元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「夢二」

2011-12-14 06:33:18 | 映画の感想(や行)
 91年作品。「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」に続く鈴木清順監督の“浪漫三部作”の追尾を飾るという作品だが、いまいち物足りない出来である。

 大正時代、金沢で駆け落ちを約束した恋人を待つ竹久夢二は、隣りの村で妻と妻の愛人を殺した男が山へ逃げたという噂を聞きつける。それはさしおいて、くだんの恋人はとうとう現れない。アーティストとしての行き詰まりにも悩まされていた彼は、湖畔で人妻に出会う。

 例の殺人犯が殺した男の妻だと名乗る彼女は、夫の遺体が湖から上がるのを待っているのだという。彼女と逢瀬を重ねる夢二だが・・・・といった筋書きにあまり意味はない。いつもの無手勝流の“清順ワールド”が続くだけだ。

 何より通常場面と幻想場面の境目がハッキリし過ぎており、作劇の底が見えてしまうのは痛い。その幻想場面にしても、他の二作と比べるとイメージの広がりに欠ける。主演の沢田研二はまあいいとして、女優陣が弱体気味なのは痛い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラビット・ホール」

2011-12-13 06:32:59 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Rabbit Hole )ヒロインの行動に説得力がなく、そのため評価は低いものになる。正直、こんな女が近くにいたら鬱陶しい気分になるだろう。1時間半ほどの上映時間だが、それでも見たくもないものに長く付き合わされた不快感だけは決して小さくはない。とっとと忘れてしまいたい映画だ。

 主人公ベッカの幼い息子は数か月前、彼女の目の前で交通事故により死んでしまった。犬を追って道路に飛び出した息子が、たまたま通りかかった高校生の車にひかれるという不運なアクシデントだった。当然のことながらベッカは落ち込み、立ち直るきっかけさえ掴めない。何をやっても息子のことを思い出し、夫もスマートフォンに残した息子の動画を繰り返し見つめるばかりだ。

 夫婦は子供を亡くした会の集まりにも参加するが、皆自分勝手な悔恨の念を吐露するばかりで、互いの傷をなめ合うような境地にも達しない。事実、参加者の中には随分前に子供が死んだにもかかわらず今頃になって離婚を決意する夫婦だっているほどだ。ハッキリ言って、こんな悲惨な状況では第三者(観客)が口を挟める余地なんか無いのだ。時が解決するのを待つか、また別の生き方をそれぞれが見出すか、どちらかしかない。

 だが、それにしてもベッカの言動はいただけない。スーパーで見知らぬ母親の子育てに口を出した挙げ句に、相手に平手打ちを食らわしたりするのだ。こんなのはいくら子供を亡くしたからといって肯定されるべきものではない。ただの乱暴狼藉だろう。

 さらに驚いたことに、彼女は加害者の男子高校生と仲良くなり、彼の描いたパラレル・ワールドを題材にした漫画(らしきもの)に心惹かれたりするのだ。どこの世界に子供を死に追いやった野郎と懇意になりたがる親がいるのか。百歩譲って、それでもそういうモチーフを挿入したいというのならば、主人公が精神のバランスを無くしていく様子をリアルに描くような、一種のサイコ・サスペンスのようなアプローチをするべきだった。

 しかし本作にはその気配さえ無い。ただ微温的な映像が冗長に流れるだけである。彼女の母親が同じように息子を亡くした事実も紹介されるが、これも取って付けた印象しか受けない。

 原作はピューリッツァー賞を受賞したデイヴィッド・リンゼイ=アベアーによる一幕物の戯曲であり、ひょっとして空間が限定された舞台劇ではエキセントリックな面が強調されて見応えがあるのかもしれない。だが、この平板な映画化ではどこにも深みはない。ジョン・キャメロン・ミッチェルの演出もメリハリに欠ける。主演のニコール・キッドマン、共演のアーロン・エッカート、ダイアン・ウィースト、それぞれの演技は悪くないが、かくも低調な内容ではどうにもならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホークスの優勝パレード。

2011-12-12 06:25:56 | その他

 昨日(12月11日)、今期のパ・リーグを制した福岡ソフトバンクホークスの優勝パレードが福岡市内で行われた。私も行ってみたが、とにかく人手の多さには(毎度のことながら)驚くばかり。特に今年は日本一にもなったせいもあり、盛り上がりは前回(2010年)を超える勢いだった。

 2011年度のホークスは交流戦も含めてすべての球団に勝ち越すという強さを誇ったが、ここ10年間の日本シリーズの結果を見てもセ・リーグのチームが日本一になったのは3回しかなく、完全にパ・リーグが実力面でリードしていると言って良い。

 さらに言えば、地域密着型のチームが多いパ・リーグの方がビジネスモデルの基盤の面でも優位に立っていると思う。その現実が分かっていないメジャーな球団がセ・リーグに一つあり、それが日本のプロ野球全体の足を引っ張っている。何しろ日本シリーズの真っ最中につまらん“お家騒動”を起こして恥とも思わない程なのだから(呆)。

 いずれにしろ、ホークスには来期も頑張ってもらいたい。主要選手がFA宣言して流出するという懸念もあるが、持ち前の団結力があれば何とかなるだろう(たぶん ^^;)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新少林寺 SHAOLIN」

2011-12-11 06:43:23 | 映画の感想(さ行)

 (原題:新少林寺 SHAOLIN)時代設定の相違などを承知の上で言わせてもらえば、80年代に作られた「少林寺」のシリーズよりもヴォルテージの落ちる出来映えである。理由は明白で、主演俳優の活劇に対する素養の差だ。

 リー・リンチェイ(ジェット・リー)の驚くべき体術を大々的にフィーチャーした旧シリーズは、物語の内容をあれこれ言う前にヴィジュアル面で観客をねじ伏せてしまった感がある。対してこの新作の主役であるアンディ・ラウとニコラス・ツェーは有名スターではあるが、アクション専門俳優ではない。だからワイヤー等の映像ギミックに頼らざるを得ず、結果としてどこにでもあるような香港製活劇のルーティンしか示されていないのだ。

 ならばストーリー面には見所があるのかというと、これがどうも気勢が上がらない。20世紀初頭の辛亥革命の時代。清国の権威は地に落ち、中国各地で内乱が勃発していた。登封市にある少林寺の僧侶たちは、戦争によって傷ついた民衆の支援に奔走していたが、残忍な将軍の候杰は少林寺に逃げ込んだ敵の大将を殺した上、寺に対して侮蔑的な振る舞いをして去っていく。しかしやがて候杰は部下・曹蛮の裏切りに遭い、すべてを失った彼は、少林寺に保護を求めるようになる。

 本来ならばかつて無礼な態度を取った候杰を受け入れる義理は無いのだが、そこは博愛精神を説く仏の道を遵守する由緒正しい寺院だ。候杰にも救いの道を示し、彼が出家するきっかけを作ることになる。だが中国の利権を狙う欧米列強とも手を組んだ曹蛮は、邪魔者を抹殺すべく少林寺に兵を進める。

 要するに、どんなに外道な人生を歩んでいたとしても、仏に帰依すれば救われるという宗教的な構図を掲げた映画だ。しかし、この図式を納得できるレベルにまで高めるには、並の演出力ではダメである。少なくとも活劇が得意のベニー・チャンの手に負えるネタではないことは確かだ。結果として居心地が悪く安定感を欠く作劇になってしまった。

 同サイズの少林寺のセットが炎上するクライマックスシーンは迫力があるが、カタルシスはそれほどでもない。結局、本作の一番の見所は少林寺の厨房係を演じるジャッキー・チェンのパフォーマンスだろう。コミカルな動きで次々と敵をKOしていく様子は、往年の彼の代表作を見るようだった。逆に言えば、ジャッキーのコメディ・リリーフがなければ、さほど観る価値のない映画だと言える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スペーストラベラーズ」

2011-12-03 06:40:01 | 映画の感想(さ行)
 2000年東映作品。人質と共に銀行に立てこもるハメになった3人組の強盗を描く犯罪コメディ。監督は「踊る大捜査線」シリーズの本広克行だが、この演出家は当時良くも悪くもテレビ屋としての実力しか持ち合わせていなかったことを痛感する。それだけに、本作のように脚本がボンクラだったら、表面的にバラエティ番組のノリで笑わせることが出来ても、観終わっての印象が限りなく希薄になるのは仕方ないかもしれない。

 人質の中に“都合良く”手配中の国際テロリストがいたり、人質の一人が犯人のライフルを奪って“あさっての方向”に発砲したりといった、とてもあり得ないプロットの甘ちゃんぶりを個々に指摘したらキリがないのでやめておくにしても“いかにも放送局の近所で撮りました”ってな映像の安普請さはカンベンしてほしかった。



 公開当時はシドニー・ルメット監督の傑作「狼たちの午後」との共通点を指摘した評があったように思うが、ハッキリ言って比べるのもおこがましい(笑)。犯人役の金城武や安藤政信、池内博之。そして深津絵里や渡辺謙、筧利夫、浜田雅功、大杉漣といった多彩な面々を揃えているにもかかわらず、単なる“顔見世興行”にしかなっていないのも脱力だ。

 あと、金城が日本語で演技するのは違和感が拭いきれない。もっともこれは香港映画で最初彼を知った我々映画ファンだけの感想で、テレビドラマでしか認知していない一般ピープルにとってはどうでもいいことなんだろうけど(^^;)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アントキノイノチ」

2011-12-02 06:30:50 | 映画の感想(あ行)

 瀬々敬久監督の前作「ヘヴンズ ストーリー」とは、ちょうどネガとポジの関係にある作品であると思った。死に向かって全力疾走する登場人物たちの捨て身の自己主張が横溢していた「ヘヴンズ~」に対して、本作のベクトルは生きることに向いている。とはいっても徹頭徹尾ポジティヴな視点が貫かれているわけでもなく、人生を投げてしまいたくなる欲求をかろうじて潜り抜ける主人公達の痛みがヒリヒリと伝わってくるような、強い切迫感が散りばめられている。

 主人公の永島杏平は高校時代に親友の死に直面し、心が壊れてしまった若者だ。それは軽い吃音のせいで他人と十分なコミュニケーションを取れなかったことにも起因している。そんな彼が遺品整理業の会社で働くことになる。そう、クリスティン・ジェフズ監督の「サンシャイン・クリーニング」で取り上げられたような仕事だ。

 そこで彼は久保田ゆきという少女と出会う。彼女は高校生の時にとても辛い体験をしており、学校からも家庭からも爪弾きにされた過去を持つ。彼らが仕事を通して生きる意味を自ら問い質し、再生していくドラマである。

 実を言えば杏平役の岡田将生と、ゆきに扮した榮倉奈々の演技はホメられたものではない。二人とも大根そのものだ。岡田の場合は小綺麗なルックスが苦悩する若者像とマッチしていない。今のところは「告白」や「悪人」で見せたようなトリックスター的な役柄に限定されるようなタイプだろう。榮倉に至っては確かに頑張ってはいるが、演技自体が未熟で、まったく精進が足りない。この程度のパフォーマンスに対して“良い演技だった”と断定してしまう映画ジャーナリズムがあるとしたら、無責任極まりないと言える。

 しかし、本作に限ってはテーマ設定の的確さと卓越した演出力により主演者の力不足がカバーされているのだ。彼らは遺品を不要品の“御不要”と故人の思い出が詰まった“御供養”とに仕訳していくうちに、人間は決して一人では生きられないことを悟る。

 単なる遺品でも、かつては別の誰かに繋がっていたものなのだ。確かに人間は死ぬ時は一人だ。しかし、生きている間に誰かと関係性を持てなかった者などいない。そして、彼ら2人もまた別の誰かに繋がりを持つような生き方をしなければならないのだ。

 説明的セリフが目立つのが気になるが、これはさだまさしによる原作のせいかもしれない。さらに言えば、これも原作に準拠したと思われる終盤の展開は不要だ。2人が海に向かって“元気ですかぁ!”と叫ぶシーンで終わっていた方が数段良かった。とはいえ、全体的には見応えがある良作だと言える。瀬々監督の次回作に期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SOULNOTEの新製品を試聴してみた。

2011-12-01 06:39:15 | プア・オーディオへの招待
 2006年に発足した国産ガレージメーカーである「SOULNOTE」の新しいアンプの試聴会に足を運んでみた。とはいっても展示されていたのは完成品ではなく、数ヶ月後に正式に発表されるモデルの“試作品”である。

 この“試作品”は完成しているのは回路部分だけで、取り敢えずは適当な筐体に装着されている。まるでカボチャのように大きなトロイダル型の電源トランスに目が引かれたが、驚くべきことにこれは(スピーカーを駆動させるための)メインアンプではなく、ヴォリュームや入力切り替えを担当するプリアンプなのだという。しかも、筐体は電源部を完全分離させるために2つに分けられている。

 スピーカーをドライヴさせるために強力な電源を備えたメインアンプはよく見るが、プリアンプにこれほど大きな電源を搭載した機種はあまり聞いたことはない。居合わせた設計者の話によると、プリアンプの段階でノイズをキャンセルさせるためには、電源部を徹底して練り上げなければならないとのこと。



 試聴会に使われた他のシステムは、CDプレーヤー(トランスポートとして使用)がsc1.0、DAコンバーターがsd2.0B、プリアンプが前述の“試作品”で、メインアンプがsa4.0BをBTL接続によるモノラル駆動で2台使い、スピーカーがsm10。もちろんすべてSOULNOTE製品である。

 正直言ってsm10の音は単体ではどういうキャラクターを持った製品なのかよく知らないのだが、実際出てきた音は口径12センチのユニットとは思えないほど低域が伸び、音場も深い。特に一点の乱れもない音像定位には舌を巻いた。少なくとも、高いレベルで使い込む際に問題になるデジタルアンプ特有のノイズ感とは無縁だ。

 さて、SOULNOTEはSACD(スーパーオーディオCD)には対応していない。設計者によれば“普通のCDの情報量を完全に引き出していない段階で、SACDのような次世代メディアに移行する意味はない”とのことだ。ともあれ、一番のソフトの数を網羅しているメディアは通常CDをおいて他にないので、それを差し置いてSACDやPCオーディオを持て囃すのは何か間違っている・・・・という見方も出来るだろう。

 今回の“試作品”のプリアンプだが、最終的な値付けは80万円程度になるかもしれないとのことだ。発売後の評価が楽しみである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする