今回のお気に入りは、「家族」です。
先ごろ亡くなった藤原ていのエッセイ集「家族」を読みました。
AMAZONの内容紹介を引用します。
=====
戦争・飢餓・復興・平和。
苦楽を共にした家族との40年を振り返って、親子の絆とは何か、愛とは何かを熱情こめて切々と語る随想集。
=====
著者を知らない方のためのミニ知識。
・1949年に書いた「流れる星は生きている」がベストセラーになった。
・内容としては、著者が子どもたちを連れて満州から朝鮮半島を南下して日本に引き揚げるまでを描いている。
・夫は作家の新田次郎、息子は数学者でエッセイストの藤原正彦。
・新田次郎は気象台勤務のかたわら小説を書いていたが、妻のベストセラーに発奮し、小説一本で生きることを決意した。
「家族」は1987年、著者69歳のときに書かれたものです。
著者のサイン本を偶然見かけて注文し、届いたのが10月31日でした。
その半月後の11月15日に著者の訃報を聞き、驚きました。
失礼とは思いましたが、まだご存命だったことへの驚きでした。
著者は朝鮮半島の逃避行で極限の肉体的・精神的ダメージを受け、戦後数年間寝たきりで、ベストセラーとなった「流れる星は生きている」のあとがきには遺書のつもりで書いた、とまで書いているほどでした。
その身体で98歳という天寿を全うされるとは想像していませんでした。
時代の語り部として天に選ばれた方だったのかもしれません。
ご冥福をお祈り申し上げます。
朝鮮半島の逃避行については、著者の「流れる星は生きている」「旅路」、そして新田次郎の「望郷」で読み、「筆舌に尽くしがたい」とはこういうことか、と思い知らされるノンフィクション作品でした。
戦争の悲惨さを一市民の目線で描いており、生涯忘れられない強い衝撃を受けたものです。
・・・と前置きが長くなりましたが、「家族」の感想を少々書きます。
第1章 家
冒頭、築40年の家の屋根が崩れ、改築することから始まります。
家族と過ごし、今は一人住まう家。
いとおしい記憶をひとつひとつたどりながら書いています。
その最たるものが、長期で取材旅行に出ることが多かった夫についての記述。
亡くなった今でもいつか帰って来る気がして、改築しても迷わないようにと願う言葉に変わらぬ愛を感じました。
第2章 夫
新田次郎が、気象庁勤務時代に降水量の自動観測機の開発で運輸大臣賞を受賞した時のこと。
ようやく歩けるまでに回復した著者は授賞式に出席しました。
新田はあいさつで「苦労したので受賞は当然」と述べ、会場を唖然とさせたそうです。
建前を嫌い、常に本音を語る夫らしかったと述べています。
おかげで出世が遅かったとも書いています。
確かにその性格だと勤め人を続けるには逆風が厳しかったでしょうね。
後に退職し、すべての力を作家業に注いで正解だったでしょうし、そのおかげで読者はたくさんの作品を読むことができました。
今回、新田次郎が妥協を許さない性分だったと知り、もう一度作品をそういう目で読み返したくなりました。
第3章 子供
子や孫のことが書かれています。
印象的だったのは、朝鮮半島の逃避行で足に深い傷跡が残っている息子についての記述です。
次男は婚約者に靴下を脱いで見せ、「ボクはこのような足をしているが、いいかね?」と問うたそう。
著者は、あの時にもっと知恵や行動力があれば子どもたちにあんな傷を残さなかったのに、と悔いていた。
婚約者は「それは生き抜いてきた名誉の傷だと思います」と答えたそう。
それを聞いた時に著者は救われた思いがしたそう。
婚約者のこの素敵な返答に感動しました。
第4章 妻
「北朝鮮紀行」として40年前の逃避行を辿る旅について書いています。
思い出の地、懐かしい人の話が次々出てきます。
悲惨な体験の悪夢からようやく解放されたのになぜまた行くの?という多くの声を振り切って行った一人旅。
北朝鮮政府が丁寧なリサーチの上で、親切に案内してくれています。
朝鮮戦争で多くの墓地が失われた上、地形まで変わってしまったことを知りました。
著者は苦楽を共にした親友の墓参ができず残念がりましたが、親や先祖を大切にする朝鮮の人々の悲しみはさらに大きいだろうと述べています。
逃避行のときに、子どもたちのため物乞いをすると、周りの目を気にしながら水を飲ませてくれた人や食べ物を分けてくれた人がいたと語っています。
ある貧しげな家を訪れた時に、オモニイ(主婦)が新聞紙に包んだ食べ物を手渡しながら、
「早くどこかで食べなさい。生きて帰りなさいよ」
と励ましてくれたそうです。
どん底で触れた優しさを著者は生涯忘れなかったことでしょう。
著者は、当時、長期間かくまってくれた朴さんを探しますが、「町のほとんどが朴さんだよ。次に来るまでに捜しておこう」といわれ諦めます。
その後、二度目の北朝鮮訪問が実現したかは知りませんが、「いつか命の恩人に再開できますように」と願わずにはいられませんでした。
最後に。
正直に言うと、本書に感動や発見を期待していませんでした。
家族に関する他愛のないエッセイを想像していました。
ところが新田次郎の意外な性格や息子の婚約者の感動的な言葉、そして感動的な北朝鮮紀行。
どれも素晴らしかったです。
特に北朝鮮紀行は、朝鮮半島の逃避行について、これまで読んだ3冊を補強する大切な一冊となりました。
今回のように内容を吟味せずに選んでも大正解ということがあります。
本は「読んでみなくちゃ分からない」ものと、改めて思い知らされました。
先ごろ亡くなった藤原ていのエッセイ集「家族」を読みました。
AMAZONの内容紹介を引用します。
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戦争・飢餓・復興・平和。
苦楽を共にした家族との40年を振り返って、親子の絆とは何か、愛とは何かを熱情こめて切々と語る随想集。
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著者を知らない方のためのミニ知識。
・1949年に書いた「流れる星は生きている」がベストセラーになった。
・内容としては、著者が子どもたちを連れて満州から朝鮮半島を南下して日本に引き揚げるまでを描いている。
・夫は作家の新田次郎、息子は数学者でエッセイストの藤原正彦。
・新田次郎は気象台勤務のかたわら小説を書いていたが、妻のベストセラーに発奮し、小説一本で生きることを決意した。
「家族」は1987年、著者69歳のときに書かれたものです。
著者のサイン本を偶然見かけて注文し、届いたのが10月31日でした。
その半月後の11月15日に著者の訃報を聞き、驚きました。
失礼とは思いましたが、まだご存命だったことへの驚きでした。
著者は朝鮮半島の逃避行で極限の肉体的・精神的ダメージを受け、戦後数年間寝たきりで、ベストセラーとなった「流れる星は生きている」のあとがきには遺書のつもりで書いた、とまで書いているほどでした。
その身体で98歳という天寿を全うされるとは想像していませんでした。
時代の語り部として天に選ばれた方だったのかもしれません。
ご冥福をお祈り申し上げます。
朝鮮半島の逃避行については、著者の「流れる星は生きている」「旅路」、そして新田次郎の「望郷」で読み、「筆舌に尽くしがたい」とはこういうことか、と思い知らされるノンフィクション作品でした。
戦争の悲惨さを一市民の目線で描いており、生涯忘れられない強い衝撃を受けたものです。
・・・と前置きが長くなりましたが、「家族」の感想を少々書きます。
第1章 家
冒頭、築40年の家の屋根が崩れ、改築することから始まります。
家族と過ごし、今は一人住まう家。
いとおしい記憶をひとつひとつたどりながら書いています。
その最たるものが、長期で取材旅行に出ることが多かった夫についての記述。
亡くなった今でもいつか帰って来る気がして、改築しても迷わないようにと願う言葉に変わらぬ愛を感じました。
第2章 夫
新田次郎が、気象庁勤務時代に降水量の自動観測機の開発で運輸大臣賞を受賞した時のこと。
ようやく歩けるまでに回復した著者は授賞式に出席しました。
新田はあいさつで「苦労したので受賞は当然」と述べ、会場を唖然とさせたそうです。
建前を嫌い、常に本音を語る夫らしかったと述べています。
おかげで出世が遅かったとも書いています。
確かにその性格だと勤め人を続けるには逆風が厳しかったでしょうね。
後に退職し、すべての力を作家業に注いで正解だったでしょうし、そのおかげで読者はたくさんの作品を読むことができました。
今回、新田次郎が妥協を許さない性分だったと知り、もう一度作品をそういう目で読み返したくなりました。
第3章 子供
子や孫のことが書かれています。
印象的だったのは、朝鮮半島の逃避行で足に深い傷跡が残っている息子についての記述です。
次男は婚約者に靴下を脱いで見せ、「ボクはこのような足をしているが、いいかね?」と問うたそう。
著者は、あの時にもっと知恵や行動力があれば子どもたちにあんな傷を残さなかったのに、と悔いていた。
婚約者は「それは生き抜いてきた名誉の傷だと思います」と答えたそう。
それを聞いた時に著者は救われた思いがしたそう。
婚約者のこの素敵な返答に感動しました。
第4章 妻
「北朝鮮紀行」として40年前の逃避行を辿る旅について書いています。
思い出の地、懐かしい人の話が次々出てきます。
悲惨な体験の悪夢からようやく解放されたのになぜまた行くの?という多くの声を振り切って行った一人旅。
北朝鮮政府が丁寧なリサーチの上で、親切に案内してくれています。
朝鮮戦争で多くの墓地が失われた上、地形まで変わってしまったことを知りました。
著者は苦楽を共にした親友の墓参ができず残念がりましたが、親や先祖を大切にする朝鮮の人々の悲しみはさらに大きいだろうと述べています。
逃避行のときに、子どもたちのため物乞いをすると、周りの目を気にしながら水を飲ませてくれた人や食べ物を分けてくれた人がいたと語っています。
ある貧しげな家を訪れた時に、オモニイ(主婦)が新聞紙に包んだ食べ物を手渡しながら、
「早くどこかで食べなさい。生きて帰りなさいよ」
と励ましてくれたそうです。
どん底で触れた優しさを著者は生涯忘れなかったことでしょう。
著者は、当時、長期間かくまってくれた朴さんを探しますが、「町のほとんどが朴さんだよ。次に来るまでに捜しておこう」といわれ諦めます。
その後、二度目の北朝鮮訪問が実現したかは知りませんが、「いつか命の恩人に再開できますように」と願わずにはいられませんでした。
最後に。
正直に言うと、本書に感動や発見を期待していませんでした。
家族に関する他愛のないエッセイを想像していました。
ところが新田次郎の意外な性格や息子の婚約者の感動的な言葉、そして感動的な北朝鮮紀行。
どれも素晴らしかったです。
特に北朝鮮紀行は、朝鮮半島の逃避行について、これまで読んだ3冊を補強する大切な一冊となりました。
今回のように内容を吟味せずに選んでも大正解ということがあります。
本は「読んでみなくちゃ分からない」ものと、改めて思い知らされました。
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