元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「私というパズル」

2021-05-08 06:12:39 | 映画の感想(わ行)
 (原題:PIECES OF A WOMAN )2021年1月よりNetflixより配信。主演のヴァネッサ・カービーが本作でアカデミー主演女優賞候補になったというので観てみたが、どうにもピンと来ない映画だ。いわば、無理筋の設定で登場人物に屈託を強いているようなシャシンであり、実に居心地が悪い。普通のシチュエーションならば、映画のネタにもならない話である。

 ボストンに住む主婦マーサは出産を控えており、夫のショーンは子供の誕生を楽しみにしていた。この夫婦は自宅出産することを選んでいたが、マーサが産気付いた夜、馴染みの助産婦は別の出産に立ち会っていたため来られない。急遽代わりの助産婦イヴが派遣され、マーサは苦しんだ末に女児を産むが、赤ん坊はすぐに死んでしまう。

 ショックに打ちひしがれた彼女は心を閉ざし、そのため復帰した職場では周囲は腫れ物に触るような対応しかしない。ショーンとの仲もギクシャクしてくる。加えて、母親と妹夫婦はイヴを訴えることに執着し、やがて夫は弁護士のスザンヌと浮気に走る。マーサは苦悩を抱えたまま刑事告訴されたイヴと、法廷で対峙する。

 要するに、マーサが病院で出産していれば、死産は避けられたかもしれないという話ではないのか。しかも、出産当日に担当助産婦が来られない可能性は予想できたはずで、その対処策も用意されていない。救急車を呼ぶのも遅すぎた。そもそも、2人が自宅出産に拘泥した理由は、最後まで明かされないのだ。

 自分たちでリスクを背負い、いざという時に対応できなかったから不幸を呼び込んだという、観ている側にとっては“関係の無い”ストーリーが展開されるだけ。また、冒頭から出産の顛末までに30分近くを要しているというのは、まったくもって無駄だ。長いだけでドラマ自体にほとんど関与していない。

 マーサの独り相撲的な懊悩や、母親らの独善的な態度も不快感しか覚えない。特に母親の出生の秘密が開示される場面は、盛り上がりそうな雰囲気がありながら少しも求心力が発揮されていない。終盤の法廷のシーンと、続くラストシーンにもカタルシスは皆無で、観終わってみれば残るのは徒労感だけだ。

 コーネル・ムンドルッツォの演出は冗長で、メリハリを欠く。主役のカービーは確かに熱演であり、ある意味“体当たり”とも言えるのだが、映画の内容がこのレベルなので割を食っている。ショーン役のシャイア・ラブーフはパッとせず、エレン・バースティンとサラ・スヌークというクセ者を脇に配していながらさほど機能させていない。なお、本作は主にカナダで撮られているらしいが、どうして舞台がボストンなのかよく分からない。チャールズ川の風景が申し訳程度に挿入されるのも、あまりいい感じはしない。

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