元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バーニング 劇場版」

2019-02-23 06:20:58 | 映画の感想(は行)

 (英題:BURNING )簡潔に描けば短時間で済むようなネタを、勿体ぶった語り口でダラダラと引き延ばし、挙げ句の果てに“生煮え”で終わるという、私の最も嫌うタイプの映画だ。とにかく上映中は睡魔との戦いに明け暮れ、実に不本意な時間の使い方をしてしまった。

 ソウル近郊の田舎町に住む小説家志望の青年ジョンスは、幼馴染みの若い女ヘミと偶然再会する。彼女はアフリカに旅行に出掛けるらしく、その間に飼い猫の世話をするように頼まれる。ところが、ジョンスが猫を一度も目撃することは無かった。不自然さを感じながらも旅行から戻ったヘミを迎える彼だが、彼女はアフリカで知り合ったという、素性の分からない金持ちの男ベンをジョンスに紹介する。

 ある日、3人がジョンスの自宅で酒を酌み交わしていると、ベンはジョンスに“僕は時々ビニールハウスを燃やしている”という妙な秘密を打ち明ける。そして、次に燃やす予定のビニールハウスはすでに近所に見付けているという。気になったジョンスは、次の日からを近場のビニールハウスを見回るようになる。一方、ヘミは突然姿を消してしまう。彼女が好きになっていたジョンスは必死で探すが、行方は分からない。村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を、韓国で映画化したものだ。

 ジョンスの父親は暴行事件を起こして公判の真っ最中。母親はとうに家を出ている。小説を書きたい彼だが、いまだ構想すら覚束ない。ベンは何で生計を立てているのか不明で、時折意味の分からない行動を取る。ヘミは奔放に生きているようだが、どういう性格でどんな信条を持っているのか説明されない。こういう漫然と日々を送っているような者を3人並べて、これまた漫然とカメラを回しただけのような、弛緩した映像が何の工夫も無く続く。

 原作を読んでいない私が言うのも何だが、おそらく本作の主題は青年期の不安と焦燥、そして男女関係の不可思議さ、ついでに韓国の格差社会を描出するといったものだろう(まあ、それら以外に思い付かないのだが ^^;)。それならば、もっとタイトに、かつ明確な作劇に徹するべきだ。

 ここにあるのはジョンスの勝手な妄想と、ベンの人生を悟りきったような(端から見ればどうでもいい)表情と、ヘミのあまり上手くないパントマイムだけだ。そして、思わせぶりな気取ったセリフが全編を覆う。イ・チャンドンの演出は冗長でメリハリが無く、かつて「ペパーミント・キャンディー」(99年)や「シークレット・サンシャイン」(2007年)等の秀作をモノにした監督の仕事とは思えない。

 主演のユ・アインとスティーブン・ユァンはパッとしない。ヘミに扮するチョン・ジョンソも大して魅力無し。ただ、劇中冒頭で彼女がジョンスに向かって“整形したのよ。見違えたでしょ”と言うシーンは、少し笑えた(^_^;)。
コメント
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