元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「レイチェルの結婚」

2009-06-03 06:36:03 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Rachel Getting Married)やるせない映画だ。舞台はコネチカット州の田舎町。長女レイチェルの結婚式を間近に控えたバックマン家に、麻薬中毒患者のリハビリ施設から一時帰宅を許された次女キムが戻ってくる。祝賀ムードに包まれた家族と友人縁者たちの中にあっては異質な存在だが、それでも式と披露宴は滞りなく進む。しかし、キム自身がこの一家に漂う“暗い影”の象徴であったことが明らかになるにつれ、観ていて何ともやりきれない気分になる。

 結局、この一家はキムがリハビリセンターに収監されるずっと前から“崩壊”していたのだ。もちろん、そのきっかけを作ったのはキム自身である。しかし、状況を考えると家族全員に責任があると言わざるを得ない。世の中には、不幸な目に遭ってもそれを乗り越えてたくましく生きてゆく家族は、いくらでも存在する。ところがバックマン家の悲劇は、その逆境に対峙しないまま有耶無耶の状態で時を重ねてきたことだ。

 それに耐えられず母親はすでに家を出ている。レイチェルだって結婚は喜ばしいことだが、彼女とパートナーの新居は遠く離れたハワイだ。今後はそう頻繁には帰省できない。逆に言えば、実家に帰ることが難しいような地理的条件を、自ら選んだのだ。母親と同様、レイチェルも早々に家を出たかったのである。

 音楽業界に身を置く父親はかなりのリベラル派らしく、数多い友人知人は人種もさまざま。マイノリティも目立つ。いろんな話題と情報が飛び交い、気の置けない会話だけで毎日を面白可笑しく過ごせるように思える。しかし、それは家族の“暗い影”を封印しているだけなのだ。陽気に振る舞ってはいるが、食器棚の奥にしまわれた辛い過去を思い出して立ち往生してしまう、彼の屈託が悲しい。キムはといえば、式が終わると逃げるようにリハビリ施設に逆戻りするしかないのだ。

 かつて「ストップ・メイキング・センス」というコンサート映画の傑作を作り上げたジョナサン・デミ監督らしく、断続的に挿入される音楽演奏シーンは見事である(反面、いわゆるBGMとしての音楽は存在しない)。ただしそれは、事の本質に向き合わずに目先の楽しさだけにウツツを抜かす登場人物たちを象徴しているとも言えるので、理屈抜きで楽しむわけにはいかない。手持ちカメラを駆使した臨場感あふれる映像も要チェックだ。

 キムに扮するアン・ハサウェイは目を見張る力演。キュートなルックスも含めて20代のアメリカ人の女優では屈指の人材で、アカデミー賞ノミネートも納得だ。彼女と母親役のデブラ・ウィンガーを除いて顔を知らない俳優ばかりだが、皆実力派である。家族関係の終焉を描いた辛口のドラマとして、観ていて楽しくはないが、存在価値は大いにあると思う。

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