goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

自分にとって国家とは

2018年01月07日 14時34分31秒 | えいこう語る

▼『戦後、憲法学者たちが国家とは何かを考えようとしなかったのは、知的怠慢以外のなにものでもない。その理由に、戦時中の「反動」として、戦後、国家軽視の風潮が蔓延したことがある。戦時中の「滅私奉公」の反動として、戦後、国家(公)そのものが軽視されたからだという。我が国の歴史を侵略と見る、東京裁判史観が影響し「反省」が、国家そのものへの警戒につながっている』と指摘するのは、憲法学者の百地章教授著『憲法の常識・常識の憲法』だ。

▼戦後民主主義教育を受けた私だが、私の国家連想系統は,パチンコ屋での「軍艦マーチ」から「日章旗」と「日の丸」。さらに「君が代」に続き「昭和天皇」といった、ごく単純なものだった。

▼勝てば軍艦マーチが心で高鳴り、負ければ「海ゆかば」が心で荘厳に響くというたぐいだ。つまり、国家という存在に真剣に向き合ったことがなかったのだ。

▼戦後70年を過ぎた頃から、北朝鮮の軍事脅威を叫び、国防から国家を意識させたのがアベ総理だ。ここで、誰が国民を守るかという問いを、国民に投げつけてきた。自衛隊という答えは、今の憲法では満点ではない。国民を守るためには『憲法第九条』が、障害になるからだ。

▼【国民主権】から【国家主権】に変身させるためには【九条の消去】が必要だ。九条は、我が国を侵略させるための、敵に有利な存在だと、国民に理解させるのが『アベノマジック』だ。「敵が侵略すると叫べば、戦争は簡単に起こる」というナチスの心理作戦をまねしようとしているのだ。

▼軍備費が必要となれば、いくらでも支出させそうなのが、ナチスの政治手法に賛同する、アソウ財務大臣だ。言い換えれば、戦争を遂行する手口は、昔から同じだということだ。そして独裁政治へ走り出すのだ。

▼私の妄想はこのぐらいにして、百地教授の説に戻ろう。「国家が国民の生命、自由、財産を守るためにも、まず国家の治安と秩序が維持され、対外的独立が保持されていなければならない。それゆえに端的に言えば、国家とは『治安と防衛の組織』であるということもできる」。

▼哲学者の田中美知太郎博士の言葉も引用したい。「国家意識というものは、家族感情や同郷・同族の感情などに比べて、むしろ抽象的なものであるから【教育】によって培っていくしかない」という。

▼今年から小学校で、来年からは中学で、道徳の教科化を実施する。アベ夫人は、籠池理事長の学園で、園児たちの「教育勅語」の朗読に涙し、百万円の寄付をしたという。

▼「国家」とは熱狂的になりやすい存在のようだ。半藤利一著「昭和史」でも、昭和の反省として『国民的熱狂をつくってはいけない』と述べている。私も何度も繰り返すが『天皇陛下の退位と即位』さらに『オリンピック』。我が国は戦後最大の大イベントに熱狂するだろう。

▼国家が演出する【国威発揚】に、冷静に対応するためには、「国家」という存在を、改めて考え直すことが必要だと思うが。