キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ヴェネチア散策

2009年06月13日 | Weblog
ヴェネチアはメストレの町からバスか電車で入り口のところまで行くことができます。島内は車が禁止されているので、その後は交通機関としては水上バス、水上タクシーを使うことになります。最初は水上バスのシステムと路線が分かりにくかったのですが、何系列もあり、一度その概要がつかめると気軽に何処へでも行くことができる、実に便利な乗り物でした。ヴェネチアガラスで有名なガラス工芸の島、ムラノへ渡り、一軒のグラスファクトリーの陳列物を見て、ああこんなものかと了解すると、観光客が居ない島の端っこの方まで散策をいたしました。釣りをやっている人が何人かいて、海のそばでの気軽な楽しみはこれなんだなと合点しておりました。釣りものは生憎分からず、何がかかるか知れませんでしたが、仕掛けはドウつきのぶっこみでした。

ムラノでの昼食は、ホテルの受付のおねえさんに堅く止められていたので、その先のブラノ島まで水上バスに乗り、レースと家の色彩が鮮やかなことで有名な、と言いましても老生そんなことは知る由も無く、すべて佐和さんの受け売りですが、江ノ島を髣髴とさせる観光島へ上陸し、またもや観光客の居ない島の隅っこまで散策して、島のメインストリートに立ち並ぶ観光食堂から一軒を選ぶことになり、一番高級そうな食堂を選んで席をとり食事にいたしました。

ラ・ジャーラのマッシモからヴェネチアで食事をするのは金をどぶに捨てるようなもんだから止めろ言われ、それではムラノ島まで渡れば如何かとホテルのおねえさんに聞いたら、矢張り観光客が多くて高くて不味いから、その先のブラノ島までゆけば良心的な価格でまずまずの料理がいただけるとのこと。

さて、地元の皆さんのご意見を総合して選びに選んだ食堂の結果はどうだったのでしょうか。ミックスサラダ、魚のスープのリゾットに、ヴェネトのピノ・グリージオを合わせ、とりあえずの空腹が満たされたところで、ヴァルボリッチェラとチーズをたのみ、隣の大げさな言い回しをして五月蝿いアメリカ人のグループや、前のテーブルの堅実なドイツ人の夫婦、後ろのフランス人のそれっぽい母娘の様子を伺いながら、ゆっくりと時間を掛けてワインとチーズを楽しみました。結局〆て124ユーロの支払いで、果たして最果ての島まで安くて美味い料理を探してやってきた価値があったのか無かったのか良く分かりませんでしたが、佐和さんがボーイの対応に気分をよくして、あたしが奢ると言ってくれたので、少なくとも私にとってブラノはただで美味い料理とワインにありつける場所であったわけで、地元の人達の忠告が大いに役立ったわけです。
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ラ・ジャーラについてもう少し

2009年06月13日 | Weblog
今日は本来ならばブレッサンのあるウディネへ向かう日程であったのですが、既にご存知のようにエレナのお父上が亡くなり、一家でラトビアへ葬儀のために出かけてしまいました。フルヴィオはかなり無理をして我々に一目でも逢おうと日程を調整し、明日の18:00着の便でヴェネチアの空港に帰ってきます。そのため、我々はここメストレでフルヴィオの帰りを待つことにいたしました。

イタリアはローマ、フィレンツェと素晴らしい街は多いが、ヴェネチアが何と言っても一番だと、ラ・ジャーラのマッシモに是非観てゆけと熱心に勧められ、名所旧跡というのにあまり興味が無いのですが、島まで渡ってみようかと思っています。ワインはそれ単独で出来上がったものではなく、その地の自然と文化に大きく関わっているわけで、セコセコと仕事だけで飛び回る日本のワインバイヤーに欠落している部分を補ういい機会なのかも知れません。

しかし、私が持っているヴェネチアについてのイメージは希薄で、シェークスピア「ヴェニスの商人」トーマス・マン「ヴェニスに死す」吉行淳之介と篠山紀信の「ヴェニスの光と影」くらいのことしか思い出せません。まあそんな訳で、貧弱な知識であれこれ言っていても仕方ないので、実際にヴェニスを訪れてから感想をお知らせするとして、今日のところは、昨日のラ・ジャーラについていま少し書いてみたいと思います。

ジョヴァンニによれば40ヘクタールのBIOのプロセッコは、世界最大とのことで、やけに威張っておりました。津軽三味線日本一は、世界一を意味する類の話ですね。大河の近くの河岸段丘に広がる畑のため、元来丸い大きな石ころが多く、昔の写真を見るとその様子がはっきりと分かります。現在では作業性のためか、表面の大きな石ころは取り除かれております。その大河では第一次世界大戦の折大きな戦いがあり、川の水が血に染まったそうで、この川の中洲にあるその辺りで唯一のレストラン、ル・カランドリーネで、それに因んだ真っ赤な色をした飲み物をいただきました。私には酷く不味く感じたのは、その液体が臥薪嘗胆のためのものであったからかも知れません。

このレストランでは昼食をいただきましたが、一皿目が野菜不足を補うために、私と佐和さんだけチシャ、人参、トマトのミックスサラダをいただき、二皿目が鮪と他の魚を薄く切ったカルパッチョと生牡蠣、三皿目は鮪をエシャレットのようなものと和えたもの、カジキ鮪の燻製、四皿目がポレンタ、乾燥した小エビとポルチーニで味付けされておりました。五皿目が帆立貝をオリーブオイルでボイルしたもの、蛸、シーチンのようなものが鮪ではない別の魚で作られていました。ミックスサラダは置くとして、料理はすべて海からのものでコースが出来上がっており、この地の人達が海の幸を好んでいるのを感じました。ワインはラ・ジャーラのものかどうか聞きそびれましたが、最初から最後までプロセッコをいただきました。レストランのセラーにプロセッコだけが特出して多くのアイテムを誇っており、地元に販売しても競合が激しくて利益が出ないので、ラ・ジャーラは98%が輸出だそうです。

帰りの車でジョヴァンニに聞いたところによれば、大好きな海の幸は高いので普段は肉を食しているとのことです。
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