ヴェネチアはメストレの町からバスか電車で入り口のところまで行くことができます。島内は車が禁止されているので、その後は交通機関としては水上バス、水上タクシーを使うことになります。最初は水上バスのシステムと路線が分かりにくかったのですが、何系列もあり、一度その概要がつかめると気軽に何処へでも行くことができる、実に便利な乗り物でした。ヴェネチアガラスで有名なガラス工芸の島、ムラノへ渡り、一軒のグラスファクトリーの陳列物を見て、ああこんなものかと了解すると、観光客が居ない島の端っこの方まで散策をいたしました。釣りをやっている人が何人かいて、海のそばでの気軽な楽しみはこれなんだなと合点しておりました。釣りものは生憎分からず、何がかかるか知れませんでしたが、仕掛けはドウつきのぶっこみでした。
ムラノでの昼食は、ホテルの受付のおねえさんに堅く止められていたので、その先のブラノ島まで水上バスに乗り、レースと家の色彩が鮮やかなことで有名な、と言いましても老生そんなことは知る由も無く、すべて佐和さんの受け売りですが、江ノ島を髣髴とさせる観光島へ上陸し、またもや観光客の居ない島の隅っこまで散策して、島のメインストリートに立ち並ぶ観光食堂から一軒を選ぶことになり、一番高級そうな食堂を選んで席をとり食事にいたしました。
ラ・ジャーラのマッシモからヴェネチアで食事をするのは金をどぶに捨てるようなもんだから止めろ言われ、それではムラノ島まで渡れば如何かとホテルのおねえさんに聞いたら、矢張り観光客が多くて高くて不味いから、その先のブラノ島までゆけば良心的な価格でまずまずの料理がいただけるとのこと。
さて、地元の皆さんのご意見を総合して選びに選んだ食堂の結果はどうだったのでしょうか。ミックスサラダ、魚のスープのリゾットに、ヴェネトのピノ・グリージオを合わせ、とりあえずの空腹が満たされたところで、ヴァルボリッチェラとチーズをたのみ、隣の大げさな言い回しをして五月蝿いアメリカ人のグループや、前のテーブルの堅実なドイツ人の夫婦、後ろのフランス人のそれっぽい母娘の様子を伺いながら、ゆっくりと時間を掛けてワインとチーズを楽しみました。結局〆て124ユーロの支払いで、果たして最果ての島まで安くて美味い料理を探してやってきた価値があったのか無かったのか良く分かりませんでしたが、佐和さんがボーイの対応に気分をよくして、あたしが奢ると言ってくれたので、少なくとも私にとってブラノはただで美味い料理とワインにありつける場所であったわけで、地元の人達の忠告が大いに役立ったわけです。
ムラノでの昼食は、ホテルの受付のおねえさんに堅く止められていたので、その先のブラノ島まで水上バスに乗り、レースと家の色彩が鮮やかなことで有名な、と言いましても老生そんなことは知る由も無く、すべて佐和さんの受け売りですが、江ノ島を髣髴とさせる観光島へ上陸し、またもや観光客の居ない島の隅っこまで散策して、島のメインストリートに立ち並ぶ観光食堂から一軒を選ぶことになり、一番高級そうな食堂を選んで席をとり食事にいたしました。
ラ・ジャーラのマッシモからヴェネチアで食事をするのは金をどぶに捨てるようなもんだから止めろ言われ、それではムラノ島まで渡れば如何かとホテルのおねえさんに聞いたら、矢張り観光客が多くて高くて不味いから、その先のブラノ島までゆけば良心的な価格でまずまずの料理がいただけるとのこと。
さて、地元の皆さんのご意見を総合して選びに選んだ食堂の結果はどうだったのでしょうか。ミックスサラダ、魚のスープのリゾットに、ヴェネトのピノ・グリージオを合わせ、とりあえずの空腹が満たされたところで、ヴァルボリッチェラとチーズをたのみ、隣の大げさな言い回しをして五月蝿いアメリカ人のグループや、前のテーブルの堅実なドイツ人の夫婦、後ろのフランス人のそれっぽい母娘の様子を伺いながら、ゆっくりと時間を掛けてワインとチーズを楽しみました。結局〆て124ユーロの支払いで、果たして最果ての島まで安くて美味い料理を探してやってきた価値があったのか無かったのか良く分かりませんでしたが、佐和さんがボーイの対応に気分をよくして、あたしが奢ると言ってくれたので、少なくとも私にとってブラノはただで美味い料理とワインにありつける場所であったわけで、地元の人達の忠告が大いに役立ったわけです。