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キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

菊正宗を呑む

2019年11月22日 | Weblog
一日、平野貞夫の「わが輩は保守本流である 保守本流から日本政治への警鐘」を読んでいた。
ほぼ読了したが、この人の本も3冊目か4冊目で、おおよそ人となりと考え方が分かってきた。
珍しく経済についての意見があったが、たまたま僕が読んだ本で初めてなだけで他の本では書いていることなのかもしれない。
デフレ対策に対して経団連はやるべきことの真逆の報告書などを出していて、企業の生産効率を上げることを提言しているが、そんなことをしたらデフレが深まるだけで、やるべきは需要の喚起であると書いていた。
政府の対応としては消費増税と緊縮財政が悪手であることも書いていて、その立場は中野剛志や三橋貴明、渡辺哲也と同様で、いたって当たり前のことだが、これが政府レヴェルとなると正反対の政策がなされてしまう。
尊敬する評論家に西部邁がいるが、この人の著書に「小沢一郎は背広を着たごろつきである」というのがあり、きっとこの題名は担当編集者が「銀行員は背広を着たやくざである」から名付けてのだろうが、いずれにしろ小沢を評価していない。
ところが平野貞夫は小沢一郎の懐刀と言われているくらいだから、小沢を尊敬していて日本で唯一の真の政治家であると考えている。
小沢一郎とという政治家は、東北人の遺伝をひいて口下手なのかあまり喋らないから、いちいち言い訳がましいことは言わない。
それゆえ誤解されやすいが、平野が書いていることが総て本当の事だとすれば、素晴らしい政治家だ。
僕は隠居してから本格的に経済書や政治に関する本を読みだしたので、それまでは直感で好みの人物を気にかけていただけだが、田中角栄、野中広務、小沢一郎が好きだった。
麻生太郎や菅直人が小沢を失脚させるために暗躍していたが、麻生太郎は野中広務総理の可能性について、あんな奴にはやらせないと発言した。
これは野中の出自がであることを言っているのだが、そんな男が総理大臣になり、今も副総理・財務大臣でいるのだから、日本の政治家も地に堕ちた。
菅直人は東日本大震災後の対応で世間に恥をさらしているから、どの程度の人間かはお分かりだろう。

戦後、自由民主党が行てきた政治はそんなに悪い政治ではない、世界を見回しても、これほど豊かで安全で自由な国は見当たらないだろう。
だが、長期間政権に居れば制度疲労を起こし緊張感も無くなり、それゆえの問題も起こる。
小沢が考えていたのは、政権交代可能な政党を作り、政治に緊張を取り戻し、長期政権によるネガティヴな部分、癒着や既得権益を清算する機能を持ち込みたかったのだ。
実際、もう20数年前に自民党に代わる政権を細川首相を立てた連合政権で実現し、10年前には鳩山首相で再度実現させたが、当然内部に足を引っ張る奴が出てきて、それが恨みを持った自民党の一部と手を結んで追い落としにかかり、上手くいかなかったということだ。
日本という国家を考えるより、個人の利権が先という政治家ばかりだが、多分これって教育の失敗なんだろうな。
小さいころから受験勉強で、いい高校大学に入り、いい会社か役所へ入って出世をしてカネを稼ぐという教育がなされてきた結果なんだろう。

朝、JA湘南へ自転車を走らせたが、ジャケットを着て寒さ対策をしたのに寒く感じた。
いよいよ冬だなあ、店頭には大根白菜葱という冬の三大野菜が一斉に並び出していた。
鳥鍋、ふろふき大根、おでん、すき焼き、葱ま鍋などが巧い季節到来で、これが3か月以上続く。

昼は牛丼で良いかと妻が聞いてきたので、別に食べたいものもなくそれでいいよとこたえたが、随分な量が出来ていて、しかも昨夜の残りの鯵の南蛮漬けなどもあり、喰い過ぎてしまった。
ここの所飲み食い過多で、しかも右踵痛で十分な運動が出来ていないので太り気味、少し食べる量を減らさなきゃと思ってはいるが、なかなか実行できないでいる。

プレシネで「あいつと私」1961年日活を観た。
石原裕次郎と芦川いづみ主演、裕次郎の母親に太ってからの轟夕起子、その昔の恋人で裕次郎の実父に滝沢修、今の旦那は宮口精二、裕次郎の学友に小沢昭二、芦川の妹に吉永小百合と酒井和歌子、その他中原早苗、吉行和子、渡辺美佐子など、その後映画TV舞台で活躍した俳優が出ていて、それだけで嬉しかった。
1961年のころは、どうも女性は処女でないとお嫁に行けないと考えられてた時代で、それでも女性が自分の意見を積極的に発言している場面が多く、これは原作者の石坂洋二郎の新しい時代に期待する女性像だったのだろう。
子供の頃、母が買ってくれた日本少年少女文学全集の中の1冊として「美しい暦」が入っていて、随分明るい希望に満ちた小説で、今思えば石坂の人となりを反映していた。
戦後に「青い山脈」で明るいムードを日本を作り出した功績は大きい。

3時過ぎ酒を買おうと北へ向かって歩き出したが、踵が痛くなり目的の酒の専門店まで行けず、西友で「菊正宗辛口純米生酛」と乾きものを買った。

相撲は朝乃山が負けて詰まらなくなってしまった。

風呂から出てきて、台所で酒を浸けようとしたら、鍋に何か茹でた湯が残っていたので、多すぎる分を捨て徳利を入れて置いたら、妻に、あなた何でだし汁で燗してるのよと言われた。
この出汁は油揚げに鶏肉人参椎茸などを詰めたのと、鱈の汁を作るので多めに取ったのに捨てたの?と大いに叱られ、出汁が少ないから今夜は鱈の汁は作らないと宣言された。
まあ、大量にポテトサラダがあり、未だ終わらない鯵の南蛮漬けがあるから、つまみには事欠かない。
作りすぎたポテトサラダを隣近所に配っている間に珍事が起こったわけで、もとをただせば喰いきれないほどのポテトサラダを作ったことが原因で、自業自得なんだけど静かにしていた。
今シーズン初めて「菊正宗純米辛口生酛」を飲んだが、先シーズンより美味くなっているような気がした。
これは1.8ℓの紙パックに入っていて、散歩の途中で一升瓶を抱えて帰るには厄介だが、これだとバックパックにすっぽりと入る。
先日読んでいた田村隆一の旅エッセイに、旅先で飲み屋の看板に「大関」とか「月桂冠」とあると入る気がしないが、「菊正宗」とあるとつい入ってしまうとあったが、僕も昭和25年ころ新川の酒問屋で働いていた母の影響で、幼いころからウイスキーなら「角」、酒なら「菊正」を扱っているところは一流だと聞かされていたから、見知らぬ土地で「菊正」の看板が上がっていると何のためらいもなくスーッと入ってしまう。
妻からマザコンだと詰られるからこの件は秘密にしているが、馴染みの店だとそこが選んだ酒を呑んでいて、「鳥伊勢」なら「大関」、「利休庵」なら「菊正」、「福屋」なら「福寿」といった具合で、「菊正」一辺倒ではないことを明記しておきたい。






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