元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

福岡市の映画館の変遷について。

2017-09-22 06:18:12 | 映画周辺のネタ
 私のように無駄に長年映画を見続けていると、福岡市の映画館事情の移り変わりを目撃することにもなる(まあ、ずっと福岡市に住んでいたわけではないが)。そのへんを少し書いておこう。

 その昔、福岡市早良区西新には映画館が二つあった(もっと昔はそれ以上あったらしいけど、私は知らない)。西新アカデミーと西新東映である。前者は東宝系列の小屋で、ごくたまにミニシアター系作品を上映していたが、99年に惜しまれつつ閉館。後者は文字通り東映系だったが、ハリウッドのクラシック作品も安い料金で上映していた。

 この西新東映が閉館したあと同じロケーションに出来たのが「てあとる西新」という劇場だ。開設時期は80年代初頭だったと思う。ミニシアター系の封切り作品はもちろん、タルコフスキーやゴダールやフェリーニなどの旧作も数多く上映。「カルメンという名の女」も「鏡」も「8 1/2」もここで観た。しかし、二百席以上というミニシアターの範疇を超えた規模であり、ランニングコストがかさんで閉館(確か、86年か87年)。経営母体のパシフィック・シネマ・ジャパンは同じコンセプトの小屋を中央区天神2丁目に開館させ、「移転」との形を取る。それが「西通りキノ」である。

 「西通りキノ」は80年代末にオープンした。80席程度の「キノ1」と50席ぐらいの「キノ2」の2スクリーン構成。作品傾向は「てあとる西新」と同じだったが、「ベルリン・天使の詩」「どついたるねん」などの話題の単館系作品も手がける。さらにグリーナウェイやデレク・ジャーマンなどの初期実験映画の一挙上映みたいなマニアックなネタもやっていた。
 
 ところが、ここの劇場は設備が万全ではなく、「キノ1」はスピーカーが一個しかないし、「キノ2」にいたっては当初は折り畳み椅子のみ。おかげで観客数は減り続け、91年(だったかな)に早々に閉館。それから「シーキューブシアター」と名前を変えて東宝系の二番館として存続しようとしたが、長くは保たなかった。

 80年代前半に「東映ホール」という小さな映画館が中央区天神3丁目の親不孝通りにオープンした。文字通り東映系の二番館だったが、86年か87年ごろ、突然「寺山修司特集」をやり始め、ミニシアター市場(?)にうって出る。館名も「てあとるTENJIN」に変更。たぶん「てあとる西新」と資本的な共通点はあったと思う。「キノ」とは違ってそこそこの設備を持っていたせいか長続きした。やがて経営母体があのビルを所有する「有楽興行」になり(その前から資本参加していたと思うけど)、内部改装を経て90年(だったかな)に「シネテリエ天神」と改名する。なお、「てあとる○○」の展開元だったパシフィック・シネマ・ジャパンはどうなったのか知らない。

 現在、博多区中洲の東急エクセルホテルが建っている場所にも映画館があった。福岡東宝と福岡松竹である。どちらも比較的規模の大きい小屋であったが、時代の流れには勝てなかったらしい。その近くにあった東映グランド劇場も松竹に経営を移管したが、結局は閉館。映画街の代名詞であった中洲も、現在存続しているのは大洋劇場一館のみだ。

 中央区渡辺通りや赤坂、六本松に映画館が存在していたなんて今の若い衆は誰も信じないだろう。かつては博多駅の構内にも名画座があったのだ。現在はシネコンの全盛期になりつつあるが、代わりにミニシアターの数は減った(「シネテリエ天神」も2009年に閉館している)。確かにシネコンはかつての“町の映画館”に比べれば設備は整っているが、もっと多様な観客のセグメントに合わせたマーケティングが望ましい。あと一館でもミニシアターがあったら、もっとバラエティに富んだ番組が楽しめるだろう。
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