元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「パターソン」

2017-09-18 06:43:53 | 映画の感想(は行)

 (原題:PATERSON)ジム・ジャームッシュ監督の映画を観るのは久しぶりだ。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84年)などの才気走った初期作品は当時の映画界を席巻したが、回を重ねるごとにそのインパクトが薄められ、やがて個人的には鑑賞対象から外れていった。今回二十数年ぶりに彼の映画に接したわけだが、往年の先鋭的なテイストは無いものの、良い具合に“枯れた”タッチが捨てがたい。これはこれでオッケーだと思う。

 ニュージャージー州パターソン市で暮らすパターソンは、バスの運転手。朝は定時に起きて妻ローラの手作りの弁当を持って出勤。帰宅後には愛犬マーヴィンと散歩へ出掛け、行きつけのバーで一杯だけビールを飲むという生活を繰り返している。単調な毎日に見えるが、実は彼は(自称)詩人でもある。ありふれた日常の有り様を詩としてノートに書き連ね、平凡な生活の中に詩作の題材に相応しいドラマはあると信じている。だが、言い換えれば詩のモチーフとして日常を捉えなければ、日々の生活は単純なままなのだ。やがて彼のスタンスを少し揺るがす出来事が起きる。

 詩作と主人公の生活がゆっくりとシンクロする作劇のリズムが心地良い。おそらく運行ルートはシンプルでパターソンの負担は少なく、渋滞に巻き込まれることも無い。劇中で一度エンジントラブルが発生するが、大事に至らず治まってしまう。

 しかし、アラブ系である妻ローラの言動はよく見れば少々危なっかしく、行きつけの飲み屋の常連客の痴話ゲンカもシャレならない。ただしパターソンの目にはそれらが重要な出来事として映らない。あくまで平凡な日々を送り、詩作によってアクセントを付けているのだと思い込んでいる。

 そのギャップが顕在化するのが、ひょんなことで詩を書き綴ったノートが失われてからの終盤の展開だ。平穏に見えて、実はいろいろ出来事が起こるリアルな生活に放り出されてしまった主人公。そこに現れるのが日本人の詩人である。そこでパターソンは幾ばくかのインスピレーションを受けるのだが、ほんの少しの示唆で日常を見直すという、ささやかな変化をさりげなく描くあたりが心憎い。

 主役のアダム・ドライバーは飄々とした妙演。ローラを演じるゴルシフテ・ファラハニは、ヒジャブを被ったイラン映画の出演時とは違い、整った素顔が実に印象的だ。また、「ミステリー・トレイン」(89年)でもジャームッシュ監督と組んだ永瀬正敏は儲け役。パターソンの町並みと、ランドマークになるグレートフォールズの描写は効果的。音楽のセンスの良さも相変わらずだ。あまりにも淡々とした展開なので眠くなる観客もいるだろうが、決して観て損はしない映画だ。
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