6月19日は桜桃忌ですが、生誕100年とかで各文庫が太宰の本を増刷したり、新たな装いで出したりで、どこの書店へ行っても平台に太宰治が沢山並べられております。私も釣られて、活字が大きくなった新潮文庫で五冊、更に活字が大きいPHP文庫で一冊買い求めましたが、大きな活字はそれだけで魅力的です。桜桃忌や生誕百年に感化されて玉川上水まで出かけたわけではないのですが、縁あって武蔵野美大を訪れる機会があり、最寄り駅の鷹の台から往復の道を玉川上水緑道にとりました。
玉川上水が江戸の重要な飲料水補給の水路であり、武蔵野を通って都内まで来ていることは何となく知っておりましたが、その源はどこなのか全く知りませんでした。緑道はかなり管理されていて所々に玉川上水の説明と経路が書かれた立看板があり、多摩川から取水されていることが了解されました。それを見て玉川上水という命名は多摩川から来ているのだなと勝手に合点しておりましたが、家に帰って調べてみると、この上水を計画して造り上げた玉川兄弟に拠るとのこと、実に紛らわしい符合です。
1653年に羽村から四谷大木戸間43キロが開通し、現在玉川上水緑道として福生市から三鷹市までの23.8キロを都が管理しているとのことです。梅雨に入る前の晴れやかな日に、緑で覆われた緑道を歩くのは実に気持ちのいいもので、そこを毎日通っている武蔵美の学生は、他の美大の学生に比べて随分恵まれているなあと感じました。しかし、これだけ気分が開放される環境にいたら、あえて何か物を造って精神を開放する必要も無く、創作などする必要も無くなってしまうかも知れません。
玉川上水が江戸の重要な飲料水補給の水路であり、武蔵野を通って都内まで来ていることは何となく知っておりましたが、その源はどこなのか全く知りませんでした。緑道はかなり管理されていて所々に玉川上水の説明と経路が書かれた立看板があり、多摩川から取水されていることが了解されました。それを見て玉川上水という命名は多摩川から来ているのだなと勝手に合点しておりましたが、家に帰って調べてみると、この上水を計画して造り上げた玉川兄弟に拠るとのこと、実に紛らわしい符合です。
1653年に羽村から四谷大木戸間43キロが開通し、現在玉川上水緑道として福生市から三鷹市までの23.8キロを都が管理しているとのことです。梅雨に入る前の晴れやかな日に、緑で覆われた緑道を歩くのは実に気持ちのいいもので、そこを毎日通っている武蔵美の学生は、他の美大の学生に比べて随分恵まれているなあと感じました。しかし、これだけ気分が開放される環境にいたら、あえて何か物を造って精神を開放する必要も無く、創作などする必要も無くなってしまうかも知れません。