフルヴィオと落ち合い、彼のジープでファラ・ディソンゾまで移動し、ブレッサンの近所のホテル、アイ・ドゥエ・レオーニに止宿し、シャワーを浴びてブレッサンまで行き、フルヴィオの親爺さん手作りのプロシュートをいただきながら、2004年のピノ・グリージオをいただきました。2004年最後のロットを最近壜詰めしたとのことですが、我々を驚かすために用意されたワインで、色合いが琥珀色で今までのピノ・グリージオとは趣が大きく異なっておりました。味わいは濃厚、それでいて古臭や酸化臭がなく、果実味が豊かで辛口。シュールリーで長い間置いていた為に色合いが濃厚になり、味わいに奥行きが増したとのことですが、無個性なピノ・グリージオをどうにかしようと、あれこれ考えた結果がこれだったようです。

フルヴィオのサプライズはこんなものでしたが、我々が企画したサプライズは、最近和装趣味の佐和さんが着物を着てディナーに出て、フリウリーノの目を瞠らせてやろうじゃないかとの試みでしたが、ホテルに迎えに来たフルヴィオと息子のエマニエラが先ず大いに驚き、ブレッサンではフルヴィオの親爺が目を丸くし、ディナーのレストランでは周りの客が、不躾にもこちらのテーブルを盗み見るのが止められない大成功を収めました。まあそんなことをしてもワインの販売が良くなるだとか、品質に影響をするだとかの効果は無いわけですが。

イタリアの魚料理のレストランでは、何皿も続けて魚のヴァリエーションを出すのが流行っているのか、一皿目が海老の味のガスパッチョ、二皿目が3種類の海老のカルパッチョに二枚貝がついており、三皿目が白身魚のカルパッチョ、四皿目が鮪のカルパッチョ、五皿目がサルディーニアの白身魚をダイスに切ったマリネ、六皿めが湯で蝦蛄、七皿目が茹でたオマール海老、レモンシャーベットの口直しが出て、八皿目が多分からすみを削ったものをスパゲティーに降りかけたもの、九皿目が蒸したオコゼをバターとハーヴのソースを掛けジャガイモを添えたもの。まあ、少し飽き飽きしました。白身の魚と海老、貝、鮪は、日本の刺身森のように一緒盛にして、ソースを5種類くらい添えて鯵に変化をもたせたほうが良いかもしれません。基本的な味がレモン、オリーヴオイル、バルサミコでは飽きがきます。

ワインは例のピノ・グリージオと同じタイプの琥珀色をしたカラット、ヴェルドゥッツォの三種類を合わせて飲みましたが、後の二つの個性はピノ・グリージオより強烈で、生の魚には強すぎました。白身の肉や魚でも調理して強い味のソースを絡めたものが合いそうな気がしました。この強烈な新種のワインに合う料理を、きちんと探し出すことが急がれます。

料理は最後まで完食いたしましたが、かなりの苦行でした。しかし、辻静雄さんの命を掛けて食べ続けた逸話を聞いてからは、ワイン業界に身を置く者として少なくとも出されたものは完食することをこれからも続けてゆきたいと思います。
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ヴェネチア散策

2009年06月13日 | Weblog
ヴェネチアはメストレの町からバスか電車で入り口のところまで行くことができます。島内は車が禁止されているので、その後は交通機関としては水上バス、水上タクシーを使うことになります。最初は水上バスのシステムと路線が分かりにくかったのですが、何系列もあり、一度その概要がつかめると気軽に何処へでも行くことができる、実に便利な乗り物でした。ヴェネチアガラスで有名なガラス工芸の島、ムラノへ渡り、一軒のグラスファクトリーの陳列物を見て、ああこんなものかと了解すると、観光客が居ない島の端っこの方まで散策をいたしました。釣りをやっている人が何人かいて、海のそばでの気軽な楽しみはこれなんだなと合点しておりました。釣りものは生憎分からず、何がかかるか知れませんでしたが、仕掛けはドウつきのぶっこみでした。

ムラノでの昼食は、ホテルの受付のおねえさんに堅く止められていたので、その先のブラノ島まで水上バスに乗り、レースと家の色彩が鮮やかなことで有名な、と言いましても老生そんなことは知る由も無く、すべて佐和さんの受け売りですが、江ノ島を髣髴とさせる観光島へ上陸し、またもや観光客の居ない島の隅っこまで散策して、島のメインストリートに立ち並ぶ観光食堂から一軒を選ぶことになり、一番高級そうな食堂を選んで席をとり食事にいたしました。

ラ・ジャーラのマッシモからヴェネチアで食事をするのは金をどぶに捨てるようなもんだから止めろ言われ、それではムラノ島まで渡れば如何かとホテルのおねえさんに聞いたら、矢張り観光客が多くて高くて不味いから、その先のブラノ島までゆけば良心的な価格でまずまずの料理がいただけるとのこと。

さて、地元の皆さんのご意見を総合して選びに選んだ食堂の結果はどうだったのでしょうか。ミックスサラダ、魚のスープのリゾットに、ヴェネトのピノ・グリージオを合わせ、とりあえずの空腹が満たされたところで、ヴァルボリッチェラとチーズをたのみ、隣の大げさな言い回しをして五月蝿いアメリカ人のグループや、前のテーブルの堅実なドイツ人の夫婦、後ろのフランス人のそれっぽい母娘の様子を伺いながら、ゆっくりと時間を掛けてワインとチーズを楽しみました。結局〆て124ユーロの支払いで、果たして最果ての島まで安くて美味い料理を探してやってきた価値があったのか無かったのか良く分かりませんでしたが、佐和さんがボーイの対応に気分をよくして、あたしが奢ると言ってくれたので、少なくとも私にとってブラノはただで美味い料理とワインにありつける場所であったわけで、地元の人達の忠告が大いに役立ったわけです。
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ラ・ジャーラについてもう少し

2009年06月13日 | Weblog
今日は本来ならばブレッサンのあるウディネへ向かう日程であったのですが、既にご存知のようにエレナのお父上が亡くなり、一家でラトビアへ葬儀のために出かけてしまいました。フルヴィオはかなり無理をして我々に一目でも逢おうと日程を調整し、明日の18:00着の便でヴェネチアの空港に帰ってきます。そのため、我々はここメストレでフルヴィオの帰りを待つことにいたしました。

イタリアはローマ、フィレンツェと素晴らしい街は多いが、ヴェネチアが何と言っても一番だと、ラ・ジャーラのマッシモに是非観てゆけと熱心に勧められ、名所旧跡というのにあまり興味が無いのですが、島まで渡ってみようかと思っています。ワインはそれ単独で出来上がったものではなく、その地の自然と文化に大きく関わっているわけで、セコセコと仕事だけで飛び回る日本のワインバイヤーに欠落している部分を補ういい機会なのかも知れません。

しかし、私が持っているヴェネチアについてのイメージは希薄で、シェークスピア「ヴェニスの商人」トーマス・マン「ヴェニスに死す」吉行淳之介と篠山紀信の「ヴェニスの光と影」くらいのことしか思い出せません。まあそんな訳で、貧弱な知識であれこれ言っていても仕方ないので、実際にヴェニスを訪れてから感想をお知らせするとして、今日のところは、昨日のラ・ジャーラについていま少し書いてみたいと思います。

ジョヴァンニによれば40ヘクタールのBIOのプロセッコは、世界最大とのことで、やけに威張っておりました。津軽三味線日本一は、世界一を意味する類の話ですね。大河の近くの河岸段丘に広がる畑のため、元来丸い大きな石ころが多く、昔の写真を見るとその様子がはっきりと分かります。現在では作業性のためか、表面の大きな石ころは取り除かれております。その大河では第一次世界大戦の折大きな戦いがあり、川の水が血に染まったそうで、この川の中洲にあるその辺りで唯一のレストラン、ル・カランドリーネで、それに因んだ真っ赤な色をした飲み物をいただきました。私には酷く不味く感じたのは、その液体が臥薪嘗胆のためのものであったからかも知れません。

このレストランでは昼食をいただきましたが、一皿目が野菜不足を補うために、私と佐和さんだけチシャ、人参、トマトのミックスサラダをいただき、二皿目が鮪と他の魚を薄く切ったカルパッチョと生牡蠣、三皿目は鮪をエシャレットのようなものと和えたもの、カジキ鮪の燻製、四皿目がポレンタ、乾燥した小エビとポルチーニで味付けされておりました。五皿目が帆立貝をオリーブオイルでボイルしたもの、蛸、シーチンのようなものが鮪ではない別の魚で作られていました。ミックスサラダは置くとして、料理はすべて海からのものでコースが出来上がっており、この地の人達が海の幸を好んでいるのを感じました。ワインはラ・ジャーラのものかどうか聞きそびれましたが、最初から最後までプロセッコをいただきました。レストランのセラーにプロセッコだけが特出して多くのアイテムを誇っており、地元に販売しても競合が激しくて利益が出ないので、ラ・ジャーラは98%が輸出だそうです。

帰りの車でジョヴァンニに聞いたところによれば、大好きな海の幸は高いので普段は肉を食しているとのことです。
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ラ・ジャーラ

2009年06月12日 | Weblog
メストレのホテル・プレジデントからラ・ジャーラまでは車で35分ほど、随分と近いところにあるので予想外でしたが、イタリアで初めて有機栽培の畑を見ることができました。フランスで観る有機栽培の畑とは大きく違っていて、処変われば品変わるを実感いたしました。ラ・ジャーラでは、葡萄が生えているところの根元のラインが除草剤を撒いたように除草されており、イタリアの有機栽培はフランスより基準が甘いのではないかと、最初観ただけの時には思いました。しかし決してそんなことは無く、オーナーのマッシモ、弟の醸造担当のパウロ、営業担当のジョバンニの説明を聞いてゆくうちに、ここのやり方が少しずつ分かってきました。

先ずこのカンティーナは32ヘクタールの区画と8ヘクタールの大きな区画に分かれていて、植栽されている葡萄の間隔が広く、仕立ても高くて1メートル50センチ以上のところに葡萄が生っており、機械を使っての作業性が物凄く良いことがあげられます。大型の草刈機が自動的に葡萄の根本に刈り込んだ雑草を飛ばすような仕掛けになっていて、それに加えて牛糞などの堆肥を根本に掛けることで、葡萄の根元の雑草の発生を防いでいたのです。私が知っている、例えばボージョレのドメーヌ・カレでは、柵の間が狭いのと仕立てが低いので、柵の間の地面を天地返しにして雑草の繁茂を抑えておりました。

また葡萄の棚は一列が700メートルほどあるのですが、100メートルおきにフェロモンを使った補虫器が仕掛けられていて、主に小型の蛾の駆除をしていました。これも初めて観ました。

カビ系の病気に対して、フランスでは散布が認められている硫黄粉とボルドー液の畑への使用も禁止されているようで、フランスの基準より厳しいのかもしれません。ちなみにこのカビ系の病気に対しては、葡萄の生る位置を高くしてあることと、風通しをよくするために余分な茎と葉を取り除く作業をしており、丁度今がその作業の盛りのようでした。

畑にはBIOの機関から雄雌各5匹の兎がブドウ畑に放され、1年後には100匹に殖え、また雄雌5匹からを繰り返しているとのことで、無農薬有機栽培の証にもなっているようです。実際畑の見学中にウサギを見かけ、そのウサギを狙って鷹が上空を旋回しておりました。ウサギの隠れ家を確保するため、草刈は畑全面を行わず丈の高い草が随所に残るように配慮しているとのことです。兎も有機栽培の一つの象徴でありますが、葡萄の茂みの中には鳥が巣を作って雛を孵していたり、蜂が巣を作って大きなコロニーを形成していることもあるようです。

ラ・ジャーラでは収穫は機械摘みとなります。しかしながら機械摘みの欠点である酸化の速さを防ぐために、トラクターに人を8人乗せ手摘みで収穫をしながら、自動的に葡萄をベルトコンベアでコンテナに送り込む、新たな変なシステムを考えており、途中まで出来上がったその収穫機の試作機を見せていただきました。完成まで写真撮影禁止とのことでヴィジュアルでお見せできないのが残念です。

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ヴェネチア到着

2009年06月11日 | Weblog
正確にはヴェネチアの近くのメストレに到着しました。ローマでは、何時ものように21:30発のフライトが一時間遅れ、ホテルへ着いたのは24:00になっておりました。とにかく眠くて疲れていてどうにもなりませんが、シャワーを浴びて服を着替えるとなんだか元気になるもので、所謂空元気がでました。さっぱりしたところでベッドへ潜りこむと、これがなんとも言えずいい気持ちで、そのままぐっすり眠られればいいのですが、疲れていて睡眠不足なのに時差に起こされてしまうんですね。どこまで眠られるかやってみることにいたします。

案の定二時間寝て04:00には眠いのにもかかわらず目がパッチリとしてしまい、眠ろうと努力している間に外が薄明るくなり05:00には完全に起きてしまいました。昨日機内とラウンジで色々なものを喰い続けたのに朝になると、しかも睡眠不足で疲労しているのもかかわらず、やけに腹が減ってまいりました。ワインの仕事が出来るのは、浴びるようにワインが飲め、信じられないくらい大量の食物が喰い続けられるおかげで、偏に頑丈な胃の腑を与えてくれた両親に感謝するばかりです。聞けばここホテル・プレジデントの朝飯は07:00からで、時間が経つのがこんなに遅いものかと、時計を睨めつつその時間を待っております。

10:00にラジャーラがホテルに迎えに来る約束とのことで、それまでに睡眠不足の解消は望めないものの、万全な腹ごしらえだけはしておこうと思います。
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ローマ空港にて

2009年06月11日 | Weblog
成田からとりあえずローマにやってきました。ヨーロッパの6月は夜遅くまで日がカンカンに照っているものですが、ここローマも現在19:33ですが、真昼のごとく晴れ渡っております。これから21:30のフライトでヴェネチアへ向かいますが、空からの眺めも期待できそうです。

ここまでの機中、森奈津子さんの「ゲイシャ笑奴」鹿島茂「乳房とサルトル」を読んで退屈な12時間をやり過ごしておりましたが、森さんのSFのジャンルのバイセクシャルなセックスとSMは他に類が無く、楽しく読ませていただきました。鹿島さんのほうではボルドーとブルゴーニュの違いを、フランス文学と歴史研究の見地から分析している小文がことのほか面白く、ゲルマン系のブルゴーニュとローマ系のボルドーに、その歴史と文化をたどり、ワインの性質の違いを鮮やかに浮かび上がらせていて、実に見事な論考でした。

今回もアリタリアでローマまでやってきましたが、今までと比べていろいろな面でサーヴィスが向上しているなあと驚きました。先ずは日本人スタッフが美人で親切であったこと、ブスで不親切になれている私には、美人で不親切でも好ましいのに、美人で親切なんて天にも昇る気持ちでした。航空食はあまり美味くないものですが、乗って直ぐに出た和食のプレートの隠元牛肉巻きは変に美味く、イタリアンのプレートのメルルーサとおぼしき白身の魚のクリーム煮も中々のものでした。降りる前に出された軽食の、パンとハム、チーズがなかなか良く、デザートのチョコレートケーキなんて、高い金を払わされて解凍された糞不味いケーキを出す高級店に比べても数段上で、時速と高度を勘案すれば絶品と評してもいいと思いました。

いよいよ明日はラ・ジャーラを訪れます。イタリアのBIOの畑を見るのは初めてなので大いに楽しみです。

我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
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