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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

死にゆく者への食事

2018年01月06日 15時40分36秒 | えいこう語る

▼新年の挨拶で友人宅を訪れると、老人施設に入居していた友人の母親(88歳)が一時帰宅をしていた。私は時々見舞いに出かけるが、何時も話すのは、施設の食事が口に合わないので食欲がないということだ。

▼ところが、家に戻っていたお母さん、ご飯をおかわりしたという。筋子とタラコ、鮭の飯寿司と真鱈の三平汁などを完食したという。俗にいう塩分の取り過ぎだ。施設では考えられないメニューだ。

▼入院時の病院食ほど、味気ないものはない。健康回復のため止む得ないと思うが、楽しみなはずの食事の時間が、希望が持てないのだ。それは、食欲を減退させる薄味だからだ。

▼その友人の母の料理を、私は何度もいただいたことがある。関西風のあっさり目の味なのだが、京都の料亭でも入ったような、しっかりした味で、私は絶賛していたのだ。「出汁をしっかりとることを、姑に厳しく仕込まれた」と話していた。

▼1月5日の北海道新聞だ。『幸せのかたち』というシリーズで【最後の食事・心も温めたい】という記事に心を動かされた。ドイツの料理人のイェルク・イルツヘーファーさん(48歳)は、月3回、町はずれのホスピスを訪れ、入居者の希望にかなった料理を届けているという。

▼入居者は、母や祖母の作った郷土料理が食べたいという。味覚が衰えている人が多いので、味は濃いめにするそうだ。「おいしいおいしいと全部平らげました。生きていることの幸せを味合っていました」と、付き添いの方に言われると、自分もまた幸せが増えるという。

▼余命いくばくもない私を想像してみる。自分の大好きな料理を、一週間に一度でもいいから食することができる日があれば、その日が来るまで、ささやかな希望を抱いて、楽しく生きれるような気がする。

▼私も1年前に、3ケ月程闘病生活を送っていた。2ケ月を過ぎたあたり、カレーライスが出てきた。たぶん「お子様ランチ」程度の味付けと思いきや、スパイスがピリッと効いた本格的な味だった。

▼同じ病院に入院していた人も、この病院のカレーは、街中のレストランよりうまいと話していた。私は、料理を担当している栄養士さんに「ここのカレーは、100点満点の200点だ」と告げた。栄養士さんは「嫌いな方もいるけど、結構評判がいいのよ。たまにはいいでしょう」と微笑んだ。

▼星付きレストランで修業した、イルツヘーファーさんは【死にゆく者への思いと、彼らから受け取る感謝の気持ち。そこにあるのは、料理を超えた感情のつながり】だという。

▼高齢者対策を考える会議に出席していても、食事に関することが話し合われたことがない。栄養と健康という観点から、タブー視しているきらいがあるような気がする。

▼高齢者の真の幸せとは何か。「高齢者による高齢者の為の高齢化対策」。そんな視点が欠けているような高齢化計画が、作成されていやしないかと心配する。

▼人は美味しいものをいただくと「幸福感」に包まれる。最後の晩餐は、心も温まる美味しい料理を食したいものだ。その楽しみが続いて、少し寿命が長くなれば、それに越したことはないと思うが