▼ブログを書いていると、日本語を正しく理解していないことに気付く。毎日、辞書を開いたりPCで検索するので、国語の能力は多少上達しているように思う。
▼・・・が、誤字脱字が心配で、正確に書けているかは自信がない。書いる最中にも、すでに間違った文字や言葉を使っているのではないかと思えば、書くのが恐ろしくなる。
▼悩めば前に進まないので、間違っても大筋で意味が伝われば「良」として、ブログを書いている。という前置きで、自分の国語能力を棚に上げて、今日も書き進む。
▼「気付かないダブり表現」という題で、校閲に携わる方の記事が、北海道新聞に載っていた。「炎天下の下」は「炎天下」だ。「一番最初」「後で後悔」「余分なぜい肉」「いまだに未完成」などの重複表現が指摘されている。
▼会話では見逃すが、書くと一目瞭然になる。だが、会話でも見逃せないのが「云々をでんでん」「未曽有をみぞゆう」などという政治家の言葉だ。
▼元総理の宮澤喜一さんが、そばにいた議員が「がいちてき」とくりかえすので、読んでいた書類をのぞいたら「画一的」と書いてあったそうだ。さてその人物は?・・・「でんでん」の若い頃だそうです。
▼たぶんその人物は、国語が相当苦手だったのでしょうね。だから、憲法解釈も正しく読み取れないと、憲法学者の多くが判断するのは、とても納得がいく。ただ、行間を自分流に読むという能力は、誰よりも長けているようだ。
▼間違った言葉を、平気で使っているは、田舎の方が多いようだ。その原因を考えてみたことがある。田舎生活では間違いを指摘すると「お前だってこういったじゃねえか」と、切り返させらるから、注意しないというのが田舎の常識なのだ。
▼間違いを指摘したなら「自分だけ頭がよいと思っていやがる」などとレッテルを張られてしまうからだ。少し前までは「百科事典」「学者」「六法全書」などという、ニックネームの先輩もいた。「広辞苑」などという、粋なニックネームはないが。
▼英語の言葉でも、面白い人がいた。その人は「バイ“ケース バイケース”」と重複して話す癖がある。だが、誰も注意をしない。「ケースバイケース」というのが入っているので、それで良しとされたからだ。
▼田舎の人は、間違った読みをたくさんするので、それが「人情味がある」と言われる所以なのかと考えてもみたが、それは的外れのようだ。
▼「我が国の平和と繁栄が今脅かされているので、国民の生命財産を守るため、9条を改正し、自衛隊を国防軍にします」というのは、表現の自由としては、許される。
▼だが、自分に反対する国民を「こんな人たち」と呼ぶ総理は、「主権在民」という憲法を理解する上での、最も重要な日本語さえ理解できないようだ。そんな総理に、新しい憲法など作らせてはならない。
▼現憲法を米国の「押し付け」というが、それよりアベ総理の「押し付け憲法」の方が、もっといやだと、田舎の人も話していますよ。