ここ数年の北野武作品としてはマシな部類。ただし、諸手を挙げて評価は出来ない。まず印象付けられるのは、いつもの北野組の面々が出ていないこと。いわゆる“たけし軍団”の連中はもちろん、寺島進や大杉漣といった馴染みの面子も顔を出していない。そして“キタノ・ブルー”と呼ばれる青っぽい画面は相変わらずながら、音楽は叙情派の久石譲ではなく(「座頭市」に続いて)ストイックなロック系の鈴木慶一を起用した。内容も、作家性を抑えたプログラム・ピクチュア路線に振られているようだ。
もっとも、昨今は「TAKESHIS’」(2005年)だの「アキレスと亀」(2008年)だのといった内省的なネタを扱ったシャシン(しかも、ちっとも面白くない)が目立ったので、その反動と見るべきかもしれない。ただし、問題はこの映画が北野が過去に何度も手掛けてきたヤクザ物だということだ。これでは新味がないのではないか。もっと別の題材で勝負すべきである。
ただし同じ任侠物でも「ソナチネ」(93年)や「BROTHER」(2001年)などの、登場人物の個別的な感情がドラマを牽引していた作品とは違い、“全員悪人”という惹句に有る通りすべてが欲得尽くで血も涙もない抗争を繰り広げるという点で、今までにはないテイストを提示しているのは確かだ。しかし、そんなのは深作欣二監督がとっくの昔に「仁義なき戦い」シリーズで“頂点”を極めている。
ならば本作のアドバンテージは何かというと、北野得意のギャグの振り方ぐらいだろう。手の込んだ残虐描写が続くものの、不思議と陰惨さを感じさせないのは、この乾いた笑いの扱い方にある。その見せ方の手口は映画が進むにつれて巧妙さを増し、観ている側は“次はどんな感じで来るのか”という期待でワクワクしながら筋書きを追うことになる。こういう見せ方もアリだとは思う。
ただし、この行き方では先が続かない。つまりは“今回限り”のネタ披露という印象しか受けず、観賞後にはどこか虚しい気分になるのも確かなのだ。前にも言ったが、北野武は“他から持ち込まれた企画”をこなした方が作風に奥行きが出ると思う。
巨大暴力団の総長に扮する北村総一朗をはじめ、ワルが板に付いてきた三浦友和、ほかに國村隼、杉本哲太、石橋蓮司、椎名桔平らが楽しそうヤクザを演じている。たけし自身も配下の組長役で出演。加瀬亮が意外な一面を出し、悪徳刑事役の小日向文世も堂に入っている。しかし考えてみれば、日本の男優が誰しもサマになる役というのは兵隊かヤクザであるのも事実。この映画でキャラが立っていたからといって、それが各個人のキャリアにプラスになるのかどうかは疑わしいところである(^^;)。