キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ポスト消費社会

2008年05月31日 | Weblog
ポスト消費社会の行方について、ずいぶん前から取り沙汰されておりますが、まさに「ポスト消費社会のゆくえ」の題名で辻井喬さんと上野千鶴子さんの対談が文春新書から出されております。辻井さんと上野さんという組み合わせが面白いですし、辻井さんは現在読売新聞に回顧録を連載されていて、それと同時に読み進める楽しみもあります。辻井さんのお宅は私の家の近所で、ずいぶん幼いころからああここが堤清二の屋敷かと眺めており、ご当人を存じ上げている訳ではないのですが、親しみがあります。

90年代は百貨店の衰退の季節でした。私はその理由を委託販売やテナントの増加で、社員に専門的な知識や経験や感が失われたことが主な原因と考えておりましたが、本書の中で、百貨店はスペースコミュニケーションの場であり、非日常のハレ空間であるテーマパークであるデズニーランドが敵であり、匿名性の高い集団に晴れ着を着た私を見てもらう舞台は、ホテル、劇場、レストランに取って代わってしまった。と述べられています。上野さんはさらに、宮台真司さんの島宇宙化の説を援用して、もはや人は匿名性の高い集団ではなくて、あらかじめ知っている人たちの中での同調性の高いコミュニケーションしか望まなくなっている。今日、百貨店が成り立たなくなっている状況は、コミュニケーション媒体自体のセグメンテーションがおきてきて、偶然性の高いノイズはシャットアウトする。とさらに解説されておられます。

以前阿久悠さんがが歌謡曲が成り立たなくなったのは、世間というものが想定できなくなったからだと書いておられるのを読みましたが、百貨店が成り立たなくなった時期と歌謡曲が成り立たなくなった時期は機を一にしているように思います。スペースコミュニケーションが閉じてしまうのは大変危険なことですが、スペースコミュニケーションの場が巨大化してゆく危険な時代より良い時代ではないかと思います。仲良しクラブから多様な価値が生まれて、他のコミュニケーション集団向けに批判が届くシステムをいかに組み込むか、そのためにはノイズをシャットアウトしない時間を持つことが大切で、まさにジョンケージの「4分33秒」をたまに聴くと良いのかもしれませんね。



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