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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「BLUE GIANT」

2023-06-12 06:08:12 | 映画の感想(英数)
 ジャズを題材にした石塚真一の同名コミックの映画化だが、当然のことながら原作には“音”が無い。だから映像化に際してはサウンドデザインを一から立ち上げる必要がある。しかもアニメーションでの音楽表現は難しいのではないかと予想して観るのを躊躇していたのだが、評判の良さに敢えて接してみたところ、かなり良く出来ているので感心した。今年度の日本映画の中でも記憶に残る内容だ。

 仙台に住んでいた高校生の宮本大はジャズにハマって毎日一人で河原でテナーサックスを吹き続けてきた。卒業した大は上京し、高校の同級生で大学生活を送っている玉田俊二のアパートに転がり込む。何とかミュージシャンとして人前でプレイしたいと思っていた彼は、ある日抜群のテクニックを持つピアニストの沢辺雪祈と出会う。そして意外にリズム感が良かった俊二がドラマーとして加わり、3人でバンド“JASS”を結成。一流ジャズクラブのステージに立つため練習に明け暮れる。



 主人公がジャズに魅せられた切っ掛けとか、どのようにスキルを上げていったのかなど、そういう物語の前段になるモチーフはカットされている。それは別に不手際ではなく、作劇のポイントを大の東京での活動に収斂させるための措置なので気にならない。そして何より、演奏シーンが圧倒的だ。

 オリジナルのスコアを我が国屈指のピアニストである上原ひろみが担当しているのが実に効果的で、いかにもこのキャラクターたちが奏でそうな闊達なサウンドを提供している。演奏時に故意に画面を歪ませる処理は異論がありそうだが、音楽と見事にシンクロしていて引き込まれる。これならジャズに興味を持たない観客も満足させられるだろう。

 サックス担当の馬場智章とドラムの石若駿という気鋭の若手をサウンドトラックに起用しているのも好感触だ。“JASS”の歩みは順調ではないが、スポ根路線よろしく困難を一つ一つ乗り越えていく展開は観ていて気持ちが良い。立川譲の演出は淀みが無く、ストレートな筋書きを正攻法に練り上げている。アニメーションのクォリティも問題は無く、ロトスコービングなどの手法を駆使して飽きさせない。

 山田裕貴に間宮祥太朗、岡山天音という主要キャラの声の出演は良好で、木下紗華に青山穣、乃村健次、木内秀信ら声優陣も良い仕事をしている。主人公の“その後”の生き方を暗示させるエピローグが挿入されているが、本作の評価の高さを考えると続編も作られる可能性は大きい。その際はまた劇場に足を運びたいものだ。
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「TAR ター」

2023-06-10 06:05:11 | 映画の感想(英数)
 (原題:TAR )これはとても評価出来ない。題材に対する精査や描くべきポイントの洗い出し、アプローチの方法、キャラクターの設定、そしてストーリー展開と、あらゆる点で問題が山積だ。第95回米アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか計6部門で候補になっていたが、いかなる事情で斯様に絶賛されたのか当方では分かりかねる。

 女性として初めてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に任命されたリディア・ターは、現在マーラーの交響曲全集の録音に取り組んでおり、残すは第5番だけである。しかし、思うような演奏が出来ない。同時に、自身の手による楽曲の制作も上手くいかず、プレッシャーに押しつぶされそうになる毎日だ。そんな中、かつて彼女が指導した若手指揮者が急逝するという知らせが入り、ある疑惑をかけられたターはますます追い詰められていく。



 現在、プロの女性指揮者は世界で30人ぐらいしか存在しないという。しかも、有名オーケストラの常任指揮者や音楽監督のポストに就いている者はいないし、過去に存在したことも無い。しかしこの映画のヒロインは、当初の設定からベルリン・フィルという世界屈指の楽団を束ねる立場にいるのだ。いくら何でもこれはおかしいだろう。

 まずは“どうして女性は指揮者として大成しないのか”という問題意識の提示から始めるべきだ。百歩譲って、彼女にそれだけの力量があると仮定しても、映画の中ではリディアの異才ぶりを示すシーンは見当たらない。マーラーの第5番の冒頭部分だけを仰々しく振ってはみるが、それだけだ。

 そして身も蓋もないことを言ってしまえば、同性愛者である彼女が過去の交際相手の悲報に関して動揺するあまり本業に支障を来すという展開は、甘すぎる。往年のマエストロの中には言動がちょっとアレだった者もいるが、それが大きく批判されて音楽活動が疎かになったという話はあまり聞かない。そもそもベルリン・フィルの常任を任されるような豪傑にとって、スキャンダルの一つや二つ軽く踏み潰すぐらいの“鋼のメンタル”が必須であるはずだ。そういう主人公の造型が出来ないのならば、この題材の採用自体が間違っていたということだろう。

 トッド・フィールドの演出はいたずらに“映像派”を狙うばかりで少しも求心力が感じられない。2時間半を超える長尺を支えるだけのパワーに欠ける。音楽に対する理解も怪しいもので、特にラストの処理など呆れてしまった。主演のケイト・ブランシェットは熱演ながら、演技パターンは想定の範囲内だ。ノエミ・メルランやニーナ・ホス、ソフィー・カウアー、アラン・コーデュナー、マーク・ストロングといった面子も精彩を欠く。それにしても、劇中でのドイツ語のセリフの多くに字幕が付いていないのには閉口した。
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「AIR エア」

2023-05-01 06:09:55 | 映画の感想(英数)
 (原題:AIR )例えて言えば、よくある池井戸潤や真山仁のビジネス小説の映画化・ドラマ化作品をグレードアップしたような案配で、鑑賞後の満足度は高い。特に企業人ならば共感するところが大きいのではないだろうか。しかも実話を元にしているこの題材は誰でも興味を持てるもので、企画段階で半ば成功は約束されたと言って良い。

 1984年、スポーツ用品メーカーの大手ナイキは手薄のバスケットボール部門の強化を狙っていた。社長のフィル・ナイトは営業推進部門のスタッフで盟友でもあるソニー・ヴァッカロにこのプロジェクトを任せる。だが、当時のバスケットボール用品の市場はコンバースとアディダスの寡占状態。この劣勢を跳ね返すには、他社が手を付けていないイメージキャラクターになる新進気鋭のプレーヤーと、非凡なマーケティングが必要である。そこでソニーが目を付けたのが、まだプロデビューもしていない新人選手マイケル・ジョーダンだった。



 たとえポーツに疎い者でもその名は知っているであろう伝説のバスケットシューズ“エア・ジョーダン”誕生のプロセスを描いたシャシンだが、物事が(余計な色恋沙汰などを挿入せずに)文字通りビジネスライクに進むのが観ていて気持ち良い。M・ジョーダンがなぜ当初ナイキを嫌っていたのか分からないが、ほぼコンバースに決まりかけていた彼のライセンス契約を、口八丁手八丁と着実な理詰めのネゴシエーションで徐々にこちらに引き寄せる様子が平易に描かれている。

 さらに、雌雄を決したナイキとの契約の特徴がそれまでに類を見ない画期的なものであった点も強調される。その提案をするのはマイケルの母親デロリスであったことも痛快だ。考えてみれば選手本位のこの契約こそが正当であり、それまでの形態は企業の利益のみが優遇されていたことに驚かされる。

 フィル役で出演もしているベン・アフレックの監督ぶりは適度なケレンを織り交ぜつつも、堅実でドラマが破綻することがない。ソニーに扮するマット・デイモンは絶好調で、スポーツメーカーに勤めていながら運動不足は如何ともしがたいという(笑)、トボけたキャラクターを楽しそうに演じている。商品開発担当のストラッサー役のジェイソン・ベイトマン、デロリスに扮するヴィオラ・デイヴィスの存在感もさすがだ。

 そして特筆すべきは、バックに流れる当時のヒット曲の数々である。80年代のポップスは大して好きではないが、それでも懐かしさは感じるし何より映画の時代設定を補完する意味では適切だ。それにしても、バスケットボール・シューズには色合いなどに厳格な“規定”があったことを、本作で初めて知った。そのあたりを覆した“エア・ジョーダン”の価値はそれだけ高いということだろう。プレミアム的な価値を生み出したのも納得できる。
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「The Son 息子」

2023-04-08 06:22:20 | 映画の感想(英数)
 (原題:THE SON )秀作「ファーザー」(2020年)で93回アカデミー脚色賞を受賞した劇作家のフロリアン・ゼレール監督の第二作ということで一応期待したのだが、何とも要領を得ない出来に終わっていて閉口した。これはひとえに、設定の普遍性の欠如に尽きる。誰にでも訪れる“老い”と、本人を取り巻く家族等が直面する問題を扱った「ファーザー」に対し、本作の建付けは何とも無理筋だ。この時点で鑑賞意欲が減退する。

 ニューヨーク在住の敏腕弁護士ピーターは、今や大物政治家の選挙対策委員を打診されるほどの出世を遂げていた。ある日前妻ケイトから、彼女と一緒に暮らしている17歳の息子ニコラスの様子がおかしいと相談される。母子二人だけの生活に閉塞感を覚えているためか、ニコラスは学校にもあまり行かずに引きこもっているらしい。父親の元で生活したいという要望に応えてピーターは彼を引き取るのだが、長らく疎遠だった父と子は簡単に関係を修復できるものではなかった。



 まず、ピーターの造形にはとても共感できない。とことん自分勝手な仕事人間で、他人の迷惑など知ったことではない。彼は妻帯者でありながら、何の後ろめたさも無くベスという愛人と付き合い、それを当然のことのように妻に告げて離婚する。もちろん、息子ニコラスはケイトに押し付けたままだ。前妻から泣きつかれて息子を引き取るが、父親らしいことは何もしない。いや、本人は良い父親であろうと努力しているつもりなのだが、それは他の人間にはまったく伝わらない。これではニコラスがメンタル面で問題を抱えるのも当然のことだろう。

 さらに映画後半にはピーターの父親アンソニーも登場するが、首都ワシントンに邸宅を構えるアンソニーは、自身の利益と名声のことしか考えない超エゴイストだ。ピーターはその資質を受け継いでいることが明らかになるが、そういう非人間性を身に付けないとこの一族の中では生きられない。ベスとの間に生まれた赤ん坊も将来は傲慢な人間になるか、あるいはニコラスのように神経が参ってしまうかのどちらかだろう。

 斯様な異様な家族関係の中で、いくら登場人物たちが悩もうとも、観る側にとってはそれは単なるレアケースと片付けてしまえる。つまりは“関係のない話”なのだ。取って付けたようなラストも脱力感が残るのみ。ゼレールの演出は前作ほどの切れ味は無く、凝った映像ギミックも見当たらない。アメリカが舞台であるにもかかわらず、どこかヨーロッパの都市を思わせる清澄な絵作りこそ印象的だが、それ以外は特筆できるものはない。

 主演のヒュー・ジャックマンは熱心に仕事をしていたとは思うが、こういうヒーロー然とした男よりも普通の容貌の俳優の方が合っていた。ローラ・ダーンにヴァネッサ・カービー、アンソニー・ホプキンスといった手堅いはずのキャストの演技も空振りの様相を示す。ただ、ニコラス役のゼン・マクグラスは芸達者で見どころがある。今後の活躍に期待したい。
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「2ハート」

2023-03-24 06:06:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:2 HEARTS)2020年10月よりNetflixより配信。スチール写真やトレイラー映像から受ける“典型的なラブコメ”といった印象とは、実際観てみると大きく違う。これは真摯に作られたヒューマンドラマだ。しかも構成や画像処理は手が込んでおり、平板な出来にはなっていない。終盤の展開は感動的でもあり、鑑賞後の満足度は決して低くはない。

 70年代、中米の大手ラム酒業者社長の御曹司ホルヘは、生まれつき肺に疾患があり大人になるまで生きられないと言われていた。しかし手術が成功し30歳代になっても元気に稼業に勤しんでいた。そんな彼は乗り合わせた旅客機のCAレスリーに一目惚れ。猛アタックの結果、結婚までこぎ着ける。



 2000年代、イリノイ州に住む大学生クリスは学業があまり得意ではなく、親や兄からは小言を貰いつつも本人はあまり気にしていない。そんな彼が同じ大学の上級生サマンサと知り合い、恋仲になる。一方、時が経ち中年になったホルヘは肺の具合が悪化。移植手術以外では助からないと宣告される。同じ頃、クリスは友人の家にいる間に突然倒れる。緊急治療室に担ぎ込まれるが、そこで彼が脳動脈瘤を患っていることが明らかになる。実話を元にした筋書きだ。

 冒頭、ハワイの海岸に佇むクリスのモノローグが挿入されるが、これがラストの伏線になる。映画はホルヘとクリス、一見何の関係も無いストーリーを平行して描く。観る側はこの2つが終盤で融合し、そしてそこに繋がるモチーフが臓器移植であることを予想出来るのだが、扱い方は変化球を駆使している。

 具体的には、スムーズに進んだと思われるシークエンスが、実は登場人物の想像や願望だったりするのだ。しかも、その繰り出し方は緩急が付けられていて、どこで幻想と現実が反転するのか予測出来ない。観る者によっては反則かと思われる手法だが、本作の場合正面切ってリアリズムでやられるよりも、こっちの方が訴求力が高い。その代わり、クリスと家族との確執や、キューバから亡命してきたホルヘの親世代の苦労など、周辺のネタは丁寧に掬い上げられている。

 最後は予想通りかもしれないが、やはり当事者たちのきめ細かい心情が描かれて感慨深い。ランス・フールの演出はイレギュラーな手法に足を引っ張られず堅実なタッチに終始している。ジェイコブ・エロルディにエイダン・カント、ラダ・ミッチェル、ティエラ・スコビーらキャストは正直知らない名前ばかりだが、皆好演だ。ヴィンセント・デ・ポーラのカメラによる明るく美しい映像も要チェックである。
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「2つの人生が教えてくれること」

2023-02-19 06:22:23 | 映画の感想(英数)

 (原題:LOOK BOTH WAYS)2022年8月よりNetflixより配信。これは、アイデアの勝利だろう。このネタは誰でも思い付きそうだが、実際に映画として成立させた例はあまり無いと思われる。しかも、観る側から“所詮はワン・アイデアじゃないか”と見透かされることを避けるため、構成はとても良く考えられている。観て損は無い一編だ。

 テキサス大学オースティン校に通っていたナタリー・ベネットは、卒業を前にボーイフレンドのゲイブと一度きりの関係を持つ。そして卒業式前夜、彼女は突然吐き気を催して妊娠検査薬を使用。ここで映画は2つに“分岐”する。ヒロインが妊娠して地元に留まり、シングルマザーになって子育てに奮闘するというストーリーが進む一方、ナタリーは妊娠せずにそのまま卒業後はロスアンジェルスに引っ越し、アニメーターになる夢を実現すべくハリウッドの製作スタジオに就職する話も進行する。

 これら2つの筋書きがほぽワン・シークエンスごとに交互に展開し、同時制での主人公の言動や心理状態が並行して描かれるという案配だ。観る側が混乱しないように2つのパートは容易に見分けがつくように衣装や美術などは工夫されており、さらに時おり同一画面でその2つが進行するという離れ業を見せる。特に、卒業直後に“それぞれの”主人公を乗せた2台の車が反対方向に発進する場面は実にうまい処理だ。

 もとよりこのドラマはシリアスな方面には振られておらず、ヒロインの陽性のキャラクターも相まって深刻な結末にはならないことが容易に予測できる。それでも、各パートでの主人公が味わう不条理や思いがけない苦労といったものは、観る者が暗くならない程度には挿入されている。また、ナタリーがアニメーション業界を志望しているというモチーフは効果的で、文字通り“芸は身を助ける”を地で行く筋立てが可能になる。

 観終わって、やっぱり人間は前向きな姿勢を忘れなければ、人生の分岐点に何度か遭遇したところで選択を大きく誤ることはないのだという、作者のポジティブなスタンスが見て取れた。ワヌリ・カヒウの演出はイレギュラーな設定にも動じない堅実なもの。特段のケレンは無いが、安心して観ていられる。主演のリリ・ラインハートは初めて見る女優だが、明るく素直な印象で演技も達者。ダニー・ラミレスにデイヴィッド・コレンスウェット、アイシャ・ディーといった他のキャストの仕事も万全だ。随所にアニメーションが挿入されるのも効果的。
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「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」

2023-01-30 06:15:57 | 映画の感想(英数)
 (原題:SHE SAID)本作を観て思い出したのが、アラン・J・パクラ監督の「大統領の陰謀」(76年)だ。新聞社を舞台に、2人の記者が社会問題に挑む実録映画という形式は共通している。もっとも、あの映画の題材はウォーターゲート事件で、対して本編で扱っているのは有名映画プロデューサーのセクハラ案件だ。だからネタとしては軽量級かと思われるかもしれない。しかし、社会的影響度に関しては大統領の政治スキャンダルに勝るとも劣らない。映画のクォリティもアカデミー賞候補になったパクラ作品に肉薄している。

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターは、大手映画会社“ミラマックス”の設立者であり、敏腕プロデューサーとしても知られたハーヴェイ・ワインスタインが女優や女性スタッフなどに対して性的暴行をはたらいているという話を聞きつけ、独自に取材を開始する。すると、ワインスタインの悪行は常態化しており、彼はこれまで何度もマスコミの記事をもみ消してきたことを知る。今回もニューヨーク・タイムズ紙は妨害を受けるが、2人はこのヤマを逃すことを潔しとせず、果敢に対象にアタックする。トゥーイーとカンターによるルポルタージュの映画化だ。



 主人公2人は家庭を持っており、決して仕事一辺倒のジャーナリストではない。特にトゥーイーは劇中で子供を持つことになる。決して独りよがりにもヒステリックにもならず、上司や同僚たちとの関係も良好に保ちつつ、粛々とミッションを遂行する。彼女たちの境遇に比べると、ハリウッドの有様には言葉を失うしかない。

 よく“芸能界は一般世間の常識が通用しない場所だ”というような物言いをする向きを見掛けるが、だからといって“ギョーカイでは何でもあり”という結論に何の疑問もなく行き着いてしまうのは、思考停止でしかない。昔はそれが通用していたというのも、言い訳にもならないのだ。

 マリア・シュラーダーの演出は余計なケレンを配した正攻法のもの。真正面から問題に取り組む覚悟が窺える。トゥーイーに扮するキャリー・マリガンのパフォーマンスには、初めて感心した。役柄を選べば、真価を発揮する俳優だ。カンター役のゾーイ・カザンの抑制の効いた演技も申し分ない。

 パトリシア・クラークソンにアンドレ・ブラウアー、ジェニファー・イーリーといった他のキャストも良好だが、アシュレイ・ジャッドが本人役で出ているのはインパクトが大きい。それだけ事は重大であり、いわゆる#MeToo運動の嚆矢になった出来事は、断じて芸能ネタで終わらせてはならないという作者の気迫が感じられる。ナターシャ・ブライエによる撮影、ニコラス・ブリテルの音楽、共に及第点である。
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「MONDAYS」

2022-12-03 06:16:01 | 映画の感想(英数)
 正式タイトルは「MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」らしいのだが、劇中タイトルには「MONDAYS」としか表示されない(苦笑)。ともあれ、巷では「カメラを止めるな!」(2017年)以来の低予算ブロックバスターとの声が多いらしい。確かにワン・アイデアで機動的な作劇であることは認めるが、「カメラを止めるな!」ほどのインパクトは無い。気の利いた小品という評価がまあ妥当なところだろう。

 主人公の吉川朱海は小さな広告代理店に勤めているが、密かに憧れの人がいる大手への転職を狙っている。それでも日々の業務を貫徹しなければならず、土日も返上同然で働いて迎えた月曜日の朝、彼女は後輩2人から自分たちが同じ一週間をずっと繰り返していることを告げられる。最初は信じなかった朱海だが、確かな証拠を突き付けられて愕然とする。このタイムループの原因は、どうやら部長の置かれた境遇にあるらしい。社員たちは“時の牢獄”から脱出するため、何とかして部長に真実を気付かせるべく奮闘する。



 舞台を小規模な企業の現場に設定したのがミソで、このイレギュラーな事態に最初に気付いた若手社員たちが、問題の核心である部長に直接アプローチしないのが面白い。ちゃんと社内のステータスの順番で事の重大さを納得させていく。これは稟議書のハンコの並びと一緒であり、つまりは“根回し”だ。会社組織を皮肉っているのが愉快だが、社員たちがタイムループを自覚した後に(時間はいくらでもあるので)それぞれ仕事のスキルを上げていくのは説得力がある。

 さらには朱海の転職問題に関しても進展があり、一種の“サラリーマンもの”としての興趣も醸し出す。終盤の処理も悪くない。しかしながら、タイムループ自体が超現実的なネタであり、なおかつパラドックスを指摘されやすい。細かく見れば突っ込みどころは多々ある。非日常的なホラーものと思わせて実は徹底してリアリティを確保していた「カメラを止めるな!」とは、そこが違う。さらに部長が抱える事情そのものも、ドラマの主要プロットに据えるには無理がある。もっと平易なネタでも良かった。

 竹林亮の演出はテンポが良く、別の題材での仕事ぶりを見たくなる。キャストは部長役のマキタスポーツと取引先幹部に扮するしゅはまはるみ以外は馴染みが無いが、演技が拙い者が一人もおらず観ていて気持ちが良い。特に朱海を演じる円井わんは、美人ではないけど実に芸達者で後半には可愛く見えてくる。幸前達之によるカメラワークと大木嵩雄の音楽も良好だ。
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「RRR」

2022-11-14 06:23:11 | 映画の感想(英数)
 (原題:RRR )前半はけっこう楽しめる。ただし後半に入ると、あり得ない展開が目白押しになり脱力する。いくらインド製娯楽映画という“特殊フィルター”(?)を通しての鑑賞でも、これほど作劇がいい加減ならば評価はしたくない。巷ではかなりウケが良いらしいが、少なくとも本作よりも出来が良いインド製娯楽編は過去にいくらでもあった。

 1920年代の英国植民地時代のインド。少数部族の村にイギリス軍が我が物顔で乗り込み、手先の器用な幼い少女をさらってゆく。部族の用心棒的な存在であるビームは、仲間と共に総督府がある町に潜入。少女を奪還するチャンスを窺う。一方、現地出身でありながら英国政府の警察となったラーマは、デモ隊の鎮圧などに目覚ましい功績を残し、総督府からも一目置かれる存在になる。だが、実は彼が警察に入ったのは“ある目的”のためであった。そんな2人が偶然知り合い親友同士になるが、もとより立場は大きく違う。やがてある事件をきっかけに、彼らは重大な選択を迫られることになる。



 ビームの神出鬼没ぶりや、ラーマの有り得ないほどの腕っ節の強さを“そんなバカな!”と心の中で突っ込みを入れつつ面白がっているうちに、2人がパーティー会場で披露する“ナートゥダンス”で映画のヴォルテージは最高潮に達する。この超高速でハイレベルの振り付けを、寸分の乱れも無いシンクロで見せつけられると、観ている側は驚き呆れるしかない。

 しかし、この後はテンションは落ちる一方。ビームがピンチに陥るくだりや、ラーマのプロフィールなどが不必要に余計な尺で紹介され、次第に面倒くさくなってくる。果てはどう考えても向こう数か月は歩くことも出来ないような重傷を負った2人が、すぐさま何事も無かったかのように回復して大暴れをするに及び、少しはドラマ運びの常識というものを考えろと言いたくなる。

 監督のS・S・ラージャマウリの出世作になった「バーフバリ」シリーズは観ていないが、スマートとは言えない本作の建て付けを見る限り、どうも古いタイプの演出家のようだ。意外と残酷な描写が目立つのも愉快になれない。主役のN・T・ラーマ・ラオ・Jr.とラーム・チャランは絵に描いたような偉丈夫ながら、あまり垢抜けているとは思えない。

 ラーマの恋人役のアーリアー・バットと、インド映画では珍しい白人のヒロイン役アリソン・ドゥーディ、そして敵役のレイ・スティーヴンソンは好演だが、あくまでも主演2人の引き立て役だ。なお、テルグ語の映画を観るのは初めてだったが、今まで鑑賞したヒンディー語やタミル語の映画とは様相が違うように思われる。同じ国の作品でも、言語と映画のテイストとの相関性はやっぱり存在するのだろうか。
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「Oh!ベルーシ絶体絶命」

2022-10-28 06:18:59 | 映画の感想(英数)

 (原題:Continental Divide)81年作品。この邦題は、当時「1941」(79年)や「ブルース・ブラザーズ」(80年)を経て人気絶頂にあったジョン・ベルーシの主演作であることを強調するもので、作品の内容とはまったく関係ない。それどころか、彼自身のキャラクターから予想されるようなナンセンスなお笑い劇とはまるで異なる、ロマンティック・コメディなのだ。ベルーシもそれらしく“二の線”に徹しており、彼の多才ぶりが印象付けられる。

 主人公アーニー・スーチャックはシカゴの新聞社に勤める敏腕記者だ。彼は市政界の裏に暗躍する反社会的分子を糾弾する記事を連日発表し、好評を得ていた。ところが敵対勢力から暴行を受けるという事件が勃発。心配した編集長は、アーニーにロッキー山脈の山奥への長期出張を命じ、街から避難させる。取材の対象は、絶滅寸前のアメリカ白頭鷲の生態を調査している女性鳥類学者ネル・ポーターだ。ところが彼女は大のマスコミ嫌い。素気ない態度を取られて気落ちするアーニーだったが、偶然が重なって山小屋に数週間2人だけの生活を強いられる。

 住む世界が異なる男女が、最初は互いに敬遠していたが次第に仲良くなるという、典型的なスクリューボール・コメディの体裁を取る。だから筋書きは予想通りで、重要ポイントは周辺の御膳立てなのだが、けっこう上手くいっていると思う。何より、雄大なロッキー山脈の風景が魅力的。加えて、ヒロインがフィールドワーク中心の学者であることから、動物の描写もけっこう出てくる。舞台が一般ピープルにとっての非日常であり、これならば予定調和のハナシを披露しても違和感が無い。

 マイケル・アブテッドの演出はまあ普通のレベルだが、脚本を名手ローレンス・カスダンが手掛けているせいか、終盤近くの処理などは実に気が利いている。ベルーシの演技は達者で、それからも多彩な役柄を期待されたが、若くして世を去ってしまったのは残念でならない。

 ヒロイン役のブレア・ブラウンをはじめ、アレン・ゴーウィッツにカーリン・グリン、バル・アベリーなど他のキャストも堅実だ。ジョン・ベイリーのカメラによる明媚な山岳地帯の描写は印象に残る。マイケル・スモールの音楽も悪くない。
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