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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「Gメン」

2024-03-02 06:10:18 | 映画の感想(英数)
 2023年作品。普段ならば絶対に観ないようなタイプのシャシンで、実際に映画館での鑑賞は遠慮したのだが、本作が何とキネマ旬報誌の2023年邦画ベスト・テンにおける読者投票で第一位になったのを知り、今回ネット配信ではあるがチェックした次第だ。結果、本来は鑑賞対象にならないという認識はまったく変わらず(笑)、どうしてこれが高評価になったのかは謎のままである。まあ、世の中たまに不可思議なことが起こるものだと、自分に言い聞かせるしかない。

 東京都下にある私立武華男子高校は当初は低偏差値のヤンキーが集まる学校だったが、周囲に女子高が4つも開校し、色気づいた優等生が大量に志願した結果、偏差値が爆上がり。高校1年生の門松勝太も“彼女を作りたい”という不純な理由だけで転校してきたのだが、彼に振り分けられたクラスは落ちこぼれの不良だらけの1年G組だった。クセの強いクラスメイトたちに辟易しながらも、何とか馴染むことが出来た勝太だったが、いつの間にやら凶悪組織である天王会との抗争の矢面に立たされてしまう。小沢としおの同名コミックの映画化だ。

 本作の配給元は東映だが、この映画は東映系の小屋で昔やっていた「ビー・バップ・ハイスクール」のシリーズと大差ない、いわゆる“不良高校生もの”だ。この手のシャシンは現在に至るまで各社でずっと作られていて、それなりの市場を獲得しているようだ。かく言う私も映画「ビー・バップ・ハイスクール」は全作品観ていて(笑)、それなりに楽しかったことを覚えている。ただし、それはあくまで若い頃の話だ。現時点で鑑賞して感銘を受けるとは思わないし、実際この「Gメン」も従来型の“不良高校生もの”と建て付けは一緒でまったく面白いとは思えなかった。

 テレビでよく見かける面子ばかりを集め、楽屋落ちみたいな(笑えない)ギャグの連続。演技面で評価出来る者もあまり見当たらない。まあ、乱闘シーンは頑張って撮っているのは分かるが、手練れの映画好きを唸らせるレベルにはとても達していない。監督は瑠東東一郎なる人物だが、パフォーマンスはバラエティ番組のディレクター並だ。ただ、おそらくは“固定客”がいるタイプの映画としては、マーケティング的にはこの程度で良いのだろう。

 しかしながら、あの「ビー・バップ・ハイスクール」でもキネマ旬報のベスト・テンで上位に入るなんてことは無かったし、そんなのは誰も期待していなかったはずだ。しかるに、今回の本作の“快挙”はとても信じられない。一説には主演の岸優太のファンによる“組織票”ではないかとも言われているが、それは無理があるとは思う。竜星涼や矢本悠馬、森本慎太郎、小野花梨、高良健吾、大東駿介、吉岡里帆、尾上松也、田中圭、間宮祥太朗など面子は多彩だが印象は薄い。良かったのは衣装が可愛い恒松祐里ぐらいだ。
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「Lift リフト」

2024-01-20 06:07:31 | 映画の感想(英数)

 (原題:LIFT)2024年1月からNetflixで配信。監督が「ワイルド・スピード ICE BREAK」(2017年)や「メン・イン・ブラック:インターナショナル」(2019年)などのF・ゲイリー・グレイなので、本作もライトな活劇編であることが予想されたが、実際観てもその通りである(笑)。過度な期待は禁物ながら、最初から割り切って接すれば退屈せずにエンドマークまで付き合える。配信で観るにはちょうど良い。

 世界を股に掛けて活動する大泥棒のサイラスが率いるチームは、美術品を奪い高値で取引をするという手口で荒稼ぎしていた。しかもこの犯行には作者にもキックバックが生じるため、結果として誰も損しないという巧妙なもの。そんな一味を追っているのがインターポールの女性捜査官アビーで、実は互いの素性を知る前にサイラスと恋仲だったことがある。

 あるとき、大物テロリストのヨルゲンセンと国際的ハッカー組織“リヴァイアサン”の取引のために大量の金塊が旅客機でロンドンからスイスに運ばれることを、アビーは上司のハクスリーから聞かされる。彼女はこれを阻止するためにサイラスの一味と共同し、途中で金塊を強奪することを持ち掛ける。

 ハッキリ言ってしまえば、本作は冒頭で展開されるヴェネツィアでの水上チェイスが一番盛り上がる。それに続いて始まるメインの金塊奪取の建て付けは、大したことはない。もっとも、サイラスたちが立てた計画は別のステルス航空機を利用する等、けっこう作り込まれていることは分かる。だが、リアルな物件(?)が疾走するヴェネツィアにおけるシークエンスに対し、大空でのスペクタクルはほとんどがCGだ。いくら奇想天外なシーンが繰り出されようと、所詮CGだという印象が拭えない。あと、チームのメンバー以外にも“別のスタッフ”が複数付いているという設定も、少し違う気がする。

 とはいえ、グレイ監督の仕事ぶりはスムーズで、最後のオチまで淀みなく観る者を引っ張ってくれる。主演のケヴィン・ハートは元々お笑い要員で、タフガイではないものの飄々とした雰囲気で犯罪ドラマをこなしている。相手役のググ・ンバータ=ローをはじめ、ヴィンセント・ドノフリオやウルスラ・コルベロ、ビリー・マグヌッセン、キム・ユンジ、サム・ワーシントン、そしてジャン・レノと、けっこう役者は揃っている。

 あと印象的だったのが、サイラスたちが序盤でターゲットにしているNFTアート(非代替性トークンの技術を活用したデジタル作品)で、最近はこういうものが出回っていることは聞いてはいたが、映画のネタとして取り上げられた例を初めて見た。今後もスクリーン上で頻繁にお目に掛かるようになるのだろう。
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「NO 選挙,NO LIFE」

2024-01-01 06:45:45 | 映画の感想(英数)
 興味深いドキュメンタリー映画だ。一応“主人公”は選挙取材歴25年のフリーランスライターである畠山理仁なのだが、それよりも彼が取材対象にしている選挙戦の様相と候補者たちの主義主張の方が断然面白い。もちろん選挙というのは国民の参政権の主体になるものだが、同時に堪えられないほどのエンタテインメントであることが強調され、その意味では存在感のあるシャシンだ。

 劇中で描かれている畠山のターゲットは、2022年7月の参議院選挙における東京選挙区だ。ここは定員6に対し、立候補者は34人にも達している。だからかなりの数の泡沫候補も含まれるが、畠山は全員に取材を敢行している。候補者の中にはかなり怪しい人物も複数交じっており(笑)、主義主張もけっこうイッちゃっている例もあるのだが、面白いのは彼らの言っていることが“徹頭徹尾トンデモ”ではないことだ。どこかほんの一部に、既成政党の候補者も思い至らないほどの真実がある(ように見える)。だから彼らは、政治に参加しようとすることを止めないのだ。



 聞いている者がほとんどいない路上に立ち、彼らは切迫した口調で自らの政策を訴える。与党候補や名の知られた野党の公認者も(約1名を除いて)必死だが、支援組織も何もない泡沫候補は唱える公約だけが拠り所だ。それだけに、曖昧な態度は許されない。反面、それを取材している畠山や、この映画の鑑賞者にとっては、大いに手ごたえを感じることになる。

 なお、くだんの“必死さが見えない約1名の候補”というのは、与党公認の元アイドルの“あの人”である。基本的な政治課題さえ知らずに大胆にも議員になることを希望し、さらには知名度だけはあるので当選してしまうという、何とも脱力してしまう状況がそこにはあった。

 次に畠山は2022年9月の沖縄県知事選を取材する。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画で揺れ動くこの地域の選挙は、本土とは比べものにならないほどヴォルテージが高い。断っておくが、私はこのネタに関してイデオロギー方面から言及する気は無い。選挙の去就を決めるのは沖縄県民だ、それだけに、畠山の執筆動機および映画の題材としてはもってこいだろう。

 監督は前田亜紀でプロデューサーは大島新。言うまでもなく「なぜ君は総理大臣になれないのか」「香川1区」などのスタッフだが、今回は立場を逆にしての製作。このチームの仕事ぶりは今後も注目したい。なお、畠山は沖縄取材を最後に引退を決意しているらしいが、ジャーナリズム魂が消えるはずもなく、また現場に復帰するかもしれない。
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「PERFECT DAYS」

2023-12-30 06:29:12 | 映画の感想(英数)

 良く出来た映画で、感心してしまった。正直に言うと、監督がヴィム・ヴェンダースだということで観る前は若干の危惧があった。何しろ彼は傑作「ベルリン・天使の詩」(87年)を撮り終えてから現在まで、ロクなシャシンを作ってこなかったのだ。80年代には才気溢れるタッチでコアな映画ファンを魅了していた演出家が、長らく才能が涸れたような状況に甘んじていたというのは何やら寂しくもあった。しかしこの新作では見違えるような仕事ぶりを披露している。やはり一度は高評価を獲得した作家は、近年は不調でも突然“化ける”可能性を持ち合わせているのだろう。

 主人公の平山は、東京スカイツリーの近くにある古いアパートで独り暮らしをする、初老の清掃作業員だ。彼の主な仕事は都内の公衆トイレの掃除で、決まった時間に起床し、身支度して“出勤”する。仕事帰りには銭湯に足を運び、その後は馴染みの安酒場で一杯引っかける。毎日がその繰り返しだ。そんなある日、若い姪のニコが彼のアパートに転がり込んでくる。親とケンカして家出したらしい。さらに、同僚のタカシが急に辞めたり、行きつけのスナックのママの様子が気になったりと、すべてが平穏無事とは言えないのも確かである。

 この作品に対し、主人公の造型が浮世離れしているとか、トイレ清掃員の仕事は凄まじく3Kで本作は綺麗事に終始しているとかいった批判をぶつけるのは容易い。しかし、この映画はそんな一種下世話(?)なネタを取り扱う次元には位置していないのだ。ここで描かれているのは、文字通り人生における“完璧な日々”である。それは決して得意の絶頂が続く賑々しい日々のことではない。地味なルーティンの中に散見される微妙な哀歓を見出し、それを味わうことである。これがまさしく人生の機微だろう。

 そんな意味で極端に抽象化された平山のキャラクターは、実に的確だと思う。彼はスマートフォンを持っておらず、部屋にはテレビも無い。だが、移動中に聞く古い洋楽のカセットテープや、古本屋で見つけた文庫本など、楽しむものはちゃんと持っている。フィルムカメラで撮る神社の境内の木漏れ日や、絶えず変化する空模様など、この“完璧な日々”は“単に平穏な日々”ではないことも表現される。

 そんな彼が思わず感情を露わにするスナックのママの境遇や、実の妹に対する複雑な思いも挿入されるのだが、それらも包括してやがて“完璧な日々”の中で消化されてゆく。その達観した視線が心地良い。映し出される東京の風景の、何と魅力的なことか。その即物的かつ深みのある捉え方は、やはり日本の映画作家とは一線を画するものがある。

 この映画で第76回カンヌ国際映画祭で優秀男優賞を獲得した役所広司のパフォーマンスは、前評判通り素晴らしい。本当は平山のような男は実在しないのかもしれないが、かなりの存在感を醸し出している。柄本時生に中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、三浦友和、田中泯、甲本雅裕、犬山イヌコ、芹澤興人、安藤玉恵などの多彩なキャストを集め、さらに石川さゆりに歌わせたり、研ナオコやモロ師岡、あがた森魚といったワンポイント出演もあって本当に楽しませてもらった。パティ・スミス、ルー・リード、キンクス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニーナ・シモンといった選曲もセンスが良い。
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「BAD LANDS バッド・ランズ」

2023-10-28 06:08:03 | 映画の感想(英数)
 さっぱり面白くない。もとより原田眞人監督はアイドル方面(特に旧ジャニーズ界隈)とは相性が悪いことは承知している。しかし本作の実質的な主演は安藤サクラだし、原作は未読だが一応直木賞作家の黒川博行の手によるものだし、それほど酷い結果にはならないだろうと予想したが、甘かった。鑑賞後に気付いたのだが、製作者陣に“あの人”が名を連ねており、さもありなんという感じだ。

 大阪の西成地区に住む橋岡煉梨(通称ネリ)は、ボスの高城政司の下で特殊詐欺の片棒を担いでいた。ある日、血の繋がらない弟の矢代穣(通称ジョー)が出所してくる。彼は姉のために殺人に手を染め、長らく服役していたのだ。ネリはジョーのために仕事を世話しようとするが、そんな中、ジョーは入り込んだ賭場で数百万円の借金を作ってしまう。金策に奔走する姉弟だったが、成り行きで逆に数億円の大金を入手する資格を得る。ところが、金融機関から金を引き出すにはいくつものハードルを越えなければならない。しかも、カネの匂いを嗅ぎつけた悪党どもや警察が2人をマークするようになる。



 黒川博行の小説「勁草(けいそう)」の映画化。登場人物の大半が早口で喋りまくるのはこの監督の作品では御馴染だが、今回は大阪弁(らしきもの)が大々的にフィーチャーされているため、何を言っているのよく分からない。ストーリーラインはさらに混迷を極めており、求心力の欠片もない。

 振り込め詐欺を題材にしているので、その巧妙な手口が紹介されるのかと思ったらそうでもない。姉弟の過去の因縁がエモーショナルに展開されるのかと予想するも、サッと流すのみだ。だいたい、いまどき丁半博打が行われているスポットなんか存在しないだろうし(オンラインカジノならばまだ説得力はある)、高城のバックに控えている暗黒街の大物とやらの造形も“いつの時代の話だ”と突っ込みたくなるレベル。

 ネリとジョーの行状は少しもスリリングではなく、行き当たりばったりに暴れるだけ。それを追う警察の描写に至っては、手抜きも良いところだ。ラストの扱いは茶番の極みで、観る者をバカにしている。しかもこれが2時間20分を超える長尺なのだから閉口するしかない。

 安藤サクラは本作ではツッパリのねーちゃんの域を出ず、旧ジャニーズ所属の山田涼介は頑張ってはいるのだろうが、内面から崩れたようなヤバさが醸し出されることは無い。生瀬勝久に吉原光夫、大場泰正、江口のりこ、宇崎竜童といった顔ぶれもパッとせず、天童よしみの登場なんてギャグとしか思えない。それから岡田准一がゲスト扱いで出てくるのだが、どうも“あの人”に関係したキャスティングのようで、盛り下がるばかりだった。
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「658km、陽子の旅」

2023-08-19 06:16:50 | 映画の感想(英数)
 話自体はとても承服できない。あまりにも脚本がお粗末だ。熊切和嘉監督が2001年封切の秀作「空の穴」以来22年ぶりに菊地凛子を主役に据えて撮った作品ということで期待したのだが、このレベルで終わっているのは脱力するしかない。聞けば本作は、某エンタテインメント会社が主催した企画コンテストの入選作を原案にしているらしい。しかしながら受賞作が“この程度”であるならば、我が国のクリエーター全体の水準も“その程度”になりつつあるのではないかと、いらぬ心配もしてしまう。

 主人公の工藤陽子は42歳で独身。若い頃に家を飛び出して上京したものの、まともな就職先も見つけられず、今は引きこもりに近い状態で何となく日々を過ごしている。ある日、従兄の茂から20年以上疎遠になっていた父親の昭政が亡くなったことを知らされた陽子は、茂とその家族と一緒に故郷の青森県弘前市まで車で向かう。だが、途中のサービスエリアで彼女は茂たちと逸れてしまう。所持金も無い彼女は、仕方なくヒッチハイクで故郷を目指す。



 まず、昔いくら若かったとはいえ確たる目的もツテもなく東京に出てきたヒロインには共感できない。さらに、20年以上も実家に連絡を取っていない理由が示されないのも失当だ。そして何より、茂たちを見失った際の話の段取りが不合理に過ぎる。どう考えても、主人公が一人でフラフラと長旅に出かけなければならない状況ではないし、茂もコミュニケーション能力に難のある陽子を放置したまま勝手に青森までの行程を進めて良い立場ではない。まずは警察なり何なり、しかるべき機関に駆け込むべき案件だ。少なくとも、サービスエリアのスタッフに携帯電話を借りるぐらいのことは考え付きそうなものである。

 また、陽子が道中で出会う人々もまるで現実感が無い。そもそも、ここ日本においてヒッチハイクという“形態”が認知されているとは思えない。ましてや文無しで訳ありの彼女を見掛ければ、誰だって当局側の保護の対象だと判断するだろう。劇中では何度か若い頃の昭政が陽子の心象風景として出てくるが、その割にはこの親子の関係がどうであったのかハッキリしない。極めつけは、旅を終えた陽子を迎える茂の態度。何かの茶番としか思えなかった。

 主役の菊地の熱演は認めて良いし、竹原ピストルに黒沢あすか、浜野謙太、篠原篤、吉澤健、風吹ジュン、そしてオダギリジョーなど、演技が下手な者は一人も出ていないのだが、話の内容がこの有様なので印象が実に薄い。良かったのは小林拓のカメラによる映像とジム・オルークの音楽ぐらい。熊切監督も次回からはネタを吟味して仕事に取り掛かってほしい。
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「CLOSE/クロース」

2023-08-13 06:45:51 | 映画の感想(英数)
 (原題:CLOSE )まるでピンと来ない映画である。少なくとも個人的には共感する部分がまったく無かった。かなり世評は高いようだが、それらは作品の中身ではなく“別の要素”に対する興味によると思われる。何度も言うようで恐縮だが、最近の映画界は“内容よりも取り上げられた題材が重要視される”という傾向があるが、この作品もその流れにある一本だ。

 ベルギーとの国境に近いオランダ南部の田舎町に暮らす12歳のレオとレミは、学校でも地域でもいつも一緒の親友同士。ところが、中学校に進学すると2人の親密すぎる間柄を周りの生徒たちにからかわれたことで、レオはレミと距離を置こうとする。2人の関係は次第に気まずいものになり、ケンカもするようになる。そしてある日、突然レミは自ら命を絶ってしまう。ショック受けたレオはどうしていいか分からず、ただ悩むばかりだった。



 ハッキリ言って、レミがどうして自決したのか、その理由がまるで見えなかった。子供時代には、どんなに仲の良かった友人でも環境が変われば疎遠になっていくことは珍しくもない。言い換えれば、そんな経験の無い者はあまりいないのだ。だからこそ、紆余曲折があっても末永く良好な仲を維持出来た者が“親友”と呼ばれるのである。

 友人と距離が出来たぐらいで命を絶つというのは、レミがレオに対して同性愛的な想いを抱いていたからというのが一番しっくりくる事情だろうが、あいにく本作にはそういう描写は希薄だ。また、レオがレミにとっての唯一の理解者だったという筋立ても見出せない。ところが脚本も担当した監督のルーカス・ドンは、同性愛ネタが大々的に挿入されたかのような素振りを見せて話を進めてしまうのだ。

 その最たるものが、主人公たちを演じる子役2人が美少年であること。これが普通のルックスの子供たちならば映画自体が成立していたかどうかも怪しい。このあたりは先日観た是枝裕和監督の「怪物」にも通じるところがあるが、いくらかでも事の真相に言及しようとしていたあの映画よりも、本作はかなり後れを取っているように思う(注:何も「怪物」を評価しているわけではない。あの作品は他に欠点が多すぎる)。

 あと、カメラワークに登場人物に対する接写が目立つのも鬱陶しい。子供相手にクローズアップを多用する映画といえばジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の諸作を思い出すが、本作にはダルデンヌ作品における切迫感などがあまりなく、単に少年たちの姿形を強調するだけに終わっている。

 エデン・ダンブリンとグスタフ・ドゥ・ワエルの子役2人は良く演じていたと思うし、エミリー・ドゥケンヌにレア・ドリュッケール、イゴール・ファン・デッセル、ケヴィン・ヤンセンスといった他のキャストも悪くはないのだが、作品コンセプト自体が面白いと思えないので評価は差し控える。
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「SLAP HAPPY」

2023-07-30 06:44:56 | 映画の感想(英数)
 96年作品。前項「オレンジ・ランプ」の監督である三原光尋は、他にも「風の王国」(92年)や「真夏のビタミン」(93年)などのハートウォーミングな作品を中心に手掛けているが、過去には本作のような胸くそが悪くなるようなシャシンも撮っている。もっとも三原監督はホラー映画の演出も何回か担当しているので、決して心温まるヒューマンドラマ一辺倒の作家ではないのだが、それでもこの映画の根の暗さは異質だ。その意味では興味深い。

 主人公の正男は親元から離れ、昼は予備校に通い、夜はコンビニでバイトしている二浪生。絵に描いたような“陰キャ”で、親しい友人はおらず、次回の受験に成功する見通しも全くない。店ではイヤミな客に暴力を振るわれ、電車の中では痴漢と間違われ、安アパートの一室に帰れば隣のフィリピン人女性の部屋から聞こえる喘ぎ声に悩まされるという、日々これ不愉快な出来事の連続だ。そんな中、正男は店の常連である若い女にほのかな恋心を抱くのだが、彼にはさらなる逆境が待っていた。

 とにかく、一点の救いも無く主人公を追い込んでいく作者の外道ぶりには、呆れつつも感心してしまう。もっとも、正男自身も不幸を呼び込んでしまうような冴えないキャラクターではあるのだが、それでもこの容赦のなさは突出している。ひょっとしたら正男の日常が少しでも明るくなるのではないかというモチーフは散りばめられているが、そのすべてが暗転して裏切られる。

 さらに終盤にはトドメの一発とも言うべき悪意に満ちたハプニングが用意されており、ここまで振り切ってしまうのはアッパレだ。この映画はヨソから持ち込まれた企画ではなく、脚本はもちろん原案も三原自身だ。彼としてはブラックな部分を思いっきり吐き出してしまったという感じだろうが、表現者の持つ二面性が垣間見えて興味深い。

 主演は劇団“南河内万歳一座”の前田晃男だが、実に暗そうで作品のカラーにピッタリだ(笑)。山下さとみに桂雀三郎、前田一知、水谷純子、木下政治、前川優香、田中孝弥など、演劇畑と思われる面々は馴染みは無いが、全員が後ろ向きのオーラ全開でイイ味を出している。三原は本作で96年おおさか映画祭新人監督賞を獲得。劇場映画デビューを果たすきっかけとなった作品だ。
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「To Leslie トゥ・レスリー」

2023-07-17 06:15:08 | 映画の感想(英数)
 (原題:TO LESLIE )多分に“甘い”ところもある筋立てながら、最後まで惹き付けられたのは主人公の突出した造型と、絶妙な周囲のキャラクター配置、そして名人芸的な演出ゆえである。本国では単館上映から始まり、興行成績も大したことがなかった作品だが、この映画を“発掘゜して賞レースを賑わせるまでに押し上げた演技派俳優たちの慧眼を大いに認めたい。

 テキサス州西部の田舎町に住むシングルマザーのレスリーは、数年前に宝くじに当選して大金を手にするものの、その金はすべて酒代に消えて今ではホームレス同然の生活を送っている。とうの昔に家を出た息子のジェームズは、そんな母を見かねて昔の友人ナンシーとダッチのもとへ身を寄せるように手配するが、相変わらず酒を手放せない彼女は周囲とトラブルを起こすばかり。そんな中、レスリーは偶然スウィーニーというモーテルのマネージャーと知り合う。スウィーニーは彼女に仕事と住まいを与え、何とかカタギの生活を送れるように面倒を見る。



 ヒロインのキャラクター造型が絶妙だ。とことん自堕落なアルコール依存症の中年女だが、どこかピュアな部分を持ち合わせており、世間から完全に見捨てられるところまでは行っていない。特に、くだんのモーテルの敷地内にある、元はアイスクリームショップだった店舗の廃墟に執着するというモチーフは効果的。幼少の頃に、彼女はこの店のスイーツを食べている時が一番幸せだった。

 斯様に本当は人生に背を向けていないあたりが、スウィーニー及び(いずれも孤独を抱えている)その仲間たちと意気投合できた理由でもある。彼女が今まで周りの人間と衝突しながらも、不器用ながら確実にコミュニケーションを積み上げてきたことが、終盤の“怒濤の展開”に通じているのだろう。主演のアンドレア・ライズボローの存在感は圧倒的で、ひょっとして“地”ではないかと思うほどレスリーそのものにしか見えない。個人的には本年度の主演女優賞を進呈したいほどだ(笑)。

 オーウェン・ティーグにスティーブン・ルート、アンドレ・ロヨ、ジェームズ・ランドリー・ヘバート、マーク・マロン、そしてアリソン・ジャネイといった脇のキャストも絶妙で、皆地に足が付いたパフォーマンスを見せる。監督のマイケル・モリスはテレビドラマのディレクター出身とのことだが、達者な仕事ぶりだ。ラーキン・サイプルのカメラによる乾いたテキサスの荒野の描写も心に残る。
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「aftersun アフターサン」

2023-06-19 06:08:31 | 映画の感想(英数)

 (原題:AFTERSUN)心に染みる良作で、鑑賞後の味わいは格別だ。しかしながら、一般の観客の皆さんにとってはウケが悪いようで、中途退場者も目立った。まあ、ストーリーらしいストーリーは無い単なるホームビデオだと片付けられるエクステリアであるのは確かだが、実は骨太のドラマが内在しており、それを認識する前に席を立ってしまうのは損だと思う。

 90年代後半、ロンドンに住む11歳のソフィは31歳の父親のカラムと2人でトルコのリゾート地で夏休みを過ごす。カラムはすでに離婚しており、ソフィの親権は母親が獲得しているようだ。だからこの旅行は父子が一緒にいられる数少ない機会である。カラムが入手したビデオカメラは、この日々を記録する。

 予約していたホテルの部屋が事前の話と違っていたり、ソフィが居合わせた男の子たちと仲良くなったりという出来事はあるが、大きなトラブルも無くこの旅行は終わりを告げたように見えた。それから20年後、当時の父親と同じ年齢になったソフィはこのビデオを見直し、カラムとの思い出をたどる。

 ソフィは父親が若い頃に出来た子で、パッと見た感じは兄と妹のようだ(実際、旅行先で周囲からはそう思われたりする)。だが、あまりにも早く家庭を持ったカラムが、どうしてその後に妻と別れたのか、真相が垣間見えるようになるくだりは切ない。何事もなく過ぎていったひと夏のバカンスの裏に、カラムが抱えていた苦悩が見え隠れし、終盤にはソフィに内緒で“ある行動”を取るのだが、それが悲しい人間の性をあらわしていて強い印象を与える。

 成人になったソフィもまた、かつての父親と似たような屈託を持つようになる。ソフィにとってカラムとの一緒の時間はあの夏の日々で止まっていたはずが、長じて人生の壁に直面した時に、また彼女の中で動き出すのだ。だからこそ父の本当の姿を確かめるべくビデオ画面に対峙するのだが、映像が終わってもディスプレイを見つめ続ける彼女の姿は胸を突かれる。

 脚本も担当した監督のシャーロット・ウェルズはこれがデビュー作で、聞けば自伝的な作品とのことだが、それだけに映画の隅々にまで思い入れが漲っているような密度の高さを感じる。カラムに扮するポール・メスカルの演技は素晴らしく、この複雑な人物像を見事に体現化していた。まだ若手といえる年代なので、今後の活躍が期待できる。

 ソフィを演じるフランキー・コリオも達者な子役だ。オリバー・コーツによる音楽は悪くないが、それより劇中でソフィがカラオケで歌うR.E.Mの「ルージング・マイ・レリジョン」がインパクトが大きい。あのナンバーの歌詞が、この映画の登場人物たちの内面と絶妙にシンクロしていた。
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