(原題:The Bonfire of the Vanities)90年作品。ウォール街の覇者として富と名声を欲しいままにしていた証券マンが、愛人と一緒にいるときに起こした事故が元で、その地位をあっという間に失っていく。原作トム・ウルフ、監督はブライアン・デ・パルマ。
なるほどこれは現代アメリカ社会の持つ病理の一面を描いている。愛人の運転するクルマが事故を起こしたのはブロンクス地区で、しかも被害者は若い黒人。加害者がWASPのエリートということで、現地の黒人運動家がまず人種差別糾弾を叫んで動き出す。それに乗じて再選を目指す地方検事が主人公を有罪に追い込むことによって有色人種層の支持をとりつけようと画策し、さらにこのテのスキャンダルに目のないマスコミが“疑惑の人物”として主人公を悪役にまつりあげる。この、手のひらを返したような物語の暗転はなかなか面白く、一歩間違えれば天国から地獄行きのシビアーかつブラックなアメリカのビジネス社会を目の当たりにする思いである。
しかし、全然物足りないのはこの監督らしいハッタリかました華麗な映像がほとんど見られないところだ。かといって本格的社会派映画にしてはあざとさが先行して愉快になれない。この程度だったらもっとサマになる監督が他にいくらでもいるだろう。
それとキャストが不満だ。主人公に扮するトム・ハンクスは好演で、幸せ薄い(?)ビジネスマンをうまく表現していたものの、愛人のメラニー・グリフィスは「ワーキング・ガール」の素敵なヒロインから完全に一歩後退してまたいつものパープー女に戻ったし、この事件でひと山当てた飲んだくれの新聞記者のブルース・ウィリスに至っては、はっきり言っていてもいなくてもどおってことないキャラクターをシコシコやっていたに過ぎない。それから裁判官のモーガン・フリーマンは相変わらずご大層な演説でテーマを要約してくれるし、何か俳優の使い方を少し間違えているような映画である。
アメリカでは当時鳴り物入りで公開されたものの、大コケしたらしい。デ・パルマ監督はやっぱりシリアスなアクション物かサスペンス映画の方が合っていると思ったものである・・・・が、同監督はこれ以降もロクなシャシンは撮っていないし、当時すでに“終わって”いたんだろうね(暗然)。
なるほどこれは現代アメリカ社会の持つ病理の一面を描いている。愛人の運転するクルマが事故を起こしたのはブロンクス地区で、しかも被害者は若い黒人。加害者がWASPのエリートということで、現地の黒人運動家がまず人種差別糾弾を叫んで動き出す。それに乗じて再選を目指す地方検事が主人公を有罪に追い込むことによって有色人種層の支持をとりつけようと画策し、さらにこのテのスキャンダルに目のないマスコミが“疑惑の人物”として主人公を悪役にまつりあげる。この、手のひらを返したような物語の暗転はなかなか面白く、一歩間違えれば天国から地獄行きのシビアーかつブラックなアメリカのビジネス社会を目の当たりにする思いである。
しかし、全然物足りないのはこの監督らしいハッタリかました華麗な映像がほとんど見られないところだ。かといって本格的社会派映画にしてはあざとさが先行して愉快になれない。この程度だったらもっとサマになる監督が他にいくらでもいるだろう。
それとキャストが不満だ。主人公に扮するトム・ハンクスは好演で、幸せ薄い(?)ビジネスマンをうまく表現していたものの、愛人のメラニー・グリフィスは「ワーキング・ガール」の素敵なヒロインから完全に一歩後退してまたいつものパープー女に戻ったし、この事件でひと山当てた飲んだくれの新聞記者のブルース・ウィリスに至っては、はっきり言っていてもいなくてもどおってことないキャラクターをシコシコやっていたに過ぎない。それから裁判官のモーガン・フリーマンは相変わらずご大層な演説でテーマを要約してくれるし、何か俳優の使い方を少し間違えているような映画である。
アメリカでは当時鳴り物入りで公開されたものの、大コケしたらしい。デ・パルマ監督はやっぱりシリアスなアクション物かサスペンス映画の方が合っていると思ったものである・・・・が、同監督はこれ以降もロクなシャシンは撮っていないし、当時すでに“終わって”いたんだろうね(暗然)。


