昨夜ディナーを抜け出し思いっきり早く寝て今日に備えたにもかかわらず、一晩中咳鼻水痰に苦しめられ、今朝は憔悴のうちに始まり、とてもワークショップへ出られる状態ではなく、もしかして二葉亭四迷みたいに客死するんじゃないかと危ぶまれ、とにかく一日ベッドで大人しく寝ておりました。朝のうちは「人間臨終図巻」などを読みながら安静にしていたのですが、午後は夕刻まで眠りに落ちていたようです。今、目が覚めてPCに向かいながら窓の外を眺めておりますと、随分と風が強く風景は荒涼としております。
一日ベッドで横になっておりますと、自分の体との対話がなされ、この蓄積疲労が原因の風邪は一日程度の休養では回復が難しいことが了解され、明日も安静にしている必要があることを思い知らされます。先日吉本隆明の最後の講演で、コミュニケーションの言葉より、沈黙が言葉の本来の姿だ、というような重要なことを話されましたが、三木成夫さんの内臓感覚が沈黙の言葉に当たることを指摘されていたことがあり、異国の地プーリアで内臓感覚を取り戻したのかも知れません。山口昌男さんの病気の異化作用についても考えが及んだりして、無為な一日だったのか有意な一日であったのか微熱によって判然とはいたしませんが、非日常の時間を過したことだけは確かなようです。
一日ベッドで横になっておりますと、自分の体との対話がなされ、この蓄積疲労が原因の風邪は一日程度の休養では回復が難しいことが了解され、明日も安静にしている必要があることを思い知らされます。先日吉本隆明の最後の講演で、コミュニケーションの言葉より、沈黙が言葉の本来の姿だ、というような重要なことを話されましたが、三木成夫さんの内臓感覚が沈黙の言葉に当たることを指摘されていたことがあり、異国の地プーリアで内臓感覚を取り戻したのかも知れません。山口昌男さんの病気の異化作用についても考えが及んだりして、無為な一日だったのか有意な一日であったのか微熱によって判然とはいたしませんが、非日常の時間を過したことだけは確かなようです。