キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

草むしり腰痛にご注意あれ

2008年05月05日 | Weblog
待ち遠しかったGWも残すところ後二日ですが、GWの前期に草むしりをしたのが祟って、この数日間腰が重く昨日はついに可也な激痛が走り、おとなしく横になって読書をしておりました。5月2日に馬車道有隣堂で買った徳間文庫の「論語」を思いつくままに読んでみたり、(徳間文庫の中国本は、文字が大きくて、紙質が好みで、翻訳文が読みやすいので強く魅かれています) 色川武大の読みかけの「なつかしい芸人たち」を珍しく完読してしまったり、これまた買った時に目を通しただけの開高健「生物としての静物」を読了してしまったりしておりますと、爽やかな五月の風を満喫できないけれども、いつに無い達成感を感じ、いっそのこと「論語」も読了してしまおうかなどと考え始めております。

集英社文庫の開高健「生物としての静物」のなかの“パンパスの野点肉料理アサードの鞘付ナイフ”で肉料理から敷衍して究極の料理について書かれているくだりがあります。“・・・・トドのつまりは料理の真髄は深みのある単純さが至境なのであると、分ってくる。そこへたどりつくまでには爛熟、発熱、多彩、豊満、巧智、さまざまな段階を通過しなければならないのだが、そしてその段階に没我であるヒトに向かっては何をいってもムダであるし・・・”こんなところを読んでおりますと共感で胸が熱くなり、痛い腰を騙し騙し茅ヶ崎ラチエン通りの開高健記念館の、この文章を書いたであろう畳の書斎へ行き、僅かでもその俤をよすがを偲んでみたくなるものです。

この文章に続き、“・・・口に泡をとばして議論するよりは、一歩ズレたところへはかない微笑を浮かべて佇んでいるしかないのである。”と、大人のとるべき対処方法も書かれており、1983年開高健52歳にして書かれたものであることを考えると、如何に我が身が稚拙であるかを思い知らされ、いよいよもって腰の具合次第では「論語」の完読をしなければいけないのかなあと感じております。

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