元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

アベ・プレヴォ「マノン・レスコー」

2013-02-22 06:39:13 | 読書感想文
 18世紀のフランス文学を代表する恋愛小説で、プッチーニのオペラやアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「情婦マノン」をはじめ数多くの舞台・映像作品が作られた。いわゆるファム・ファタールを描いた作品としては最初のものといわれている。

 良家に生まれた主人公の青年シュヴァリエ・デ・グリュは、ある日マノンという美少女に出会い、狂おしいほどの恋心を抱く。だが、マノンは一途に彼を愛してくれるような貞淑な女ではなかった。奔放な彼女に振り回され、シュヴァリエは身を持ち崩す。やがてマノンはアメリカ大陸に追放され、彼もまたその後を追い、そして荒野の中で二人の愛は終焉を迎える。



 とにかく、シュヴァリエの真っ逆さまに堕ちてゆく過程を、容赦なく追い込む筆致が素晴らしい。端から見れば典型的な自暴自棄だが、当の本人はどんな愚行も愛を成就させるための崇高な行為だと信じて疑わない。しかも、自分こそが正しくて、少しでも意見する者は“悪”だと決めつけている。

 だが、精神的な幼さを割り引いても、彼の言動は唾棄すべきものだとは思えないのがミソだ。誰しも一度は、こんな後先考えない一途な恋愛に憧れたことがあるのではないだろうか。たとえそれが一方通行の報われない恋路であっても、または破滅への一里塚であろうとも、抗しがたい刹那的な欲望にどっぷりと浸かってみたいと思ったりする。そんな背徳的な気分を投影させるかのようなシュヴァリエの造型は、実に見事だ。

 そしてマノンも決して下品な女には描かれない。彼女も主人公を愛しており、その不実な行動もシュヴァリエに対して決して悪気があるわけではない。それどころか、無垢でチャーミングだ。

 ファム・ファタールというのは、決して自分の利益のために男を籠絡する女のことではない。純粋なやり方で愛を貫こうとして、結果的に周囲に不幸を振りまいてしまうキャラクターを指す。こういう話を書いたプレヴォが修道士だったというのも驚く。残念ながら「情婦マノン」は未見だが、機会があれば観てみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする