元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「約束の旅路」

2007-08-07 06:46:14 | 映画の感想(や行)

 (原題:Va, vis et deviens)80年代前半、身分をユダヤ人と偽ってスーダンの難民キャンプからイスラエルへ移送されたエチオピア人の少年の、そこでの苦悩に満ちた半生を綴る、フランス在住のユダヤ人であるラデュ・ミヘイレアニュ監督作。

 エチオピアに住むソロモン王とシバの女王の末裔とされる人々をイスラエルに呼び戻すという“モーセ作戦”なるムーヴメントがあった事実を、私は不明にも知らなかった。馴染みのない史実に接することが出来るという、これぞ映画鑑賞の醍醐味の一つであろう。彼らは建前上はユダヤ人とされるものの、肌の色の違いは如何ともしがたく、さまざまな差別を受ける。劇中には正当な権利を主張する彼らの動きと共に、少しでもイスラエルの“正調の”ユダヤ教の戒律と外れた者を無理矢理“改宗”させようという、当局側の独善ぶりも容赦なく描出される。

 その中で主人公は人種的な差別と同時に本物のユダヤ人ではないという秘密を隠し持っており、いわば2重のアイデンティティの危機に曝されることになる。この設定は上手い。リベラル派の養父母に引き取られるが、そこの家族と打ち解けるまでに長い時間を要する。持ち前の聡明さを活かして医学部に進み、さらにパレスチナ側との戦闘に衛生兵として参加するものの、それでも自分の居場所は見つからない。

 また“長すぎる春”を婚約者に強いるハメになったり、キブツ(集団農場)での奮闘ぶりが評価されなかったりと、さまざまな困難にぶち当たるが、こうしたシビアな展開にもかかわらず、映画自体は実に面白い。これは波瀾万丈の大河ドラマである。ほとんど全編が“ヤマ場”だ。この演出家は職人監督としての力量をしっかり保持している。

 それにしても、本来人間を幸福に導くためにあるはずの宗教が、救いようのない確執を生み出していることに、あらためて当惑せざるを得ない。主人公はたまたま頭が良かったために逆境の中でも複数の生き方を試すことが出来たが、それ以外のフツーの人々はどう振る舞えばいいのか。ユダヤ人でないために“モーセ作戦”の対象にもならず、今なお難民キャンプで苦況に喘いでいる者達に未来はあるのか。もちろん移民社会が抱える多くの問題だってある・・・・。提起されるテーマはずっしり重い。

 主人公の少年時代と青年時代を演じたモシェ・アベベ、シラク・M・サバハは同じようにアフリカからイスラエルに引き取られたという生い立ちを持つそうだ。そのためか、演技には臨場感がある。さらに養母役のヤエル・アベカシス(イスラエルのトップ女優らしい)の美しさと凛とした存在感にも大いに感じ入った。主題が重大で、かつ観て面白いという本作は、歴史ドラマとして最良の展開を示していると言って良い。鑑賞する価値あり。
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「オーシャンズ11」

2007-08-06 19:11:39 | 映画の感想(あ行)

 (原題:OCEAN'S ELEVEN )2001年作品。「オーシャンズ13」が公開中だが、観る気はない。そもそもこの第一作からしてこの体たらくだから、同じコンセプトで何回やっても似たような結果しか生まれないだろう。

 まず何より、こういう「スパイ大作戦」風の綿密な犯罪シミュレーション・ドラマを描くには(オーシャンも入れて)12人は多すぎる。せいぜい5人だ。それから厳禁強奪のプロセスそのものも新味がない。すべてどこかの映画で見たようなネタばっかりだ。そうは言ってもこれはシナトラ一家の顔見世興行映画でしかない「オーシャンと11人の仲間」のリメイクだから、中身よりはキャストの存在感が勝負なのかもしれない。しかし、それにしては12人の中に顔も知らない奴が多すぎる。もっと“誰でも知っている映画スター”を12人ずらっと並べるべきではなかったか。

 そして一番の敗因はジュリア・ロバーツのいつもながらの不細工ぶり・・・・よりもアンディ・ガルシアの貫禄不足だな。そもそもこの役は12人全員でかかってきても跳ね返すほどの存在感が必要なんだけどねぇ(-_-;)。
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「平成無責任一家 東京デラックス」

2007-08-05 08:08:06 | 映画の感想(は行)
 95年作品。“ダマされるよりダマせ”が家訓の飴屋一家。母(絵沢萌子)は結婚&離婚を繰り返し、父親の違う4人の息子と、年下の愛人(岸部一徳)と暮らしている。市長選トトカルチョで大損した一家は、大勝負を夢見て上京。次男(岸谷五朗)の昔の恋人の家に居候すると、一家にダマされて彼らを追ってきたおっさん(麿赤児)達を仲間に加え、あの手この手の詐欺作戦を決行するが、なかなかうまくいかない。色恋に走る者も出たりしてチームワークは乱れ放題。果たして一家の運命は。

 感想なんだけど、全然面白くない(-_-;)。監督は「月はどっちに出ている」(93年)で各賞総ナメにした崔洋一だが、考えてみるとこの監督、けっこうな本数を撮っているが本当に面白いのは二作目の「十階のモスキート」(83年)ほか数本。「月は・・・」もそこそこ楽しめたが、あとは凡作駄作の山だ。

 具体的にどこがダメかというと、第一に話が不自然すぎることだ。“コメディに自然も不自然もあるか”と言われそうだが、フィクションなりのリアリティがなければ笑えるものも笑えないのである。この一家、詐欺で生計を立てているにしては手口が実に幼稚である。話にならないプロットである。頭脳ゲームを主体にした映画ではないが、少しは観客を納得させてほしい。

 第二に、喜劇のツボを外していること。笑いの中心が見えてこないことだ。「月はどっちに出ている」では主演の岸谷が等身大のキャラクターとなって、周囲のおかしな人物たちを引き立てていたが、今回は全員がそこそこおかしい人間として設定されているため、コメディ演技が拡散されてしまっている。加えて、舞台俳優中心のキャスティングと、長回しを主体とした気取った演出のため、笑いが小さくまとまってしまい、セリフの面白さも伝わらない。

 少しは泥臭くなってもいいから、パワーのあるキャラクターを真ん中に据えて盛り上げてほしかった。気勢の上がらないままエンド・マークを迎える画面に、東京スカパラダイスオーケストラの演奏が虚しく響く。
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「レミーのおいしいレストラン」

2007-08-04 06:55:49 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Ratatouille )CGアニメーションの信頼のブランド“ピクサー”の新作ということで期待したが、これはどうも愉快になれない。何より、いくらレミー(声:パットン・オズワルト)の造型が巧みだといっても、しょせん彼はドブネズミではないか。ドブネズミが作った料理なんて、どんなに美味しそうに見えてもノーサンキューだ。

 しかも、レミーがどうして天才的な料理人としての技量を身につけたのか、なぜ人間の言葉が分かるのか、納得できる説明はない。単に“生まれつきそうだから”とか“有名シェフのガイド本を読んでいたから”とかいった御都合主義的な前提だけで押し切っている。

 レミーの“相棒”になるコック見習いのリングイニ(声:ルー・ロマノ)に至っては実力のカケラもなく、ただ“職にありつきたいから”といった下世話な動機で厨房に入り込み、でも“少しは料理もやってみたい”という手前勝手で身の程知らずな願望だけは持っているという、どうしようもない奴だ。実は彼は先代の名シェフの息子(隠し子)である事実が中盤で発覚するのだが、少しは技能を父親から受け継いでいる・・・・わけでは全くなく、ただの見栄っ張りな無能者である。何しろレミーがいなければ料理の仕込みさえ出来ない始末。先輩の女スタッフのコレット(声:ジャニーン・ガロファロ)がどうしてこんなのに惚れるのか、さっぱり分からない。とにかく、感情移入できないタイプだ。

 今回の敵役は店を乗っ取ろうとする意地悪なシェフと毒舌料理評論家だが、どちらもあまり愛嬌がない。でも、少なくともリングイニ達よりは行動パターンに筋が通っていて納得できるキャラクターなのだから、この主人公側の影の薄さには困ったものだ。

 技巧的には“さすが”と言うしかない。レミーをはじめとするネズミの描写は精細を極め、料理のヴィジュアル化はヘタな実写映画も顔負けだ。ネズミの視点からのスピード感のあるカメラワークも見事。ただしそれら映像面のクォリティの高さは単に“個的に存在している”といった具合で、物語世界の構築の礎にはなっていない。逆に言えば、映像技巧の喚起力が大風呂敷を広げる際の助力にあまりなっていないような、その程度の題材である。このへんが「Mr.インクレディブル」や「カーズ」に比べて大きく見劣りがする理由だろう。なお、マイケル・ジアッキノのジャジーな音楽は聴き応えがある。
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「ダイ・ハード2」

2007-08-03 06:49:35 | 映画の感想(た行)
 (原題:Die Hard 2)90年作品。空港ハイジャック犯を相手に、自分の妻と乗客の命を超人的な活躍で救う刑事を主人公としたシリーズの第2弾。現在公開中の4作目は傑作だったパート1との比較で語られることが多いようだが、対してその間に撮られた2本はどうも影が薄いように思う。確かに(前にも書いたように)第3作は凡打でしかない。でも、この2作目はけっこう悪くないのではないだろうか。何より前作では一人で「タワーリング・インフェルノ」をやってしまったジョン・マックレーン刑事(ブルース・ウィリス)だが、今回は一人で「大空港」をやってしまうという、往年のパニック映画をネタにしているあたりが嬉しい。

 もっとも、本作のシナリオは第1作とは違い、4作目と近いテイストを持っている。つまり小難しい伏線なんてほどほどにして、要するに最初から最後まで見せ場の連続にすりゃ観客は満足するに決まってらあ、という作者の声が聞こえてくるような出来映えでの、ジェット・コースター・ムービーである。展開もどちらかというと、いきあたりばったりで、その場のノリでハデなアクションが繰り広げられる。特に味方だと思っていた者が突然裏切る、なんてところなど、いかにも唐突で、あっけにとられてしまう。

 こう書くと面白くないように感じるが、実はやっぱり面白いのである。脚本は即物的でも、テンポのよさと、たたみかけるような演出で息をもつかせない。監督は当時31歳のレニー・ハーリンで、あの「エルム街の悪夢」の4作目「ザ・ドリームマスター/最後の反撃」(これも快作)での独特の映像感覚が買われての起用だ。「ダイ・ハード4.0」とは違い、CGも発達していなかった頃のシャシンなので見せ場も“手作り”っぽいが、それだけ4作目よりは映像の“温度感”は高く、今観ても引き込まれる。
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「フリーダム・ライターズ」

2007-08-02 06:50:07 | 映画の感想(は行)

 (原題:FREEDOM WRITERS )ロスアンジェルス郊外の“問題校”に赴任してきた女教師(ヒラリー・スワンク)が生徒達の心を開くまでを描いた実録映画だが、私が最も共感したのは彼女の頑張りではなく、やる気マンマンの彼女に対して引け目を感じている夫(パトリック・デンプシー)の方である。

 妻は夫の“建築士になりたい”という結婚当時の希望を忘れたことはなく、今でこそ彼は建築関係とは縁のないらしい会社に勤めているが、いずれは建築士の資格を取ってステップアップしてくれるものと信じている。対して夫は自分にそんな能力はないことを自覚し始めており、今の職場もそこそこ悪くないこともあって、チャレンジよりも安定を選びつつある。ところが妻は夫の心情を推し量ることはなく、ただ“アタシは頑張っているんだから、アナタも頑張って!”と言うばかり。

 しかも彼女は“互いに頑張るのがアタリマエ”といった御題目を、生徒指導等で帰宅が遅くなり、家事がおろそかになることの“言い訳”にしている。もちろん、夫婦間での価値観のズレはあっていい・・・・というか、あるのが当然だ。大事なのは、価値観の相違を認めた上で、それらと折り合いを付けることである。なのに彼女は最初から自分と夫との価値観は“似たようなものだ”と決めつけ、自分の見解を一方的に押しつけるだけ。これでは、劇中の夫ならずとも逃げ出したくなる。こういう末期的な夫婦関係をシビアに描出したことが、本作の唯一の見所であろう。

 では、それ以外の“熱血教師奮闘編”である映画のメインストーリーはどうかといえば、ハッキリ言ってどうでもいい。凡庸そのものだ。確かに生徒達が置かれた環境は劣悪。あまりの悲惨さに泣けてくる。しかし、彼らに対する主人公の態度がどうにもリベラル臭いのだ。

 日記を付けさせるとかゲームをするとか何とか、そういう奇をてらったことではなく、落ちこぼれであろう彼らがどうして正規のカリキュラムに向き合うようになったのか、描くべきはそのプロセスの筈だ。これでは教師と生徒の気色の悪い馴れ合いではないか。それに終盤の展開が示すように、生徒達はこの教師がいなければ何も出来ない“カタにはめられた”ようなキャラクターと化してしまう。実際はそんなわけがないし、またヒロインは国語教師に過ぎないから四六時中彼らと一緒にいることは出来ない。単に“実話だから”という設定に寄りかかって、作者のリベラルな主張を全面展開したようにも思える。そんな教条的なテイストなどお呼びではない。

 監督のリチャード・ラグラヴェネーズは脚本家出身であるにもかかわらず、詰めが甘いシナリオに漫然と乗っかっているだけの退屈な演出に終始している。それにしてもH・スワンクは「リーピング」もそうだが、どこか勘違いしているような役が板に付いてきたように思える(爆)。
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「殺人の追憶」

2007-08-01 06:47:50 | 映画の感想(さ行)

 (英題:Memories of Murder)2003年作品。1986年にソウル近郊の農村で実際に起こった連続殺人事件を追う刑事たちを描いたポン・ジュノ監督作品で、製作当初は数々の賞を獲得していた話題作だ。ソン・ガンホ、キム・サンギョン、キム・レハといったキャストも力演している。

 しかし、私は世評ほどの映画とは思わない。ベースが迷宮入り事件の実録編なので解決によるカタルシスが無いのは最初から分かっている。ならばそれをカバーするだけの素材(ここでは、当時の切迫した世情の描写)が必要だが、完全に不足している。

 80年代の韓国は軍政下で戒厳令や反体制活動も日常茶飯事だった。映画ではデモ隊などの鎮圧に機動隊が全て駆り出され、新たな犯行を阻止出来なかったエピソードや、田舎町に突如現れた採石場とそこで働く素性不明の男達の扱いなどを通して“時代の暗い影”を描出しようと努力していることは理解できる。しかし、同じ未解決事件を題材にした我が国の「謀殺・下山事件」や「帝銀事件・死刑囚」などの迫力には遠く及ばない。

 それはたぶんポン監督の場違いとも言えるコメディ・センスのせいであろう。前作「ほえる犬は噛まない」で存分に発揮されたギャグの速射砲は健在ではあるが、それは即物的な笑いを呼ぶものの、登場人物達(特に捜査陣)の愚鈍ぶりを強調する結果にしかならない。地元の刑事が学歴コンプレックスを披露する部分などその最たるもので、これでは“警察には低学歴の落ちこぼれが多かったから事件解決が出来なかったのだ”と思われても仕方がなく、題材に対する興味も急激に薄れてくる。たとえ地味になろうとも、こういうネタには正攻法の作劇が相応しいと思った。
コメント (2)
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