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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バートン・フィンク」

2006-07-05 06:50:48 | 映画の感想(は行)
 (原題:Barton Fink)91年作品。時は1941年。ニューヨークの劇壇で売り出し中の若手劇作家バートン・フィンク(ジョン・タートゥーロ)はハリウッドの映画会社からの依頼でレスリングを題材にした新作映画のシナリオを書くことになった。ロスアンジェルスの安ホテルに泊まって執筆にとりかかろうとする彼だが、環境の違いによるいきなりのスランプで一行も筆が進まない。それどころか、異様な人物たちが次々と登場しては彼のジャマばかりする。はたして彼は作品を完成できるのだろうか。

 監督・製作は「ミラーズ・クロッシング」(90年)などのジョエル・コーエン&イーサン・コーエン。91年のカンヌ映画祭でグランプリ、監督賞、主演男優賞を獲得した話題作だ。

 うーむ。正直言ってぜんぜんダメ。シナリオが書けずに悩むライターの話、なんてのは楽屋落ち以外の何物でもなく、ほとんどの観客には“カンケーない”というのが本音だろう。この題材をモノにするためには、よほど説得力のあるストーリーと丁寧な演出が必要であろうが、この作品はまるで一人よがり。観客を納得させようとする態度はカケラも見られず、ただオタクっぽく盛り上がっていくばかりである(ギョーカイ人には受けるかもしれないが)。

 さらに観る方を困惑させるのが、ホラー映画と見まごうばかりのグロテスクな描写の数々だ。幽霊屋敷みたいな古いホテル、暑さでベローンと剥がれる壁紙、したたり落ちるドロドロの液体、血みどろの殺人シーン、マゾっぽい映画会社の社長、そしてクライマックスのSFXを駆使した火災シーンetc. わけのわからない展開に困り果てているうちに、いつのまにか終わるこの映画のタッチは独特のものだとは思う。このグロさはイタリア製ホラーの脂ギトギトとも違うし、ドイツ系のもったいぶったエゲツなさ(意味不明)とも違うし、イギリス映画のスタイリッシュさとも異なり、当然アメリカ製ホラー映画の能天気さとも無縁だ。言うなればユダヤ風である(謎 ^^;)。

 主人公の優柔不断さは同じユダヤ人のウディ・アレンとも通じる部分があるが、この映画はユダヤ人独自の原罪意識というか、そういうもの(私もハッキリとはわからない)に貫かれていていると思う。当然これは普遍性に乏しく、ハリウッドの雰囲気とは遠い存在だ。ヨーロッパではウケたが、アメリカではさっぱりだったらしい。当然だろう。

 ジョン・タートゥーロは好演。そして主人公の隣の部屋に住む謎の男に扮するジョン・グッドマンはアカデミー賞ものの演技だが、映画自体が排他的ともいえる作風のため当時のアメリカの各映画賞から無視されている。とにかく、こういう作品は私も嫌いだ。拒絶反応を起こしてしまった。
コメント
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