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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「3つの鍵」

2022-10-22 06:16:13 | 映画の感想(英数)
 (原題:TRE PIANI )面白い部分もあるのだが、全体的にはピンと来ない。有り体に言えば、目的と手法がマッチしているようには思えないのだ。深く描きたいのならば登場人物と劇中経過時間を削るべきだし、群像劇に徹するには段取りが万全ではない。監督ナンニ・モレッティは今回初めて原作ものを手掛けたのだが、その点も影響しているのかもしれない。

 ローマの高級住宅地にあるアパートの3階に住むジョバンニとドーラの判事夫婦の息子アンドレアの運転する車が、ある晩近所で死亡事故を起こしてしまう。同じアパートの2階に住む妊娠中の主婦モニカは、ちょうどその時陣痛が始まってしまい、夫が出張中で不在のため一人で病院に向かう。1階に住むルーチョとサラの夫婦は、事情により一晩幼い娘を向かいの老夫婦に預けるが、その老夫は認知症気味で、娘と一緒に行方不明になってしまう。イスラエルの作家エシュコル・ネボによる小説の映画化だ。



 とある事件を切っ掛けにして高級アパートに住む人々の悩み多き人生を浮き彫りにしようとしたのだろうが、この仕掛けは上手くいっていない。そもそも、くだんの事故は犠牲者も出ている重大なものだ。よって、ドラマの中心は判事夫婦とそのバカ息子に据えるという筋書き以外は考えられず、他の住民のことは関知する必要は無い。どうしても話を集団劇に誘導したいのならば、交通事故などを導入部に持ってくるべきではない。もっと平易なモチーフを採用した方が良かった。

 それでも、個々のエピソードには興味を惹かれる部分はある。特にルーチョの迷走には苦笑してしまった。しかし、映画は各登場人物の戸惑いを無視するかのごとく、勝手に時制を数年単位で進めてしまい、何となく解決したような雰囲気を醸し出そうとしているのだから呆れる。ラストの処理など、御都合主義の最たるものだろう。

 モレッティの演出は原作を意識しすぎているのか切れ味に欠け、ここ一番の見せ場が存在しない。それでもマルゲリータ・ブイやリッカルド・スカマルチョ、アルバ・ロルバケル、アドリアーノ・ジャンニーニ、エレナ・リエッティ、アレッサンドロ・スペルドゥーティといったキャストは健闘しているし、ルーチョを翻弄する若い女シャルロットに扮するデニーズ・タントゥッキはすごく可愛い。そういった面では観る価値はあるのだろうが、作品としてはさほど評価出来ない。
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「LOVE LIFE」

2022-10-02 06:51:18 | 映画の感想(英数)
 今まで順調にキャリアを積み上げてきたはずの深田晃司監督だが、ここに来てまさかの失速。たぶん彼のフィルモグラフィの中では、下位にランクインさせるしかないレベルだ。少なくとも前作「本気のしるし」(2020年)に比べればかなり見劣りがする。第79回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品ながら、受賞に至らなかったのも仕方が無いだろう。

 小学生の息子の敬太を連れて会社員の大沢二郎と再婚した妙子は、彼の両親の了承は得られないまでも平穏な生活を送っていた。ところがある日、敬太が不慮の事故で命を落としてしまう。妙子は悲しみに沈むが、葬儀の日に失踪した前の夫であり敬太の父親でもあるパクが突然現れる。宿無しのパクのために成り行きで彼の世話をする妙子だが、一方の二郎は以前付き合っていた山崎理佐と密かに会っていた。矢野顕子が91年に発表したナンバー“LOVE LIFE”に触発されて深田が書き起こしたシナリオを元に、映画は作られている。

 妙子たちが住んでいるのは大規模団地の一室なのだが、実はその部屋は二郎の両親が以前住んでいたところで、その両親は別棟に居を構えている。団地自体は社宅のようで、日常でも職場関係者との交流があるようなのだが、妙子は教会の活動もしていて、関係者が家に出入りしている。二郎と理佐とは結婚寸前だったが、彼が選んだのは妙子の方だった。その理由は明示も暗示もされていない。斯様な無理筋で御都合主義的な設定を見せられただけで、鑑賞意欲は減退する。

 さらに映画が進むと、パクと妙子が一緒になった事情は何ら具体的に描かれず、彼が行方をくらました背景も謎のままだ。そして二郎との再婚を決意した原因も分からない。終盤近くになるとなぜか舞台がパクの故郷である韓国に飛び、それから意味不明の展開が延々と綴られる。そもそも、パクが聴覚障害者であるという造型も、為にするような御膳立てでしかない。

 クレジットを見て気付いたが、本作にはプロデューサーの名前が明記されていない。あるのは製作委員会の名称のみだ。つまりは製作側では責任を回避したいような姿勢が見受けられる。深田の要領得ない脚本を精査する主体が不在だったと思われても仕方が無い。主演の木村文乃は頑張っているが、このように表情を露わにしない役柄が合っているとは思えない。

 永山絢斗に砂田アトム、神野三鈴、田口トモロヲといった面子も印象が薄い。わずかに目立っていたのが理佐に扮した山崎紘菜で、東宝専属と思われた彼女が独立系の作品に出たのは比較的珍しいと思った。なお、肝心の矢野顕子の楽曲との関連性は明確には見受けられなかった。
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「NOPE/ノープ」

2022-09-19 06:22:21 | 映画の感想(英数)
 (原題:NOPE)ジョーダン・ピール監督はM・ナイト・シャマランの“後継者”になるのではないかと思った。しかし、出世作「シックス・センス」(99年)以外は芳しい結果を残せずにキワモノとしての評価が先行するようになったシャマランとは違い、最低限のエンタテインメント性を確保している点は、まあ認めて良いだろう。とはいえ、諸手を挙げて褒める余地はそれほど無い。

 ハリウッドから遠くない田舎町で広大な敷地の牧場を経営していたヘイウッド家の当主オーティスが、突然空から降り注いできた異物のために急死する。長男のOJは、父親が災難に遭う直前に雲の中から巨大な飛行物体が現れるのを目撃したと妹のエメラルドに話す。兄妹はその正体を突き止めようとするが、その間にも近くにあるテーマパークで入場客が多数行方不明になるなど、不穏な事件が頻発する。やがて脅威は、再びヘイウッド牧場に迫ってくる。



 単純なインベーダー物(?)と思わせて、これ見よがしで意味不明なモチーフを遠慮会釈無く挿入してくるあたりが、この作家の“個性”なのだろうか。テーマパークの経営者は元子役で有名な番組に出演していたこともあるのだが、撮影中に起きた悲惨な事件を切っ掛けに足を洗ったらしい。だが、それが本編にどうリンクしてくるのかというと、何も無いのだ。

 牧場では主に馬を飼っていて、撮影用にスタジオに貸し出したりするのだが、その際にOJが“映画史上初めて馬の映像が撮られた時は、黒人が調教師を務めていた”だの何だのというウンチクを披露するものの、“それがどうした”というレベルで片付けられる。兄妹がこの怪現象を駆逐することよりも、動画を撮影してネットでバズらせることを主目的にしているのも、何か違う気がする。

 斯様に御膳立てには不審な点はあるが、SF風ホラーとしてはそんなに出来は悪くない。くだんの飛行物体が潜んでいるらしい雲がまったく動かないというネタは効果的。終盤の畳み掛けるような展開も、一応は見せる。ただ、敵の造形の扱いにはもう少し工夫が必要だった(あまりにも荒唐無稽すぎる)。

 ダニエル・カルーヤにキキ・パーマー、ブランドン・ペレア、マイケル・ウィンコット、スティーヴン・ユァンといった顔ぶれには有名どころは見当たらないが(笑)、破綻の無い演技を披露してくれる。マイケル・エイブルズによる音楽も悪くない。
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「Zola ゾラ」

2022-09-18 06:21:59 | 映画の感想(英数)
 (原題:ZOLA)86分という短い尺ながら、恐ろしく長く感じられる。面白くも何ともない映画。断じてカネ取って劇場で見せるようなシロモノではない。ハッキリ言ってしまえば、途中退場しても少しも後悔しない内容だ。とはいえ、聞くところによると評論家筋にはウケが良いらしい。世の中、分からないものだ。

 2015年、デトロイトでストリッパーとウェイトレスを掛け持ちしているゾラは、ある日、働いているレストランにやってきた客ステファニとダンスという共通の話題を通して意気投合する。翌日、ゾラはステファニから“フロリダで良い稼ぎになるダンスの仕事がある”と誘われ、急な話に戸惑いながらも同行することになる。旅のメンバーはステファニの他に、彼女の恋人だという若い男デレクと、ガラの悪そうな中年男だ。そして現地に着いてみると、聞いた話とは違っていた。

 デトロイト在住の一般女性アザイア・“ゾラ”・キングがツイッターに投稿した文面を元に製作されたシャシンらしいが、本作の売り物はその“ツイッターの映画化”というアイデアのみである。もちろん、元ネタがどうであれ映画として面白ければ文句は無いのだが、これがまったくダメだ。

 ドラマの導入部は典型的な“巻き込まれ型サスペンス”の様相を呈しているが、実際にはサスペンスなんか少しも醸成されていない。ゾラがフロリダでやらされるのは、ステファニの売春の手引きである。ダンスの仕事ではないのは不当だが、別に命の危険にさらされることは無く、ゾラ自身が客を取らされることも無い。

 よく考えてみれば、ステファニがゾラを誘う理由なんか最初から存在しないし、デレクが同行する必然性も無い。やさぐれた連中ばかりが登場するにも関わらず、事件らしい事件も起こらないのだ。ジャニクザ・ブラボーなる監督の腕前はパッとせず、盛り上がりに欠けるシーンが漫然と続く。また、R18指定らしいセクシャルな場面やバイオレンス描写も存在しない。

 ゾラとステファニ、そしてその他のキャラクターすべて魅力に欠けるが、テイラー・ペイジにライリー・キーオ、ニコラス・ブラウンといったキャストも印象に残らない。設定だけならば、もう少しマトモなスタッフが関与すれば見どころのある作品に仕上げられるはずだ。製作方針の誤謬としか言いようがない。
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「PLAN 75」

2022-08-23 06:21:06 | 映画の感想(英数)
 本年度の日本映画を代表する問題作だ。奇を衒った題材のように見えて、普遍性の高いアプローチが成され、かなり説得力がある。我々を取り巻く社会的な病理を容赦なく描出し、暗鬱な行く手を指し示すと共に、わずかながらの“処方箋”をも用意する。このテイストは万人に受け入れられるものではないが、テーマの扱い方としては文句の付けようが無い。第75回カンヌ国際映画祭での好評も十分うなずける。

 少子高齢化対策として、75歳以上の者に“死ぬ権利”が法的に与えられるようになった近未来の日本。夫と死別して一人で暮らす78歳の角谷ミチは、ホテルの客室清掃員の仕事を高齢を理由に解雇されてしまう。新しい職は見つからず、住む場所も失いそうになった彼女は、この老人対象の安楽死制度である“プラン75”を申請することを決める。一方、役所の“プラン75”の窓口担当者である岡部ヒロムは、申し込みに来た男が長い間音信不通だった叔父の幸夫であったことに驚く。



 国家権力による人命収奪を描いたディストピア映画としては、過去にリチャード・フライシャー監督の「ソイレント・グリーン」(73年)や瀧本智行監督の「イキガミ」(2008年)などがあるが、本作の深刻度はそれらの比ではない。とにかく、舞台設定のリアリティが際立っている。

 冒頭、老人養護施設での大量殺人事件が映し出されるが、これは“プラン75”成立の要因の一つとして扱われる。かなり図式的な御膳立てのように思えるが、これが思いの外効果的なのは、現実を照射しているからである。本作での少子高齢化対策は名ばかりで、内実は排他的な優生思想だ。生産性のない老人(及びハンデを持つ者たち)は生きる価値は無いので世の中から退場してほしいという、身も蓋もない欲求が国家のお墨付きを得て大手を振って罷り通るこの映画の構図は、いつ現実化してもおかしくはない。

 国民の分断化が進み、皆が“今だけ金だけ自分だけ”というだらしのないエゴイズムに走り、他人のことや世の中のことをまったく顧みない。それどころか、的外れな自己責任万能主義が持て囃される始末。おそらく、この“プラン75”の法案が実際に提出されれば、賛同する国民は大勢いるだろう。

 映画はミチとヒロム、そしてミチの相手をするコールセンタースタッフの瑶子、フィリピンから出稼ぎに来ているマリアという、4人のパーソナリティを並行して描くが、終盤を除いて互いにエピソードが交わることは無い。だが、それぞれのフェーズで彼らが直面する問題を通し、多角的に真相を切り取ることにおいては大いに成果を上げている。

 本来は希望者のみに適用される“プラン75”は、いつの間にか強制的なものになり、さらには基準年齢の引き下げまで取り沙汰されるようになる。“プラン75”に付随する関連業務は早々に“民営化”され、在日外国人などの労働者が搾取されるシステムが出来上がる。いずれも現実のトレンドを反映しているようで、迫真性が際立っている。

 これが長編デビュー作となる早川千絵の演出は、外連味を極力抑えた正攻法のもの。素材がセンセーショナルなものだけに、この姿勢はうれしい。ミチに倍賞千恵子が扮しているのは感慨深く、刻まれた皺も隠さずに堂々とした演技を見せている。磯村勇斗にステファニー・アリアン、大方斐紗子、串田和美といった脇の面子も万全。ただし瑶子役の河合優実はイマイチで、大して実力もないのに仕事が次々に入るのは解せない。浦田秀穂の撮影とレミ・ブバルの音楽も及第点だ。

 ラストの扱いは賛否両論あるだろうが、事態を絶望視していない作者の良心の発露と受け取りたい。幅広い層に観てもらいたい作品だ。
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「FLEE フリー」

2022-07-03 06:53:39 | 映画の感想(英数)
 (原題:FLEE)当初、限りなくドキュメンタリーに近い実録ドラマをアニメーションに仕立てる意味があるのかと思ったのだが、実際観てみるとかなり効果的であることに驚かされた。もしも俳優を起用しての実写版で製作されたならば、確かに見た目のリアリティは増すが、結局はそのヴィジュアルの世界観を超えることは難しい。アニメーションによる素材の抽象化が、ここでは大きくモノを言っている。

 アフガニスタンのカブールでそれなりに幸せな少年時代を送っていたアミンは、政情不安により父が当局に連行されてから、家族ともども逆境に追いやられる。一家は国外脱出を図るが、最初のチャレンジは失敗に終わる。万難を排しての二回目は何とか成功し、モスクワにたどり着く。しかしそこは異邦人は偏見と差別にさらされ、彼らにとって定住すべき土地ではなかった。アミンたちはさらなる亡命を求めて、危険なミッションに臨む。



 映画は一人でデンマークまで逃げ延びたアミンが、30歳代半ばになり安定した生活を手に入れた後、同性の恋人に辛い過去を告白するという形式で進む。彼の半生は筆舌に尽くしがたいほどハードなものだ。今まで生き延びられたのは、まさに奇跡である。家族とは離ればなれになってしまったが、とりあえずは皆無事だ。

 これを波瀾万丈の大河ドラマ仕立てにすることは、予算があれば可能だったろう。しかし、本作のようなアニメーション、しかも作画は単純化され動きも決して滑らかではない映像で表現されると、観る者の想像力によっていくらでも物語の奥行きは大きくなる。もちろん、それには作者の力量が伴うことが不可欠だが、監督のヨナス・ポヘール・ラスムセンはストーリーのエッセンスを抽出して、それ以外のモチーフを削ぎ落とすことによって求心力を高めることに腐心している。

 また、アミンとその家族の旅は悲惨ではあるが、エンタテインメント性は決して低くはない。辛酸を嘗めたロシアでの境遇から、いかにして脱出するか。先の読めない展開はスリリングで目を離せない。さらに、アミンの同性愛者としての悩みと将来に対する不安も、十分にすくい上げられている。尺は89分と短いが、充実感は大きい。

 第94回米アカデミー賞において、国際長編映画賞と長編ドキュメンタリー映画賞、そして長編アニメーション映画賞の3部門の候補になった。他にもアヌシー国際アニメーション映画祭における大賞獲得など各種アワードに輝いているが、それも頷けるほどの出来映えである。
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「TITANE チタン」

2022-05-29 06:56:51 | 映画の感想(英数)
 (原題:TITANE)まさに超弩級の“変態映画”で、このようなシャシンに大賞をくれてやった第74回カンヌ国際映画祭の審査委員たちには、精一杯の罵声と拍手を送りたい(笑)。とにかく、絶対に人に奨められない内容ながら、醸し出される何とも言えない恍惚感と吸引力には呆れるばかり。本年度屈指の問題作だ。

 主人公のアレクシアは幼い頃から自動車に強い興味を持っていたが、ある日交通事故に遭って治療のため頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれてしまう。それを機に彼女の車への偏愛はますます昂進していき、成長してからは自動車ショーのコンパニオンを務める傍ら、言い寄ってくる者たちを容赦なく惨殺する犯罪者になる。指名手配されて行き場を失ったアレクシアは、10年前に子供が行方不明となり、現在はひとり孤独に暮らしている消防士のヴァンサンの息子に成りすまし、2人で共同生活を始めるのだった。



 ヒロインがどうして車に執着するようになったのか、それについての説明は一切なし。彼女がどうしてヴァンサンに対して殺意を抱かないのか、それも分からない。そもそも、彼女が“あり得ない妊娠”をしていること自体、奇想の極みだ。しかし、このように屋上屋を架すがごとくデタラメを連発する本作には、通常の因果律を吹き飛ばしてしまうほどのパワーがある。

 アレクシアは狂気に陥っているが、ヴァンサンも立派な変態オヤジだ。この尋常ならざる2人のコラボレーションを見ていると、変態を突き詰めれば何か別の次元に到達するのではないかという、作者の何かに取り付かれたような偏執ぶりが窺われ、映画的興趣は増すばかり。加えて、主演のアガト・ルセルの、まるでイッちゃったような目つきと振る舞いは、凶暴なエロティシズムを画面いっぱいに発散させ圧巻。対するヴァンサン・ランドンのむっつりスケベぶりも捨てがたい(笑)。

 脚本も担当したジュリア・デュクルノーの演出は程度を知らない暴力描写と、閉塞的な空間の創出に卓越したものを感じる。おそらくはデイヴィッド・クローネンバーグ監督の「クラッシュ」(96年)との共通性を見出す観客も多いだろうが、あっちは自動車事故により性的に興奮する変態どもを描いていたのに対し、こちらは車そのものを性行為の対象にするという、別の面からの変質者的アプローチが光っている。ルーベン・インペンスによる撮影は画面に陰影を与えているし、ジム・ウィリアムズの音楽がこれまた変態的で聴き応えたっぷりだ。
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「THE BATMAN ザ・バットマン」

2022-04-10 06:16:59 | 映画の感想(英数)
 (原題:THE BATMAN)バットマンが出てくる映画を全部観ているわけではないが、今までは感心するような出来の作品はひとつも無かった。だから本作もさほど期待せずに接したのだが、意外にも面白い。約3時間もの尺を、まったくダレることなく見せきっている。これはひとえに、脚本のクォリティに尽きる。ヒーロー物だろうが何だろうが、話の辻褄を合わせることの重要性は、ジャンルに関係なく映画にとって普遍的な命題であることを改めて実感した。

 両親を殺された過去を持つブルース・ウェインが、バットマンとしてゴッサム・シティに蔓延る社会悪に立ち向かうことを決心して間もない頃の話で、今回の相手は権力者を標的とした連続殺人事件を起こしている怪人リドラーだ。狡猾な知能犯であるリドラーは、犯行現場に必ず“なぞなぞ”を残す。それは単なる挑発ではなく、犯行の背景にあるゴッサム市の暗部をも照射している。ブルースはそれに対峙すると同時に、亡き父と市の幹部らが関与していた重大な過失と犯罪を見せつけられるハメになる。



 とにかく、バットマンが警察と共に犯行現場に赴き、検証までやるという設定には驚くしかない。また刑務所や拘置所にも足を運んで容疑者から聞き取りをおこない、事件の内実を推理するという段取りにもびっくりだ。つまりはこの映画、理詰めに展開するのである。もちろん、プロットの組み立て方には本格ミステリー映画に比べれば少し甘いかもしれないが、今までのバットマン映画みたいに主人公が俺様主義で“無理を通せば道理が引っ込む”とばかりに実力行使に及ぶ筋書きとは、完全に趣を異にしている。

 そして本作におけるブルースは若く、正攻法で事を収めようとしている姿勢を崩さないのも大きい。スーパーヒーローではなく、まるで探偵のような役回りだ。もちろん、このシリーズらしい派手なアクション描写は健在で、怪人ペンギンとのカーチェイスや、ラスト近くの賑々しい銃撃戦などはけっこう盛り上がる。

 しかし、キャットウーマンことセリーナ・カイルとの出会いや、マフィアのボスであるカーマイン・ファルコーネの扱いなど、主人公を取り巻く人間関係は丁寧に綴られており、ドラマが大味になるのを巧みに回避しているのは評価して良い。マット・リーヴスの演出はテンポが良く、バットマンの知名度(?)に寄りかかること無く、マジメにストーリーを追っているのは好印象。

 主演のロバート・パティンソンは歴代のバットマン役者の中でも随一の二枚目で、これは彼の新たなキャリアになりそうだ。ゾーイ・クラヴィッツ(ミュージシャンのレニー・クラヴィッツの娘であることを最近知った)やジェフリー・ライト、ポール・ダノ、コリン・ファレル、ジョン・タトゥーロなどの面子もサマになっている。次回は終盤で存在が暗示されたジョーカーとの対決になると思うが、評判が良ければ観るつもりである。
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「GAGARINE ガガーリン」

2022-04-08 06:23:46 | 映画の感想(英数)
 (原題:GAGARINE)面白く観た。とはいえ、誰もが楽しめる映画ではない。若い頃に団地に住んでいた者ならば、この作品の世界観は納得できるだろう。対して、団地住まいに縁の無い者は、単なる珍妙なシャシンとしか思わないかもしれない。ちなみに私は、子供の頃から十代半ばまで団地住まいだったし、社会人になってからも何年か住んだことがある。だから本作の雰囲気は、強く印象に残るのだ。

 パリ近郊にある大規模公営住宅“ガガーリン”は、ソ連の宇宙飛行士にちなんで名付けられた。竣工時はガガーリン自身も訪れたほどだが、老朽化と2024年のパリ五輪のため、解体が決まる。この団地で育った16歳のユーリは、ガガーリンと同じ名前を持つこともあり、宇宙飛行士を夢見ていた。



 しかしすでにユーリの父親はおらず、自分を置いていった母は帰ってくる気配は無い。住人たちの退去が進む中、彼は思い出がたくさん詰まったこの団地に最後まで居座ることを決める。そして親友のフサームやガールフレンドのディアナと共に、取り壊しに抵抗するのだった。2019年まで実在した共同住宅を題材にした一作である。

 団地は、いわゆるマンションとは違う。各世帯を隔てる(心理的な)塀が、かなり低い。入居者同士はたいてい知り合いで、広い中庭は絶好の社交場になる。ユーリは母親と同じように、団地の住民たちにも育てられてきたのだ。ただし、言い換えれば彼にとって団地こそが世界のすべてであり、それが無くなることはアイデンティティーの喪失に繋がる。だからこそ必死の行動に打って出るのだ。

 ユーリは団地の内部を宇宙船のように改造し、植物を育てながら籠城するのだが、それ自体は愚かな行為のように見えて、実は捨て身の自己表現である点が切ない。また、フサームやディアナとの触れ合いは、甘酸っぱい青春映画の輝きを見せて心地良い。そしてクライマックスは、いきなり「2001年宇宙の旅」モード(?)に突入する終盤だ。映像の喚起力と、主人公の尽きせぬ想いとが交錯する傑出したシークエンスである。

 監督のファニー・リアタールとジェレミー・トルイユはこれがデビュー作ということだが、ドラマの根幹を押さえた上でのファンタジーの展開に卓越した手腕を感じさせる。主演のアルセニ・バティリはナイーヴな好演。ディアナに扮したリナ・クードリは「パピチャ 未来へのランウェイ」(2019年)に続いて今回も魅力を振りまいている。ヴィクトル・セガンによる撮影も万全。そしてユーリと行動を共にする野良犬が“ライカ”と呼ばれるのには泣けてくる。言うまでもなく、宇宙船スプートニク2号に乗せられた犬の名前だ。
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「RONIN」

2022-03-25 06:10:05 | 映画の感想(英数)
 (原題:RONIN )98年作品。活劇映画の名手ジョン・フランケンハイマーの監督作にしては、大して気勢が上がらない。キャラクター設定や風光明媚なロケ地の選定、そして豪華な配役を達成しただけで送り手が満足してしまったようなシャシンだ。とはいえ、けっこうレトロな雰囲気と、出ている面子の存在感は捨てがたい。

 冷戦終結直後のパリ。謎めいた女ディアドラのもとに、サム、ヴィンセント、スペンス、グレゴール、ラリーといった、いずれも国家や組織から逸脱した一匹狼のプロたちが集められる。任務は、ある男から銀色のケースを奪うことである。南仏ニースに移動した一同は綿密な計画のもとにケースの奪取には成功するが、メンバーの一人が早々に裏切り、ケースを横取りして別のシンジケートに売り飛ばそうとする。サムとヴィンセントはそれを阻止しようとするものの、突如としてIRAのエージェントたちが乱入。何とか逃れた2人だが、事の真相とケースの在り処を求めてパリに舞い戻り、最後の戦いに挑む。



 若干ネタバレするようで恐縮だが、銀色のケースの中身は何なのか、結局何も分からない。5人のメンバーの経歴や、どうして国家や組織から抜け出したのかも説明されていない。ディアドラの正体は判明せず、IRAが関与する理由も不明。要するに、主なプロットが回収されないままエンドマークを迎えるわけで、これではドラマの体を成していない。また、真相が解明されないことによる作劇上の効果も狙っているようには見えない。これでは不出来と評価されても仕方がないだろう。

 ただし、フランスの街並みをバックに展開されるカーチェイスだけは見応えがある。かなり長いシークエンスなのだが、緊張感が途切れずに見せ切っているあたり、かろうじてフランケンハイマー御大の実力が認められる。さらには、昔懐かしいスパイ映画の佇まいを醸し出しているあたりも、手練れの映画ファンにとっては喜ばしい点だ。

 主演はロバート・デ・ニーロとジャン・レノだが、この2人がスクリーンの真ん中に陣取ると、何となく安心できる(笑)。ナターシャ・マケルホーンにステラン・スカルスガルド、ショーン・ビーン、ジョナサン・プライスなど、他の配役も豪華。それから、元フィギュア・スケートの女王であるカタリナ・ヴィットが顔を見せているのも興味深い。
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