元・副会長のCinema Days

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「わたしの叔父さん」

2021-03-27 06:17:12 | 映画の感想(わ行)
 (原題:UNCLE )まったく面白くない。起伏がほとんどない作劇が延々と続き、上映中は眠たくて仕方がなかった。2時間に満たない尺ながら、途轍もなく長く感じられる。考えてみればストーリー設定自体に無理があり、キャラクターの造型も絵空事だ。聞けば2019年の東京国際映画祭コンペティション部門で大賞を獲得したらしいが、受賞実績はどうあれ、個人的にはダメなものはダメである。

 舞台はデンマークの農村地帯。27歳のクリスは幼い頃に両親を亡くし、体の不自由な叔父と2人で家業の酪農を切り回していた。特に変化のない毎日で、クリスは教会で出会った青年マイクからデートに誘われたりもするが、彼女は及び腰である。ある時、クリスは地区を担当している獣医からコペンハーゲンの大学で講義する際に同行して欲しいとの要望を受ける。2泊3日の行程で家を空けることになった彼女だが、その間に叔父が倒れてしまう。

 まず、邦題にある“叔父”というのは違和感を覚えてしまう。“叔父”というのは親の弟を意味するが、本作の叔父さんは老齢で、どう見ても20歳代の姪がいるとは思えない。ここは百歩譲って“伯父”か、あるいは祖父という設定が望ましい。

 ともあれ、この2人の関係性には疑問が付きまとう。いくら両親がいないとはいえ、クリスが叔父との生活に執着する意味が見い出せない。彼女はもともと獣医志望だったらしいが、それだけでは田舎の酪農農家を手伝う動機にはなり得ない。有り体に言えば彼女は気難しく、まったく共感できない。こんなのが画面をウロウロしているだけで気分を害する。

 しかも、朝起きてから夜寝るまで、2人は生活のパターンを変えようとはしない。何しろ、叔父の入院先でも自宅にいるときと同じ食事のメニューを用意するほどだ。監督のフラレ・ピーダセンは小津安二郎の信奉者らしいが、ひょっとしてクリスと叔父の関係は、小津の「晩春」(1949年)における原節子と笠智衆にインスパイアされたのかもしれない。しかしながら、本作は洗練の極みのような小津作品のレベルには達していない。どこか俗っぽく、そしてワザとらしいのだ。

 特に、叔父が自分でプロの介護士を呼んだことにクリスが腹を立て、“私がいるじゃない!”と言い放つあたりは不快感を覚えた。2人の恋愛感情じみたものを描こうとしたようだが、それまでに何もエモーショナルなモチーフを提示していないため、いたずらに唐突で生臭い。

 ピーダセンの演出はメリハリが皆無で、観ていて退屈だ。じっくりと淡々としたタッチで撮れば何か描けると思い込んでいる。そんなのはただの“スタイル”であり、確固としたドラマツルギーの裏付けのない表面的な小細工を見せられてもシラケるだけだ。主演のイェデ・スナゴーとペーダ・ハンセン・テューセンには魅力が皆無。オーレ・キャスパセンやトゥーエ・フリスク・ピーダセンといった脇の面子もパッとせず、とっとと忘れてしまいたい映画である。

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