元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ルビー・スパークス」

2013-02-25 06:43:12 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Ruby Sparks )面白かった。男ならば誰しも身につまされる話であるが、その痛々しさをエンタテインメントに昇華して、見事に主人公の成長物語に仕立てている。やはり前に「リトル・ミス・サンシャイン」という快打を飛ばしたジョナサン・デイトンとバレリー・フェリス夫妻の監督コンビは、ただ者ではない。

 デビュー作こそ大ヒットしたものの、第二作が書けずに長らくスランプの状態にある若手作家カルヴィンが、何気なく自分の理想の女性像を書き連ねていたら、そのまんまの女の子ルビーが彼の前に現れる。しかも、彼女は彼が書く原稿の通りにプロフィールや性格が設定されてしまうのだ。

 まさに男の勝手な願望を実現化してしまうキャラクターで、有頂天になったカルヴィンはルビーと恋仲になり、両親にも紹介する。ところがしばらく経つと、ルビーは意のままに動くはずなのに二人の関係が上手くいかなくなってくる。焦ったカルヴィンは原稿のリセットを繰り返した挙げ句、ついにはルビーに彼女自身が“創作上の産物”でしかないことを明かそうとする。

 こういう交際相手がいれば良いとか、付き合っている恋人がこんな性格であって欲しいとか、誰だって思ったことがあるはずだ。特にカルヴィンは第一作が売れたことによって儲けた金で生活感の無い家を入手し、人付き合いが苦手なくせに“俺は皆とは違うのだ”というプライドを持ち、パソコン類には目もくれず今時タイプライターで文章を作成するという、スノッブなオタク野郎である。だから空想上のガールフレンドに対する要求度は人一倍高い。

 ところが、いざ自分の思い描いた通りの女の子が実体化したとしても、そのパフォーマンスは当人の知識や教養や視野に準拠してしまい、そこから一歩も出ることはない。ルビーはやがて自分の意志を持ち始め、思い通りに行動するようになるが、カルヴィンはそのことを理解できずに何度も彼女の性格を設定し直すハメになる。しかし、再設定のたびに彼女はいかにも薄っぺらいキャラクターに変化するだけで、本当に自分が思っている“理想”の姿とは遠くなるばかりなのだ。

 当然のことながら、彼のそんなメンタリティでは万人を納得させるだけの書物を上梓することは出来ない(第一作の大当たりはマグレだったのであろう)。それをやっと自覚した彼は、それまでの思い上がった態度を改めて真摯に人生に向き合おうとする。考えてみれば予定調和の筋書きなのだが、オタクっぽい願望が木っ端微塵に砕かれて“裸の自分”がさらけ出されるプロセスはかなりシビアで、しかもそれがコメディタッチで提示されているため無理なく観る者にスッと入っていくあたりがクセ物だ。

 主役のポール・ダノは好演で、情けないアンチャンを嫌味にならずに上手く表現している。ルビー役のゾーイ・カザン(往年の名監督エリア・カザンの孫)は奔放な魅力を放つ逸材で、本作の脚本も手掛けているという注目株だ。アントニオ・バンデラスやアネット・ベニングなど脇の面子も多彩。辛口のラブ・コメディとして、幅広く奨められるシャシンである。
コメント
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