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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「21ブリッジ」

2021-05-09 06:17:26 | 映画の感想(英数)
 (原題:21 BRIDGES)クライムミステリー映画としては標準的な出来で、取り立てて高評価するほどもない作品だが、2020年に若くして世を去ったチャドウィック・ボーズマン主演の最後の劇場公開作となると、勝手が違ってくる。新作で彼の雄姿をスクリーンで拝める機会はもうないのだと思うと、居たたまれない気持ちになってしまう。

 ニューヨークのマンハッタン島で、2人組による麻薬強奪事件が発生。駆けつけた警察隊と銃撃戦になり、警官8人が死亡。犯人たちは逃走する。捜査に当たったのは、警察官だった父を殺された過去を持つアンドレ・デイヴィス刑事だった。彼は上層部に、事件が解決するまでのマンハッタンの全面封鎖を提案する。与えられた時間は夜明けまでの数時間だ。麻薬課の女性刑事フランキー・バーンズと共に犯人を追うアンドレは、やがてこの事件の裏には重大な陰謀があることを嗅ぎ付ける。



 事件の背後にある“闇の部分”については、序盤の展開を見ていればだいたい予想がつく。そもそも、21か所もある橋をすべて封鎖することが、ドラマの大きなモチーフとなり得ていないのは不満だ(実際には橋は17しかなく、あとの4つはトンネルらしい)。とはいえ、犯人のキャラクターは掘り下げられており、ただのチンピラではないことが示され、ニューヨークの裏社会における資金事情も興味深い。

 アンドレは悪に対して異常な敵意を持っており、ならず者を容赦なく始末することに躊躇は無い。その激しい性格のためか中年になっても独身で、認知症の始まった母親と二人暮らしだ。このように各モチーフは十分に肉付けされており、話が通り一遍に進むことはない。

 そして何といっても主役のボースマンである。仕事熱心だが、どこか捨て鉢な素振りを見せる一匹狼の刑事をリアリティを持って演じている。撮影当時は体調が万全ではなかったせいか、「ブラックパンサー」(2018年)のような肉体アクションは控えめで活劇のメインは銃撃戦になっているが、それでも存在感は光っている。まったく、惜しい人材を失ったものだ。

 フランキー役のシエナ・ミラーをはじめ、ステファン・ジェームズやキース・デイヴィッド、テイラー・キッチュといった顔ぶれも良い。そしてJ・K・シモンズがクセものぶりを発揮しているのも見ものだ。ブライアン・カークの演出は取り立てて才気走ったところはないが、ドラマ運びは堅実だ。なお、主人公が地下鉄の駅で犯人の一人を追う場面は、「フレンチ・コネクション」(71年)を思い出してしまった。
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「BLUE/ブルー」

2021-05-01 06:24:01 | 映画の感想(英数)
 登場人物の掘り下げが浅く、ストーリーも迷走した挙げ句に尻切れトンボで何も解決しない。すべてにおいて、中途半端な映画だ。オリジナル脚本で勝負しようとした姿勢は良いとして、それを練り上げるように指示するのが製作陣の仕事だが、今回は何もやらなかったように見える。

 下町のボクシングジムに所属する瓜田信人は、競技に対して熱い思い入れを持つが、どんなに努力しても勝てずにいた。彼の後輩の小川一樹は瓜生に勧められてボクシングを始めたが、才能豊かで連戦連勝。ついには日本チャンピオンに挑戦出来る地位まで上り詰める。かつて瓜生の恋人であった千佳は、今では小川の婚約者だ。

 一方、ゲームセンターで働く楢崎剛は、そのオドオドした態度で周囲からナメられていた。それでも同僚の女子の気を惹こうと、一念発起して瓜生たちのいるジムに入会する。最初は及び腰だった楢崎だが、練習を続けるうちに意外とセンスがあることが分かり、次第にボクシングにのめり込んでゆく。

 瓜生はボクシングが生き甲斐になっていることは分かるが、その理由は示されない。もちろんセリフで何もかも説明する必要はないが、暗示的なモチーフを用いることも可能だったはずだ。瓜生は勝つ公算も無いのにリングに立ち続け、恋人を寝取られても文句も言わない。小川は実は重大な身体的疾患を抱えていて、すでに日常生活に支障が出ている。もちろん試合なんて論外なのだが、誰も強く止めようとしない。

 楢崎は両親を亡くし、認知症が始まった祖母と二人暮らしだが、そこから何か物語が展開するわけでもない。千佳は瓜生を捨てて小川の元に走ったことに対し、何の痛痒も覚えていないようだ。つまりはどのキャラクターも絵空事で、そんな連中がスクリーン上をウロウロしても映画的興趣が喚起されるはずもない。

 映画は各登場人物の顛末を描くことなく、ストーリーが放り出された状態で終わる。脚本も担当した吉田恵輔の演出は粘りが足りず、肝心のボクシング場面も“普通”のレベルで推移。松山ケンイチに木村文乃、柄本時生と役者は揃っているが役柄の造型が不完全なので持ち味を出し切れていない。

 さらに小川役の東出昌大の大根ぶりが映画を盛り下げる。この男がどうして演技が出来ないのに、しかもあれだけのスキャンダルを経た後もオファーが絶えないのか、まさしく邦画界の七不思議の一つとして数えられるだろう(あとの六つは知らないけれど ^^;)。
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「ARQ 時の牢獄」

2021-04-02 06:24:31 | 映画の感想(英数)
 (原題:ARQ )2016年9月よりNetflixにて配信されたアメリカ=カナダ合作のSF映画。低予算でも求心力の高い作劇を実現しようという作者の意図は感じられ、事実興味を惹かれるようなモチーフは存在するのだが、如何せん全体的に出来が良くない。予算と出演者を絞るのであれば、代わりに筋書きとキャラクター設定に細心の注意を払う必要があるが、それが不十分だ。

 環境悪化とエネルギー危機によって荒廃した未来世界。国家は機能しておらず、世界はグローバル企業のトーラスに牛耳られ、ブロックと呼ばれる反乱軍がそれに果敢に戦いを挑んでいた。そんな中、トーラスの元エンジニアでARQ(アーク)という永久機関を開発していたレントンが、殺風景な建物の中で目を覚ます。隣には元カノのハンナがいるが、状況を飲み込む間もなく4人の男たちが部屋に乱入し、2人を縛り上げる。

 レントンは何とか逃げ出すが、途中で事故に遭って死亡する。すると次の瞬間、彼はハンナの傍らで目を覚ます。どうやら建物の中にあるARQが誤動作して、その近辺だけ時間がループしているらしい。レントンは何度も同じシチュエーションを体験する羽目になるが、そのたびに男たちやハンナの置かれた立場を徐々に知るようになる。そしてある時、直前のループの内容を覚えているのが自分だけではないことに気付く。

 同じ時間を繰り返しているのが主人公だけではないのは、ARQの“規則性”によるものという設定は面白い。また、登場人物たちの微妙な利害関係がループごとの展開に大きく影響してゆくというモチーフも悪くない。しかし、それだけでは上映時間を引っ張ることはできない。

 監督トニー・エリオットの腕前が大したことがなく、サスペンスがちっとも盛り上がらないのだ。とにかく段取りが悪くキレも無い。そもそも狼藉をはたらく4人の男たちの描き分けが不十分で、どいつも同じように見える。まあ、かろうじてリーダー格の奴は少しは目立っているが、凄味が希薄で存在感は皆無だ。

 また、前振りも無くシアン化ガスとかグローブ状の武器とかが唐突に出てくるのも愉快になれない。そもそも、ARQの造型自体にアピール度が不足しており、インターフェースも前時代的だ。ラストは尻切れトンボで、カタルシスは不在。ロビー・アメルやレイチェル・テイラーら出演陣もさほど魅力は無く、これは別に観る必要もないシャシンだと感じた。
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「KCIA 南山の部長たち」

2021-02-07 06:16:39 | 映画の感想(英数)

 (英題:THE MAN STANDING NEXT )韓国の現代史に疎い観客にとっては分かり辛い箇所が多いと思われるが、映画で描かれた時代と“登場人物”たちに関する知識が少しでもあれば、興味の尽きない作品になるだろう。また、こういう硬派な題材が取り上げられ、それがまたヒットしているという彼の国の映画界に比べれば、残念ながら邦画界は後れを取っていると思わざるを得ない。

 1961年の軍事クーデターの成功から1年後、韓国では北朝鮮の工作員対策としてKCIA(大韓民国中央情報部)が創設された。本部の所在地名から通称“南山”と呼ばれ、国民に恐れられていた。また、KCIAのトップである部長は大統領に次ぐ権力を有していた。ところが79年に、アメリカに亡命していた元部長パク・ヨンガクが下院議会聴聞会で韓国大統領のパク・チョンヒの腐敗を告発する。激怒した大統領は現部長のキム・ジェギュを米国に派遣し、真相を探らせる。

 一方、大統領府ではキム部長は警護室長のチャ・ジチョルと何かと対立していた。その確執は、釜山で勃発した反政府勢力による大規模デモに対する政策をめぐって頂点に達する。79年10月にパク・チョンヒ大統領を暗殺したキム・ジェギュを描いた、キム・チュンシクによるノンフィクションの映画化だ。

 当然のことながら、キム部長を“大衆を弾圧しようとする大統領府に対して、抗議の行動を起こした正義漢”のような描き方はしていない。結果的に青瓦台の暴挙に刃向かうことにはなったが、犯行の動機は政権内での覇権争いである。また、米国との関係を重視したキム部長が、在韓米軍の存在を無視したまま突っ走る大統領に対して危惧の念を抱いたことも大きい。そして、情報機関のボスらしく冷酷非道な工作を企てたりもする。

 だが、そんな主人公に感情移入してしまうのは、キム部長の造型が巧みであるからだ。若い頃は理想に燃えて軍事クーデターに荷担したが、かつての同志であるパク・チョンヒは政権トップに就くと、勝手な振る舞いをするようになる。政府内では汚職が多発し、対外関係も危ういままだ。それでも、自身が現政府を立ち上げたという自負はあり、そのディレンマに苦悩する。彼が大統領と酒を酌み交わし、日本語で“あの頃は良かった”と呟くシーンは、歴史の重さを感じさせて実に印象的だ。

 ウ・ミンホの演出は骨太で、弛緩する部分は無い。ハイライトの暗殺場面は史実通りに作られているらしいが、迫力満点だ。主役のイ・ビョンホンの演技は圧巻で、アクションシーンも含めて存在感たっぷりだ。イ・ソンミンにクァク・ドウォン、イ・ヒジュン、キム・ソジンら脇の面子も良い。事件に於ける日本との関係も示唆され、興味の尽きない快作だ。
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「AGAIN アゲイン」

2021-01-31 06:30:22 | 映画の感想(英数)
 84年作品。前々年の82年は日活の創立70周年であり、それを記念して作った名場面集映画だ。なお、当時の同社の名称は平仮名の“にっかつ”であり、ロマンポルノを主に手掛けていたのだが、本作で取り上げられているのは60年代までのいわゆる“日活アクション映画”の数々である。本作の構成は、年老いた殺し屋がかつて共演したライバルを捜し求めて彷徨するというスタイルを取っている。

 面白いのは、この映画の公開当時の観客に“日活アクション映画”の概要を説明しようという意図がまったく感じられないこと。さまざまな映画から引用された断片的なショットを、脈絡も無く積み上げていくだけなのだ。同じ頃に作られた「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」(83年)は小津映画の何たるかを体系的に示そうとしていたが、それとは対照的なシャシンである。



 この手法は一見むちゃくちゃだが、別にこれは悪くないと思える。なぜなら、この“日活アクション映画”自体が無国籍風で混沌としたスタイルを取っていたからだ。もちろん私は“日活アクション映画”をリアルタイムで観た世代には属していない(笑)。しかしながら、この映画を観ていると、全盛期の日活映画の持っていた雰囲気や魅力が何となく伝わってくるから不思議なものである。もっともそれは、当時の“日活アクション映画”が多くの若手スターを輩出し、ブームが去った後も彼らが活躍する姿を見ているからなのかもしれない。

 引用している作品は「狂った果実」「赤いハンカチ」「帰らざる波止場」「ギターを持った渡り鳥」「泥だらけの純情」「紅の流れ星」など全38本。その中でも「嵐を呼ぶ男」の有名なドラム合戦のシーンを、石原裕次郎主演の井上梅次監督版(57年)と、渡哲也主演の舛田利男監督版(66年)を交互にシンクロさせて編集する場面は本作のハイライトであろう。

 監督は作家の矢作俊彦で、構成や脚本も担当している。映画畑とはあまり関係ない人材によるシャシンなので、いろいろと思い切った施策を講じることが出来たのだと思われる。ただし、このネタで上映時間が1時間42分というのは少し長いような気がする。38本をさらに絞り込んで、本当にインパクトの高い場面を再編集して1時間強にまとめたら、もっと訴求力が大きくなったと想像する。なお、宇崎竜童による音楽は良かった。
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「AWAKE」

2021-01-11 06:53:53 | 映画の感想(英数)

 各キャストは良くやっており、ストーリーもソツなくまとまっているが、今一つ突き抜けたものが無い。また、舞台背景に関してちゃんとリサーチしたのだろうかと疑われるような箇所があり、諸手を挙げての評価はできない。ただし、こういうネタを採用したこと自体は先見の明がある。今後はこういった題材が、メインテーマはもちろんサブプロットでも数多く取り上げられるようになるのだろう。

 プロの将棋指しになるため新進棋士奨励会に入った清田英一だったが、周りのレベルの高さについていけなくなる。特に同世代の浅川陸に圧倒的な力の差を見せつけられた彼は、プロ棋士になる夢を諦める。だが、それまで将棋しかやってこなかった英一は何をしていいのか分からない。とりあえず大学に入ったものの、友人もできずに日々を無為に送るばかり。

 そんな時、彼はコンピューター将棋と出会う。将棋ソフトの自由闊達な手筋に魅了された英一は、大学のAI同好会に入部。最強の将棋ソフトを作るため、プログラミングの勉強を始める。やがて英一の作ったソフトは評判を呼び、プロ棋士との対抗戦が企画される。その相手は、今や若手実力派棋士として売り出し中の陸だった。2015年に実際に行われた、プロ棋士とコンピューターとの対局“電王戦”に着想を得たドラマだ。

 監督はこれがデビュー作になる山田篤宏。母親のいない英一が将棋に興味を持ち、地域で天才少年として持て囃されるが、奨励会に入って厳しい現実に打ちのめされるという筋書きは申し分ない。そして奨励会を抜けた彼が虚脱状態になるのも、よくわかる。そして将棋ソフトの開発に専念するようになるあたりも、違和感はない。

 しかし、どうも展開が一本調子なのだ。実録ドラマではないのだから、いい意味でのケレンを挿入しても構わないと思う。AIにしか出来ないような、思い切った必殺技(なんじゃそりゃ ^^;)を繰り出す遊び心があってもいい。一方では、受けて立つ将棋連盟およびプロ棋士たちの立場は深くは追及されていない。長年積み上げた伝統と誇りが“たかが機械”の登場により揺らいでいく葛藤はあったと思うのだが、取材不足のせいか描出されていない。陸が対局に応じたのも“相手が幼馴染だった”という一点で乗り切ろうとしているように見え、説得力に欠ける。

 さらには、対戦の決着の付け方はかなり無理筋で、いくらその次に“感動的”みたいな場面を用意していても、鼻白む思いがする。とはいえ、人間でしかできないとされる分野にAIが進出してゆくというモチーフは、かなり有効だ。主演の吉沢亮は普段の彼とは打って変わったオタク野郎を違和感なく演じており、若葉竜也や落合モトキ、寛一郎といった他のメンバーもいい味を出している。
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「Mank マンク」

2021-01-03 06:46:06 | 映画の感想(英数)

 (原題:MANK)1930年代のハリウッド、そしてオーソン・ウェルズの「市民ケーン」(1941年)にまつわる出来事を認知していなければ、まったく楽しめない作品だ。しかし言い換えれば、そのあたりの知識のある観客にとっては、興味の尽きないシャシンであることは確かで、評論家筋にウケが良いのも納得出来る。私はといえば、正直そっち方面の事情には疎いのでのめり込めなかったが、映像その他のエクステリアの仕上がりには感心した。

 1930年代末、若くして演劇界の快男児にのし上がったオーソン・ウェルズを、ハリウッドの映画会社RKOは全権を委託して映画の製作を任せた。だが、当初予定されていた企画は予算オーバーになってボツになる。そこでウェルズは、時の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストを模した人物の人生を暴露的に描く作品を考案する。

 その脚本をオファーしたのがマンクことハーマン・J・マンキウィッツだった。マンクは飲んだくれで、しかも交通事故によるケガで療養中の身だったが、ウェルズとの協働を引き受ける。仕事を進めるマンクは、それまでのハリウッドでの振る舞いを回想するのだった。

 ウェルズとマンクとの確執がクローズアップされるのかと思ったら、マンク自身の回顧録みたいなのがドラマの主眼になっていて、ちょっと拍子抜けだった。ベルリン生まれで長じてアメリカに移住、それから雑誌での執筆活動を経てシナリオライターとしてパラマウント映画に雇われるのだが、その間に彼はハリウッドでの裏事情をイヤというほど知ることになる。映画会社同士の縄張り争いや、俳優の所掌についての取り決め、果ては民主党と共和党それぞれの“派閥”の暗躍など、生臭い話ばかりだ。

 またルイス・B・メイヤーやジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、アーヴィング・G・タルバーグといった当時のVIPも登場する。このあたりのエピソードは映画通には堪えられないのだろうが、一般ピープルにアピールできるネタとも思えない。だからこちらは、本作の映像を堪能することにした。

 エリック・メッサーシュミットのカメラによる精妙なモノクロ画面、そして往時の映画を思わせる画像処理は、見事としか言いようがない。監督のデイヴィッド・フィンチャーは、よっぽどこの題材に興味があったのだろう。主演のゲイリー・オールドマンはさすがのパフォーマンス。アマンダ・サイフリッドにリリー・コリンズ、アーリス・ハワード、トム・ペルフリーといった脇の面子も良い。そしてトレント・レズナーとアティカス・ロスによる音楽は、レトロでありながら現代的で見事だ。
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「TENET テネット」

2020-10-18 06:31:15 | 映画の感想(英数)
 (原題:TENET )クリストファー・ノーラン監督作としては、前回の「ダンケルク」(2017年)に続いての失敗作だ。とにかく“何か思い切ったことをしたい”との気持ちだけが空回りし、肝心の作劇が疎かになり娯楽映画としての体裁を欠いている。作者としては3時間以上の大作に仕上げる予定が興行面での都合により2時間半に削られたらしいが、それを勘案しても評価出来る水準には達していない。

 CIAの特殊部隊に属する“名も無き男”は、ウクライナのコンサートホールで起きたテロ事件を鎮圧すべく現地に向かう。だが、逆にテロリストに捕らえられ尋問を受ける。機密情報を敵に漏らす前に自決しようと、彼は毒薬の入ったカプセルを口にするが実はカプセルの中身は鎮静剤だった。



 船の中で目を覚ました彼は、ある男から“第三次世界大戦を阻止するため、未来からの敵と戦え”という指令を受ける。彼はある研究所で、未来人が作ったらしい時間逆行装置と“時間を逆行する弾丸”の存在を知ると共に、未来の敵を手引きしているらしいロシアの武器商人セイターに接触するため、相棒となるニールと行動を開始する。

 とにかく、劇中にはワケの分からないことが山積している。未来で起こる第三次世界大戦とはいったい何なのか、どうしてその解決を主人公は担わされたのか、なぜセイターは未来勢力の“代理店”みたいなことをしているのか、スタルスク12だのアルゴリズムだのいったモチーフの実体は何なのか等、それらに対する平易な説明は無い。

 しかし問題は“分からないことが多い”ということではないのだ。“分からないことを、(観る側が)分かろうとは思わないこと”こそが、本作の最大の瑕疵である。もちろん、この曖昧模糊とした映画の内実を何とか(こじつけを含めて)解き明かそうという向きもあるだろう。しかし、少なくとも私はそんな気分には全然なれない。なぜなら、映画全体に覇気というか切迫したものが一切感じられないからだ。

 魅力の無い登場人物たちに、イマジネーションに乏しい映像構成、特にアクションシーンの低調ぶりは目に余る。終盤の戦闘場面など、正常な時制と逆行した時間の中で活動する者たちが入り交じってバタバタしているだけで、観ていて鬱陶しい。最後はオチをつけたつもりだろうが、カタルシスは無い。

 主演のジョン・デイヴィッド・ワシントンは、見た目や演技での存在感に欠ける(父親のデンゼルの足元にも及ばない)。ロバート・パティンソンやケネス・ブラナー、アーロン・テイラー=ジョンソンといった面子も精彩がない。ただ、ヒロイン役のエリザベス・デビッキには驚いた。美人で色気があるということより、その190cmという身長には目を剥くしかない。この体格を活かして、今後も時代劇や歴史大作にどんどん出て欲しいものだ。
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「mid90s ミッドナインティーズ」

2020-10-03 06:58:55 | 映画の感想(英数)
 (原題:mid90s)たぶん90年代にティーンエイジャーだった観客(それも一部)ならば、大いにウケるのだろう。しかし、そうではない者(私も含む)にとっては、どうでもいい映画である。ドラマ自体に見せ場に乏しく、盛り上がりも無い。各キャラクターもそれほど“立って”おらず、85分という短い尺ながら、随分と長く感じてしまった。

 90年代半ばのロスアンジェルスの下町。13歳のスティーヴィーは兄イアンと母ダブニーの3人暮らしだ。彼は小柄で、身体が大きく力も強い兄にいつもやり込められている。不満を抱えたスティーヴィーが出会ったのが、路上でスケートボードに興じる少年たちだった。彼らがたむろするスケートボード・ショップに思い切って入ってみたスティーヴィーは、意外と簡単に仲間に入れてもらえる。ボードも安く譲ってもらった彼は、その日から練習を重ねるが、自由気ままに日々を送っているように見えた彼らが、実はそれぞれ大きな屈託を抱えていたことを知るのだった。



 冒頭、イアンにねじ伏せられるスティーヴィーが映し出されるが、彼が兄に対して大きな反抗心を持っているわけではない。それどころか親近感を覚えている。父親はいないが、母はカタギの人間だし、家庭内にはそれほど大きな問題は存在しない。スケボー仲間は見かけは不良っぽいが、中身はどこにでもいる(少々悪ぶった)少年たちだ。各々悩みはあるが、ドラマを動かすような重大なものではない。

 このように、映画的興趣を醸し出すようなアクションを起こしそうもない者ばかり並んでいるので、展開も平板にならざるを得ない。映画の重要モチーフになるはずのスケートボードにしても、60年代から存在しているアイテムなので、映画の時間軸においてクローズアップしている意味がよく掴めない。

 登場人物の誰かが大会に出て活躍するといった筋書きでもあるのかと思ったら、そうでもない。何もないまま、おそらくは作者のノスタルジーだけに乗っかって進むだけなので、観ているこちらは退屈するしかない。これで初監督になるジョナ・ヒルの仕事ぶりには、殊更に言及するべきことはない。

 サニー・スリッチにキャサリン・ウォーターストン、ルーカス・ヘッジズ、ナケル・スミスといったキャストも印象に残らず。使われている音楽がヒップホップ中心であったのも、個人的には納得出来なかった。何しろ私にとっての90年代の音楽シーンは、グランジとブリット・ポップなのだ(笑)。
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「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」

2020-08-29 06:58:39 | 映画の感想(英数)
 (原題:DER TRAFIKANT )何だか妙な映画である。興味深いネタは散りばめられてはいるが、それらを束ねて骨太な映画的興趣に持っていこうという意思が感じられない。総花的に事物を並べているだけだ。反面、映像はヘンに凝っていて、結局作者がやりたかったのは奇を衒った画面構成であり、歴史的なモチーフはその“前振り”に過ぎなかったのかと思いたくなる。

 1937年、ナチス・ドイツによる隣国オーストリアに対する干渉は激しくなり、併合寸前の様相を呈してくる。そんな中、17歳のフランツは田舎の実家を離れ、煙草屋の店員として働くためウィーンにやってくる。そこで知り合ったのが、著名な心理学者のジークムント・フロイトだった。ボヘミア出身の若い女に一目惚れしたフランツは、フロイトにいろいろ助言をもらう。



 やがて街中ではハーケンクロイツ旗が数多く翻るようになり、リベラル系の新聞を取り扱っていた煙草屋の店主も逮捕される。フロイトの身辺も危うくなり、周囲の者は彼に英国への亡命を勧めるのだった。ローベルト・ゼーターラーの小説「キオスク」の映画化だ。

 いくらでもシビアな展開が可能な時代設定であり、実際に主人公たちは困難に直面するのだが、その扱いは生ぬるい。いわば“想定の範囲内”である。そもそも、フランツはあまり感情移入出来ないキャラクターだ。あまり恵まれない境遇にあることは分かるのだが、その内面が突っ込んで描かれない。そして、肝心のフロイトのアドバイスが全然大したものだと思えない。年長者ならば誰だって言えることばかりだ。

 斯様に映画は要領を得ないが、冒頭の“水中シーン”をはじめ、映像表現には力がこもっている。荒涼としたウィーンの町並みや、この世のものとも思えない実家およびその周辺の風景描写など、作り手が得意満面でカメラを回しているのが分かる。しかし、映画としてはそれが完全に“浮いて”いるのだ。ヘンにアーティスティック路線に色目を使うより、真っ当な歴史ドラマにした方が求心力が発揮出来たはずだ。

 フランツ役のジーモン・モルツェは大して印象に残らず。フロイト役に2019年に世を去ったブルーノ・ガンツが起用されているが、存在感はあるもののドラマの素材としては昇華されていない。ニコラウス・ライトナーの演出はアマチュア臭がして感心せず、個人的には観る必要の無かった映画だ。
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