(原題:CONCLAVE)これは面白い。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂で行なわれる教皇選挙“コンクラーベ”の内実に迫ろうという話だが、宗教ネタを扱う際にありがちな堅苦しさや晦渋さは見事に抑えられており、幅広い層に受け入れられる娯楽作品に仕上がっている。何しろ、原作者はポリティカル・フィクションを得意とするロバート・ハリスだ。高踏的な教義論争などが入り込む余地はまず考えられず、この素材を取り上げた時点で作品の成功は約束されたようなものである。
ヴァチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなり、新教皇を決める教皇選挙に参加するため世界中から100人を超える候補者たちがシスティーナ礼拝堂に集合する。その中にはリベラル派で遣り手のベリーニ枢機卿や、保守派の重鎮であるテデスコ枢機卿などの海千山千の面子も混じっており、式を取り仕切るイギリス出身でローマ教皇庁首席枢機卿のトマス・ローレンスは対応に苦慮する。それでも投票は進み、いよいよ最終段階に差し掛かった時、ローレンスはヴァチカンを震撼させる驚愕の事実を知ることになる。

観る前には若干の危惧があったことは確か。本編はアメリカとイギリス合作だが、当然のことながらプロテスタントやイギリス国教会、さらにはユダヤ関連などの影響力の大きい土壌だ。したがって、ローマカトリックを揶揄したような内容になることも予想出来た。事実、場所をわきまえずタバコを吸いまくる参加者や、公の席でスマホを弄ってばかりの枢機卿もいたりして、そういう雰囲気も皆無ではない。しかし、終わってみれば見事に伝統ある宗教界の“見解”といったものが強調され、やはりローマ教皇という地位は世界に冠たるものであることを実感する。
エドワード・ベルガーの演出は二転三転する“コンクラーベ”の行方を粘り強く活写し、サスペンス映画として絶妙の仕上がりを見せる。主演のレイフ・ファインズのパフォーマンスは、彼の代表作になること必至の働きぶりだ。スタンリー・トゥッチにジョン・リスゴー、カルロス・ディエスといった顔ぶれも言うことなし。イザベラ・ロッセリーニが重要な役で出ているのも嬉しい。
また、ステファーヌ・フォンテーヌのカメラによる目覚ましい画面造形や、美術担当のスージー・デイヴィス、衣装デザインのリジー・クリストルなど、優秀なスタッフの仕事も強く印象に残る。米アカデミー賞作品賞は「ANORA アノーラ」みたいな薄っぺらいシャシンではなく、この映画のような佇まいの作品に与えられるべきだったと思う。
ヴァチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなり、新教皇を決める教皇選挙に参加するため世界中から100人を超える候補者たちがシスティーナ礼拝堂に集合する。その中にはリベラル派で遣り手のベリーニ枢機卿や、保守派の重鎮であるテデスコ枢機卿などの海千山千の面子も混じっており、式を取り仕切るイギリス出身でローマ教皇庁首席枢機卿のトマス・ローレンスは対応に苦慮する。それでも投票は進み、いよいよ最終段階に差し掛かった時、ローレンスはヴァチカンを震撼させる驚愕の事実を知ることになる。

観る前には若干の危惧があったことは確か。本編はアメリカとイギリス合作だが、当然のことながらプロテスタントやイギリス国教会、さらにはユダヤ関連などの影響力の大きい土壌だ。したがって、ローマカトリックを揶揄したような内容になることも予想出来た。事実、場所をわきまえずタバコを吸いまくる参加者や、公の席でスマホを弄ってばかりの枢機卿もいたりして、そういう雰囲気も皆無ではない。しかし、終わってみれば見事に伝統ある宗教界の“見解”といったものが強調され、やはりローマ教皇という地位は世界に冠たるものであることを実感する。
エドワード・ベルガーの演出は二転三転する“コンクラーベ”の行方を粘り強く活写し、サスペンス映画として絶妙の仕上がりを見せる。主演のレイフ・ファインズのパフォーマンスは、彼の代表作になること必至の働きぶりだ。スタンリー・トゥッチにジョン・リスゴー、カルロス・ディエスといった顔ぶれも言うことなし。イザベラ・ロッセリーニが重要な役で出ているのも嬉しい。
また、ステファーヌ・フォンテーヌのカメラによる目覚ましい画面造形や、美術担当のスージー・デイヴィス、衣装デザインのリジー・クリストルなど、優秀なスタッフの仕事も強く印象に残る。米アカデミー賞作品賞は「ANORA アノーラ」みたいな薄っぺらいシャシンではなく、この映画のような佇まいの作品に与えられるべきだったと思う。