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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

昔の映画のことばかり語る者は嫌いである。

2014-12-14 06:45:35 | 映画周辺のネタ
 世の中には映画ファンを自認している人はけっこういると思うが、当然のことながら映画に対するスタンスはそれぞれ違う。私みたいに、面白そうだと思う映画はジャンル関係なく観てしまう者もいれば、ハリウッド製アクション映画が好きな人、あるいは時代劇に関して一家言持っていたり、ミニシアターの熱心な観客もいるだろう。ただし、中には“困った人達”も存在する。その“困り具合”は各人さまざまだが(笑)、一番始末に負えないのは“古い映画にしか価値を見出さない者”だと思う。

 もちろん、古い映画が好きでも一向に構わない。私だって昔の映画を観て感心することは多々あるし、若い時分に観た映画を思い出して感慨に浸ることもある。しかしその“困った人達”は、古い映画こそが最上のものであると信じ込んでいる。さらにそのことを周囲の者に向かって(誰も頼みもしないのに)滔々と言い募る。

 昔は偉大な監督達が顔を揃え、綺羅星のごとき名優が多数存在し、まことに素晴らしかった云々と述べた後、決まって出るのは“今の映画はダメだねぇ”というセリフだ。

 映画に限らず、音楽でも演劇でも娯楽小説でもマンガでも何でもそうだが、“昔のものは良かった。対して最近の○○はつまらん”と無節操に吹聴する者は、大抵その“最近の○○”を知らない。さらに彼らの言う“素晴らしかった古き良き時代”というのは“自分が若かった頃”である場合が多い。つまり意地悪な言い方をすれば、彼らの頭の中はある意味“若い頃で停止している”ということだ。

 映画は娯楽であるが、時代性を照射していなければ娯楽足り得ることは難しい。映画は過去の遺物ではなく、現在進行形である。過去に拘泥するばかりでは、新鮮な感動は得られない。今作られているものは、今観てこそ価値があるのだ。

 ハッキリ言って、昔の映画のことばかり話す人は、総じて退屈である。昔の価値観でしか物事を捉えられていない。そんなことは自分の心の中にとどめておくか、せいぜい自身のブログか何かに書くだけでよろしい。こっちが聞きたくもないのに延々と話しかけないでいただきたい。

 ともあれ趣味の世界において、自身の見解を他人に押し付けるほど不粋なことは無い。昔の映画ばかり褒めそやし、現在の映画を(ロクに観もしないのに)頭から否定するような者は、逆に言えば今の映画を素直に楽しんでいる多くの観客をバカにしているも同様だ。

 自分だけを高みに置いたように現在の映画を軽く見る者に対しては、自身はそれほど御大層な人間なのか一度考えてみろと言いたいが、それを実際に口に出すと剣呑な話になりかねないのでやらない(笑)。ただ、そんな“古い映画ばかりに執着する奴”は他者からは距離を置かれるのは確実。知らぬは当人ばかりというのは、何とも情けない話である。
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「映画人口は3倍に増やせる」という記事。

2014-09-07 06:41:50 | 映画周辺のネタ
 昔、キネマ旬報誌において「映画人口は3倍に増やせる」という特集記事が連載されていたことがある。書いていたのは神頭克之というあまり知らないライターだが、目のつけどころは悪くなかったように思う。彼は日本の映画産業が斜陽化しているというのは大ウソであり、そう見えているのは映画館に観客が集まらないだけで、ビデオ等を含めれば現時点で映画そのものを楽しむ人々の数は過去最高を記録していると言う。

 つまり、適正なマーケティングさえあれば潜在的な映画好きを劇場へ呼び戻すことは可能で、観客を3倍に増やすことも夢ではない・・・・との主張である。

 この記事が書かれたのは91年であり、当時はまだ本格的なシネマ・コンプレックスは我が国に存在していなかった(注:マルチプレックスの第一号店であるワーナー・マイカル・シネマズ海老名がオープンしたのは93年である)。だから、現時点の状況に比べると記事の内容は“時代を感じさせる”ものであるのは否めないが、その映画館運営に対する提言は決して古びてはいないと思う。

 以下、神頭が提示した映画館の改革案である。

(1)椅子は座り心地が最高なものを選ぶ。
(2)座席の間隔を広くする。
(3)スクリーンの前の座席は見にくいので撤去する。
(4)すべての座席にカバーをつける。
(5)座席の後ろに網バッグと傘をかけるフックをつける。
(6)CM・予告編は最低限にする。
(7)内装・外装はデラックスにする。
(8)トイレは超デラックスにする。
(9)無料のコインロッカーを設置する。
(10)飲食物は適正な値段にする。
(11)パンフレットは値段を安くして手提げ袋に入れる。
(12)従業員に応対マナーを徹底させる。
(13)終電ギリギリまで映画を楽しめるように、駅ビルと映画館とを合体させる。

 シネコンが市民権を得る前に多数存在していた“サービスが悪くてやる気も無い従来型映画館”がほぼ駆逐された現在、神頭がこの記事を書いた頃よりも確実に状況は良くはなっている。ただし、彼の提言がすべて実現出来たかというと、いささか心許ない。

 上記13項目の中で、達成されたものはごくわずか。相変わらず座席は(改善されたとはいえ)座り心地が最良とは言えないし、劇場によっては間隔が非常に狭いところがある。飲食物は不必要に高価だし、CM・予告編はやたら長いし、トイレは超デラックスには程遠い。

 黒澤明は生前“映画館は最低のサービス業だ!”と言い放ったが、本質は今でもあまり変わっていないのかもしれない。そういえば、シネコン黎明期に業界をリードした外資系の劇場は姿を消し、現在は昔ながらの大手映画会社による経営に戻ってきているケースが目立つ。だとすれば、これ以上の“改善”は望めないという見方も出来よう。

 とはいえ、映画館は我々映画ファンにとって大切な場であることは間違いない。シネコン進出以前の状態から少しは状況は好転したとはいえ、今後も“映画人口を3倍に増やす”ように頑張って欲しいものだ。
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「東京ファンタ」の思い出(笑)。

2014-07-13 07:10:15 | 映画周辺のネタ
 「東京ファンタ」とは何かというと、85年から2005年まで毎年秋に東京で開催されていた映画祭のことで、正式名称は東京国際ファンタスティック映画祭といった。もともと「東京国際映画祭」のイベントの一つであったが、好評につき毎年開かれるようになったものだ(ちなみに東京国際映画祭は発足当初は一年おきの開催だった)。ホラー・SF映画を中心に組まれたプログラムはそのテのファンを数多く集め、ひとつの名物になった感があったが、2006年以降は開かれていない。

 原因としては不景気によるスポンサー不足が挙げられるが、配給会社がいい作品を出し惜しみして、プログラムの質が落ちていることもあったという。そして当時の雑誌記事によると、衰退の最大の理由は映画祭に集まる観客の質であるということだった。あまりにもマニアックな連中ばかりがやってきて一般のファンを遠ざけている、ということだ。

 これを読んで“なるほどな”と思った。私は87年と89年に「東京ファンタ」に足を伸ばしたことがある。とにかく観客の異様なノリにびっくりした。特にひどかったのが89年である。

 最前列に大学のサークルらしい若い連中がずらっと十数人ばかり並んで座っていたのだが、上映前に彼らの一人がきったないカバンから「バットマン」のコミック(アメリカ版)を取り出してストーリーについて講釈を始めた。



 “この巻ではさぁー、前のと作者が違うんだよね。だからロビンのキャラクターがちょっと変わってるんだ”するともう一人が、“そうそう、だから次の巻ではロビンは死んで新しいロビンが登場するんだぜ”“何言ってんだい、オレの持っている○○年版じゃロビンが女になってるんだぞっ、すげーだろっ”“キミの持ってるのは復刻版だろ。僕はオリジナル版を3冊持ってるぞ”“甘い甘い、オレの持ってるのはもっと古いぞ”“僕なんて絵見ただけで何年の作品か分かっちゃうんだぞー。そうそう、その絵は○○年前のだ。主人公の腰のあたりのデッサンが・・・・(以下略)”などという会話を大声で始めたではないか。

 その状態に呆れているうち、本編が始まる前に「バットマン」(ティム・バートン監督版)の予告編が上映された。すると彼らはどこから取り出したのか、タンバリンや鈴やカスタネット等をテーマ音楽に合わせてジャンジャン鳴らし始めたではないか。まわりの迷惑などまったくお構いなしだ(あっけにとられて、注意するのも忘れてしまった)。そして本編上映中は、連中はほとんど居眠りである。いったい何しに来たんだろう(まあ、本編のナントカっていう映画は眠たくなるほど退屈だったってのは事実だが ^^;)。

 こういうオタクな奴らといっしょに見られたくない、とフツーの映画ファンだったら思うだろう(私もそう思った)。だから一般ピープルは「東京ファンタ」を敬遠する。よって採算が取れなくなるのも道理だ。

 「東京ファンタ」のコンセプトは2006年に開催された東京国際シネシティフェスティバルに引き継がれたらしいが、その映画祭も2007年で終わっている。映画観て鐘や太鼓で大騒ぎする連中が集まるイベントというのは、(少なくとも国内では)不釣り合いなのだろう。とはいえ、ホラー・SF映画中心の特集上映というのは企画としては悪くない。マナーの周知を徹底させた上で(ここ九州でも)開催しても面白いだろう。
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懲りずに選んだ2013年映画ベストテン。

2013-12-31 06:35:55 | 映画周辺のネタ
 2013年の個人的映画ベストテンを発表したい。下半期に鑑賞ペースが落ちたことを勘案しても、食指の動く作品があまり多くなかったのは事実だ。それでも何とか10本を選んでみた。



日本映画の部

第一位 東京家族
第二位 舟を編む
第三位 そして父になる
第四位 旅立ちの島唄 十五の春
第五位 少年H
第六位 はじまりのみち
第七位 映画「立候補」
第八位 地獄でなぜ悪い
第九位 百年の時計
第十位 影たちの祭り



外国映画の部

第一位 塀の中のジュリアス・シーザー
第二位 愛、アムール
第三位 きっと、うまくいく
第四位 もうひとりの息子
第五位 ザ・マスター
第六位 ベルリンファイル
第七位 偽りなき者
第八位 パシフィック・リム
第九位 マン・オブ・スティール
第十位 バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち

 邦画は家族をテーマにした作品が上位に並んだが、映画のネタとしては“定番”ながら、悪く言えば“無難”でもある。もっと野心的な作りを期待したいものだ。

 洋画の一位はタヴィアーニ兄弟の久々の傑作。舞台はミニマムだが、映像世界は三次元的・四次元的にも広がるスリリングなメタ映画だ。第二位のハネケ監督作も、老老介護の実態をこの作家らしいシビアなタッチと詩的な美しさで綴った注目作。三位のインド映画の快作は、異例のロングランがそのクォリティの高さを実証していた。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督:山田洋次(東京家族)
脚本:是枝裕和(そして父になる)
主演男優:北村一輝(日本の悲劇)
主演女優:尾野真千子(そして父になる)
助演男優:オダギリジョー(舟を編む)
助演女優:中村ゆり(百年の時計)
音楽:佐藤直紀(永遠の0)
撮影:藤澤順一(舟を編む)
新人:菅田将暉(共喰い)、黒木華(舟を編む)

次に洋画の部。

監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ(塀の中のジュリアス・シーザー)
脚本:ミヒャエル・ハネケ(愛、アムール)
主演男優:マッツ・ミケルセン(偽りなき者)
主演女優:エマニュエル・リヴァ(愛、アムール)
助演男優:ロバート・デ・ニーロ(世界にひとつのプレイブック)
助演女優:エイミー・アダムス(ザ・マスター)
音楽:トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル(クラウド アトラス)
撮影:ダリウス・コンジ(愛、アムール)
新人:ゾーイ・カザン(ルビー・スパークス)

 ついでにワースト作品も選んでみる。

ワースト邦画編

1.利休にたずねよ
2.風立ちぬ
3.リアル 完全なる首長竜の日
4.かぐや姫の物語
5.藁の楯

ワースト洋画編

1.リンカーン
2.ハッシュパピー バスタブ島の少女
3.ダイ・ハード ラスト・デイ
4.ジャンゴ 繋がれざる者
5.ゼロ・ダーク・サーティ

 何でも、人口100万人(換算)当たりの常設映画館の数が日本一多い都道府県は、ここ福岡県であるらしい(出典元:厚労省大臣官房統計情報部)。また、四大公営ギャンブルがフルラインで揃っているのも、福岡県以外では埼玉県しかない。博多祇園山笠や博多どんたく港祭り等の異様なほどの盛り上がりも勘案すると、要するに福岡県民というのはストレスを発散する方法論を持ち合わせている手合いが多いのだろう(笑)。

 かく言う私も、仕事面で結構シビアな状況に追い込まれることが少なくないが、休みの日に映画館に足を運べば、(たとえ観た映画が駄作であっても)不思議と気分が楽になってくる。映画鑑賞がストレスを軽減してくれるのは、実に有り難いと改めて思う。

 “お前は映画観すぎだろう!”と周りの者に言われることもあるが(爆)、他の趣味より比較的安上がりだろう。2014年はどんな映画が観られるのかと思うと、年甲斐も無くワクワクしてくる。これからも楽しみたい。
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映画館内では何を食べるか

2013-03-02 06:50:20 | 映画周辺のネタ
 昔、映画雑誌の投稿欄などでよく取り上げられていたネタとして“映画館での飲食の是非”がある。飲み食いしながら映画を観ることに嫌悪感を持つ者達の代表意見は“自分の鑑賞の妨げになる”というものだが、映画館で飲食物を売っている以上、他の者が上映中に飲食すること自体に腹を立てても仕方がない。もちろん必要以上に音を立てたり食い物をあたりに散らかすのは論外だが、それは“マナー”の問題であり“館内の飲食の是非”とは別の話だ。

 どうしても他人の飲み食いが気になるなら、場内飲食禁止の映画館に行けばいい。私はといえばミニシアター系の小屋では当然飲食はしないが、そうではない普通の映画館では物を食べながら鑑賞することもある。特にポップコーンをパクつきながらハリウッド製アクション映画を観るというのは、ある意味“至福のひととき”である(笑)。

 さて、シネコンが全盛となった最近では基本的に飲食物の持ち込みが禁止されている映画館もけっこうある。食べたくなったら売店で買えということだ。劇場側としては飲食物の売り上げは大事な収入源なので、映画館の外から勝手に持ち込まれてはたまらないのだろう。

 まあ、食い物をバッグの中に忍ばせて入場すれば誰にもわからないし、実際私もそうしたことがある(爆)。ただし原則として“場内で飲食するものは売店の商品に限定させる”という方針は正しい。なぜなら、売店では他人に迷惑を掛けない食い物だけを扱うことにより、全体的な鑑賞の環境を快適にすることが出来るからである。

 場内での“迷惑飲食行為”の最たるものは、食べる時にガサガサと音を立てることである。これは市販の袋菓子やパンを入れるビニール袋から発生する。対して売店に置いてあるポップコーンやホットドッグの箱はほとんど音が出ない。咀嚼音にしても市販のスナック菓子よりは少ないのだ。さらにマナー違反の代表選手である“飲食物からの臭い”も防ぐことが出来る(売店では間違ってもカレーパンやフライドポテトなどは扱わないだろう ^^;)。

 それにしても、シネコンの進出などもあり、売店で扱う飲食物は昔に比べて劇的に良くなった、以前の映画館では“賞味期限切れのポテトチップス”とか“名前も知らないメーカーのとびきり不味いポップコーン”とか“いつ製造したのかわからない、硬くなったドーナツ”とかいったものを平然と高値で売っていたものだ(笑)。もちろん今のシネコンの売店は安くはないが、ポップコーンなどは市販のものより確実にうまい。

 欲を言えば、メニューにおにぎりやパンなどがあればなお良いと思う。包装に気を遣えばガサガサと音が出ることもないと思う。

 ともあれ、厳密に言えば映画館での飲食はそれを嫌う者にとって“マナー違反”でしかないだろう。ただし、それを殊更に言い募るのもスマートではない。映画館は“特定の価値観を持つ者”の専有物ではないのだ。
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ハリウッド製の法廷劇と“エクイティ”

2013-01-23 06:33:08 | 映画周辺のネタ
 昔、シドニー・ルメット監督の「評決」やジョエル・シューマカー監督の「評決のとき」を観て、どうしてラストは“ああいう感じ”になってしまうのか疑問に思っていた。何しろ、それまで理詰めで行われていた審議が、最後になってお涙頂戴の温情判決に落ち着いてしまうのである。いつからアメリカの裁判所は人情や泣き落としで判決を下すようになったのかと呆れたものだ。しかし後日、こういう理屈に合わない評決を下すことこそがアメリカの司法界の特色であることを知って驚いた。

 学生時代に法学を専攻した者にとっては常識らしいが(ちなみに私は法学部卒ではない ^^;)、アメリカの法律を含む英米法には判例を重視したいわゆる“コモン・ロー”とは別に、超法規的な法曹界の伝統である“エクイティ”なるものが存在するというのだ。

 エクイティは“衡平法”と訳され、元々はラテン語で“道理があり、適度な権利の行使”を意味する。要するに、判例のないケースではその折々の社会的状況などを考慮して、裁判官が“道徳的な”判断を勝手にして良いという認識である。

 “道徳的”といえば聞こえはよいが、早い話が向こう受けを狙った“大岡裁き”が大手を振ってまかり通ってしまうということだ。まことにアングロサクソンらしいプラグマティズムである。

 だからアメリカでは市民運動家やそのへんのロビイストが司法制度を利用して自分たちに有利になるような判例を作り上げ、既成事実化してしまうことも可能なのである。アメリカ人が大好きな“法の正義”だの“不公正の是正”だのといったスローガンも実際は絵に描いた餅なのだ。

 それどころか、違法か合法かといった本来は純粋に法理面で考えるべき事物も、各当事者が正義か不正義かといった手前勝手な判断で強弁し、結局は押しの強い方が勝つといった無茶苦茶なこともあり得るわけで、前述の映画の結末なんてその最たるものであろう。

 アメリカ人の中では法律的判断と道徳的判断という、時に矛盾する命題が強引に一体化していると言え、つまりは“ダブル・スタンダードをスタンダード化している”という奇妙な考え方が自分たちの立場では違和感なく成立しているらしい。

 アメリカはもともと本国での王室や教会の権威に反発してヨーロッパから脱出した連中が立てた国だ。つまりは権威というものを徹底的に嫌う人々が打ち立てた理想郷である・・・・という建前になっている。だから法律だの政府だのといった“権威”よりも、一般ピープルの平易な価値観の方を優先させようとの姿勢が司法界にも貫かれていると考えて不思議はないだろう(もちろん、アメリカの司法が庶民寄りだというのは幻想に過ぎず、実際はそういうポーズを取っただけの“権威のゴリ押し”が頻出していることは想像に難くないが ^^;)。

 日本は英米法ではなく大陸法を基礎とした法体系を取っている。だから我々にとってアメリカの法律を理解するのは難しく、そのギャップがアメリカ映画の“法廷もの”を理解する上での障害のひとつになっていると思う。

 もっとも、そんな日米の法解釈のズレに気付かずに脳天気にハリウッド製法廷劇の“スカッとした筋書き”に快哉を叫ぶというのも映画の楽しみ方のひとつだろうし、それに他人がケチをつけるのも野暮であるのは間違いない(笑)。
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勝手に選んだ2012年映画ベストテン。

2012-12-31 06:26:51 | 映画周辺のネタ
 2012年の個人的映画ベストテンを発表する。2012年は個人的事情により鑑賞本数が減り、全ての注目作をカバーしているとはとても言えないが、とりあえず10本は選ぶことが出来た。



日本映画の部

第一位 ヒミズ
第二位 希望の国
第三位 わが母の記
第四位 僕達急行 A列車で行こう
第五位 苦役列車
第六位 鍵泥棒のメソッド
第七位 綱引いちゃった!
第八位 任侠ヘルパー
第九位 ロボジー
第十位 しあわせのパン



外国映画の部

第一位 別離
第二位 家族の庭
第三位 ヘルプ 心がつなぐストーリー
第四位 哀しき獣
第五位 ファミリー・ツリー
第六位 サラの鍵
第七位 少年と自転車
第八位 ゴモラ
第九位 007/スカイフォール
第十位 アベンジャーズ

 邦画は東日本大震災を題材にした2本が上位を占めた。やはり、日本映画にはこのテーマを扱う義務がある。どう描いても明るい映画になるはずもないが、だからといってこのシビアな素材から逃げていては、カツドウ屋の名がすたるというものだ。

 洋画の一位は2011年にアジアフォーカス福岡映画祭で観ているのだが、やはり傑作であることには間違いない。イラン映画として初の米アカデミー賞を獲得したことも含めて、要チェックの作品である。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督・脚本:園子温(ヒミズ)
主演男優:夏八木勲(希望の国)
主演女優:二階堂ふみ(ヒミズ)
助演男優:香川照之(鍵泥棒のメソッド)
助演女優:梶原ひかり(希望の国)
音楽:田中ユウスケ(鍵泥棒のメソッド)
撮影:芦澤明子(わが母の記)
新人:三吉彩花、能年玲奈(グッモーエビアン!)

次に洋画の部。

監督:アスガー・ファルハディ(別離)
脚本:マイク・リー(家族の庭)
主演男優:ジョージ・クルーニー(ファミリー・ツリー)
主演女優:ヴィオラ・デイヴィス(ヘルプ 心がつなぐストーリー)
助演男優:クリストファー・プラマー(人生はビギナーズ)
助演女優:ジェシカ・チャステイン(ヘルプ 心がつなぐストーリー)
音楽:ジョン・ウィリアムズ(戦火の馬)
撮影:ロジャー・ディーキンス(007/スカイフォール)
新人:シャイリーン・ウッドリー(ファミリー・ツリー)

 例年ならばワーストテンも選ぶところだが、正直言って今回は思い出したくもない映画を俎上にのせるのは遠慮したい(笑)。

 さて、11月に北九州市で開催されたAVフェアでは140インチのスクリーンを使用したシステムがデモされていたが、これは本当に凄いと思った。3D機能搭載なのは当たり前として、(通常、ディスプレイの下にセットされたスピーカーから出る)センターの音像をヴァーチャルで画面の高さにまで持ってくるという技術には舌を巻いたものだ。ここまでくるとミニ・シアターの設備とあまり変わらない。

 昨今のミニ・シアターの斜陽化と家庭用AVシステムのイノベーションとが直接リンクするわけでもないが、映画という娯楽がある意味で非・日常的体験をさせてくれるものである以上、劇場の規模が大きくモノを言うのは間違いないだろう。今後の展開を注視したい。
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映画音楽のあり方について。

2012-07-27 06:28:17 | 映画周辺のネタ
 よく考えてみれば“映画音楽”という枠組みも奇妙なものだ。一般に映画音楽といえばジョン・ウィリアムズやジェリー・ゴールドスミスあたりを思い出す向きが多いかと思うが、ポップス・ナンバーの寄せ集めであっても立派に映画音楽足りうるのである。

 作曲家陣にしても、武満徹や黛敏郎、ジョン・コリリアーノといった真性のクラシック畑(現代音楽)の人材がいると思えば、ラロ・シフリンやデーヴ・グルーシンのようなジャズ系、トレヴァー・ラビンやヴァンゲリスなどのロック系も存在する。もちろん単発的に映画音楽を担当している有名ミュージシャンも少なくない。当然音楽性も千差万別である。

 しかし、それらは“映画の中で流れている”との理由ですべて“映画音楽”というひとつのジャンルに括られてしまう。そのへんが実に面白い。

 しかも、映画音楽は“たまたま映画に使われた○○というジャンルの曲”という割り切った捉え方をされないのである。たとえばマイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」はモダン・ジャズの名盤として知られているが、これが映画音楽として扱われなければジャズ・ファン以外の音楽好きからは見向きもされなかったはずだ。

 ところがあの旋律がルイ・マルの才気走った演出とセットになって語られるとき、単なる“ジャズの名曲”という次元を離れて“代表的な映画音楽”という別の評価と聴き手を獲得するようになる。いわば映画音楽とは“映画の中で使われている”という名目以外にも、音楽自体の形態とは関係なく“聴き手の受け取り方”によってジャンル分けされた、興味深い素材であるとも言えるのである。

 さらに、普段聴いている音楽ジャンルと好きな映画音楽の形態が一致するとは限らない。私はラップだのヒップホップだのといったサウンドは嫌いだが、「ドゥ・ザ・ライト・シング」や「JUICE」などの音楽は好きである。また、映画音楽としての久石譲作品には幅広いファンがいるが、それ以外の久石の音楽はポピュラーとは言えない。映画というフィルターをかけることにより、別の付加価値を聴き手にもたらしているのだ。

 逆に言えば、映画に使われる音楽というのは、そのジャンルの音楽を愛好している層以外の普通の映画ファンをも、その映画を観ている間はその音楽ジャンルを好きにさせるような存在感がなければならないと思う。

 もっとも、映画自体より音楽の方が目立ってしまうのも考えものだ。確かにレベルの低い映画音楽は願い下げだが、“音楽は良かったけど映画の内容は忘れた”では意味がない。あくまで映画の中の音楽は“本編”の従属物であるべきだろう。場合によっては音楽を一切使わない映画作りだってあるのだから。
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個人的に選んだ2011年映画ベストテン。

2011-12-31 07:38:36 | 映画周辺のネタ
 年の瀬恒例の(?)2011年の個人的な映画ベストテンを発表したい。



日本映画の部

第一位 冷たい熱帯魚
第二位 ヘヴンズ ストーリー
第三位 一枚のハガキ
第四位 監督失格
第五位 マイ・バック・ページ
第六位 まほろ駅前多田便利軒
第七位 歓待
第八位 ツレがうつになりまして。
第九位 YOYOCHU SEXと代々木忠の世界
第十位 スマグラー おまえの未来を運べ



外国映画の部

第一位 白いリボン
第二位 キック・アス
第三位 トスカーナの贋作
第四位 ソーシャル・ネットワーク
第五位 シリアスマン
第六位 再会の食卓
第七位 ザ・ファイター
第八位 ブラック・スワン
第九位 キッズ・オールライト
第十位 ヤコブへの手紙

 2011年3月11日に東日本を襲った大災害は国内外に衝撃を与えたが、この事件が映画の題材として取り上げられるのはこれからだと思う。ただし残念ながら(大手が関与する)日本映画についてはさほど期待出来ない。シビアな現実社会から目を背けて毒にも薬にもならないような微温的展開に終始している今の邦画にとって、真実を鋭く抉った見応えのある作品を提供するのは無理だ。ヘタすれば震災をネタにした“お涙頂戴劇”を何本か製作して終わるかもしれない。

 で、当然のことながら私が選出した10本の日本映画は大半が単館系である。ぬるま湯的な作劇が目立つ大半のメジャー系作品(その多くはテレビ局とのタイアップ)には用はないというのが正直なところだ。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督:園子温(冷たい熱帯魚)
脚本:瀬々敬久(ヘヴンズ ストーリー)
主演男優:豊川悦司(一枚のハガキ)
主演女優:神楽坂恵(恋の罪)
助演男優:でんでん(冷たい熱帯魚)
助演女優:山口紗弥加(ラーメン侍)
音楽:岩崎太整(モテキ)
撮影:藤澤順一(八日目の蝉)
新人:寉岡萌希(ヘヴンズ ストーリー)、大野いと(高校デビュー)、深田晃司監督(歓待)

次に洋画の部。

監督:ミヒャエル・ハネケ(白いリボン)
脚本:アッバス・キアロスタミ(トスカーナの贋作)
主演男優:ハビエル・バルデム(BIUTIFUL ビューティフル)
主演女優:ジェニファー・ローレンス(ウィンターズ・ボーン)
助演男優:ジェフリー・ラッシュ(英国王のスピーチ)
助演女優:ミラ・クニス(ブラック・スワン)
音楽:トレント・レズナー(ソーシャル・ネットワーク)
撮影:クリスティアン・ベルガー(白いリボン)
新人:ヘイリー・スタインフェルド(トゥルー・グリット)、ヘンリー・ホッパー(永遠の僕たち)、ジェイ・ブレイクソン監督(アリス・クリードの失踪)

 さて、以下はついでに選んだワーストテンである(笑)。

邦画ワースト

1.白夜行
 吹けば飛ぶような軽い作劇と、弛緩したドラマ運びには呆れるばかり。原作も大して面白くはないが、ここまではヒドくない。
2.日輪の遺産
3.コクリコ坂から
 スタジオジブリはすでに“終わって”いる。誰が監督しても同じこと。
4.あぜ道のダンディ
5.神様のカルテ
6.タンシング・チャップリン
 日本映画はバレエをキッチリと撮れないのか・・・・。
7.これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫
8.電人ザボーガー
9.ワイルド7
10.デンデラ

洋画ワースト

1.ツリー・オブ・ライフ
 ここ10年間観た映画の中では一番つまらない。とにかく作者の思慮の浅さが全面開示しており、加えてチラチラと目障りな映像処理が不愉快な気分を増幅させる。観ている間はまさに悪夢。
2.ゴーストライター
3.ブンミおじさんの森
4.SOMEWHERE
5.悲しみのミルク
6.蜂蜜
 以上、有名映画祭で賞を取ったからといって、優れた映画とは限らないことを如実に示している作品群である。
7.ラビット・ホール
8.ミスター・ノーバディ
9.キラー・インサイド・ミー
 この3本を観ると、中途半端な“作家性”を娯楽映画のスキームの中で発揮すると、愉快ならざる事態に陥ることが実によく分かる。
10.マイティ・ソー
 別にこの作品が特別に低レベルだったわけではない。有象無象の大味なハリウッド製大作を代表してランクインさせた次第である。

 地元ネタとしては、2011年には新しい博多駅ビルにシネコンがオープンしたが、ミニシアター系が相次いで閉館したことを挙げたい。結果として福岡市での全体的な上映本数が減ってくるのは仕方がないだろう(ソラリアシネマはTOHOシネマズ天神ソラリア館として再開するが、番組編成については期待できない)。

 ミニ・シアターが冬の時代を迎え、ショッピングモールに併設されたシネコン一辺倒になってくると、大衆レベルでの映画の見方も変わってくるのだろう。
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ソラリアシネマが閉館。

2011-12-27 06:32:56 | 映画周辺のネタ

 2011年の11月末をもって、福岡市中央区天神にある映画館・ソラリアシネマが閉館した。同映画館は元々、スケート場などを備えたイベントスペース「福岡スポーツセンター」の中に1956年に開館した名画座「センターシネマ」の流れをくむ劇場だ。89年に「福岡スポーツセンター」の跡地に建てられた大型商業ビル「ソラリアプラザ」の中に、3スクリーンを擁してオープンした。

 ソラリアプラザ自体がホテルと合体したような建物であるせいか、ソラリアシネマの待合スペースはホテルのロビーを思わせる佇まいで、従来館ともシネコンとも違う雰囲気を醸し出していた。3つの劇場の中で一番大きいソラリアシネマ1はオープン当初はボディソニックを配備した客席も用意されるなど、他の映画館との差別化を図っていたようだ。上映される映画は東宝系のメジャーな作品が中心であった。

 また、ソラリアシネマ2はセンターシネマ時代を引き継いで名画座として運営され、ソラリアシネマ3は単館系作品と、それぞれが役割を振られていて機能的なマーケティングが特徴的だった。ソラリアシネマ1はアジアフォーカス福岡国際映画祭の会場としてもよく使われ、県外の映画ファンにも知られるところとなった。

 待ち合わせまでの空き時間やショッピング・食事の後に気軽に立ち寄れるスポットとしても利用されていたが、東宝系との契約が切れた近年はなかなか客を呼べそうな番組を組めなかったようだ。そして2011年に博多駅ビルの大々的リニューアルにより天神地区の集客力が落ち、特にソラリアプラザはその影響をもろに受けて入場者数が低減したことが撤退の呼び水になったと思われる。

 2011年にはシネ・リーブル博多駅が営業を停止し、その前にもミニシアターの閉館が相次いだせいで、福岡市全体での上映本数が少なくなっているような印象を受ける。特に今は正月番組のかき入れ時であるにも関わらず、観たい映画が驚くほど少ないのもそのせいであろう。

 なお、2012年1月には「TOHOシネマズ天神 ソラリア館」としてリニューアルオープンするらしいが、要するに近くにある天神東宝と合わせたシネコンを形成するということで、ソラリアシネマ時代のような多彩な番組編成はあまり期待できそうもない。だが、少しは昔の「センターシネマ」を想起させるような旧作の上映も検討してもらいたいものだ。またそうすることによって、他のシネコンにはない独自性と固定客を獲得できるはずである。
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