(原題:THE MAN FROM LARAMIE)1955年作品。勧善懲悪の図式を取ることが多かったそれまでの西部劇とは異なり、複雑な人間関係をフィーチャーし、一筋縄ではいかない展開を見せる。公開当時は異色作として受け取られたことだろう。かといって面白くないわけではなく、各キャラクターは十分に“立って”おり、適度な活劇場面も挿入される。
ワイオミング州にあるララミー砦の陸軍大尉ウィル・ロックハートは、同じく軍属であった弟を新式の銃を持ったアパッチ族に殺され、その銃をインディアンに売った男を探し出すため、幌馬車隊の商人を装って銃取引の現場と思しきニューメキシコ州にやって来た。ところがその地域を仕切っているバーブ牧場のデイヴやヴィックらに襲われ、商品を焼き払われてしまう。

それを知ったバーブ牧場の主人でデイヴの父親のアレックは、ウィルの損害を弁償する旨を申し出る。アレックの姪のバーバラの助力を得てこの町に滞在することにしたウィルだが、デイヴらを取り巻く一族の確執により、彼の身にも危険が迫ってくる。
主人公の弟を殺したのはアパッチ族であるにも関わらず、ウィルは先住民を恨んでいないことが興味深い。もちろん実際問題として、アパッチ族を敵視しても事態は好転するはずがないのだが、本作ではそれを“当然のこと”にしている。やはり本作が製作された時期が、西部劇の内容の分岐点だったのだろう。

映画の基本線は西部劇版“家族の肖像”という体裁で、もちろんウィルは活躍するのだが、ドラマの中心はバーブ牧場を経営する者たちの愛憎劇だ。特に、デイヴと遠い親戚筋であるヴィックとの関係性は奥行きを持って描かれる。アンソニー・マンの演出はウエスタンとしての外観をスポイルすることなく、巧みに人間群像劇としてのアプローチに徹している。
マン監督とのコンビはこれで5本目となるジェームズ・スチュアートの演技は、さすがに安定している。アーサー・ケネディにドナルド・クリスプ、アレックス・ニコル、アリーン・マクマホンといった顔ぶれも手堅い。ヒロイン役のキャシー・オドネルは典型的美人タイプではないのだが、実にチャーミングだ。チャールズ・ラングのカメラによる、ニューメキシコの茫洋たる荒野の風景も良い。
ワイオミング州にあるララミー砦の陸軍大尉ウィル・ロックハートは、同じく軍属であった弟を新式の銃を持ったアパッチ族に殺され、その銃をインディアンに売った男を探し出すため、幌馬車隊の商人を装って銃取引の現場と思しきニューメキシコ州にやって来た。ところがその地域を仕切っているバーブ牧場のデイヴやヴィックらに襲われ、商品を焼き払われてしまう。

それを知ったバーブ牧場の主人でデイヴの父親のアレックは、ウィルの損害を弁償する旨を申し出る。アレックの姪のバーバラの助力を得てこの町に滞在することにしたウィルだが、デイヴらを取り巻く一族の確執により、彼の身にも危険が迫ってくる。
主人公の弟を殺したのはアパッチ族であるにも関わらず、ウィルは先住民を恨んでいないことが興味深い。もちろん実際問題として、アパッチ族を敵視しても事態は好転するはずがないのだが、本作ではそれを“当然のこと”にしている。やはり本作が製作された時期が、西部劇の内容の分岐点だったのだろう。

映画の基本線は西部劇版“家族の肖像”という体裁で、もちろんウィルは活躍するのだが、ドラマの中心はバーブ牧場を経営する者たちの愛憎劇だ。特に、デイヴと遠い親戚筋であるヴィックとの関係性は奥行きを持って描かれる。アンソニー・マンの演出はウエスタンとしての外観をスポイルすることなく、巧みに人間群像劇としてのアプローチに徹している。
マン監督とのコンビはこれで5本目となるジェームズ・スチュアートの演技は、さすがに安定している。アーサー・ケネディにドナルド・クリスプ、アレックス・ニコル、アリーン・マクマホンといった顔ぶれも手堅い。ヒロイン役のキャシー・オドネルは典型的美人タイプではないのだが、実にチャーミングだ。チャールズ・ラングのカメラによる、ニューメキシコの茫洋たる荒野の風景も良い。