多品治・・・一体、何のことやら?
修士論文の納期が切羽つまりつつある現状にもかかわらず、早朝より歴史書を紐解く。その中で、とある一文に遭遇した。
>太安萬侶は、壬申の乱での功臣多臣品治の子である。
古事記で有名な太安萬侶(おおのやすまろ)は多品治(おおのほんじ)の子というのだ。「太」は「多」とも書かれる。多品治は「臣」であったが、後に「朝臣」になったとされる。
日本史が好きといいつつ、「多品治」は知らなかった・・・ついでに、「八色の姓」も調べなおしたが、「真人」「朝臣」「宿禰」「忌寸」「道師」「臣」「連」「稲置」の八つというのもすっかり忘れていた。
「八色の姓」って読めます?無論、歴史をかじってれば読めるのだが、これが意外と難しいのかもしれない。
「真人」・・・まひと
「朝臣」・・・あそみ
「宿禰」・・・すくね
「忌寸」・・・いみき
「道師」・・・みちのし
「臣」・・・おみ
「連」・・・むらじ
「稲置」・・・いなぎ
というか、そもそも、日本史ではなく、地理や世界史をやっている人には「八色の姓」の読みも難読かもしれない。「やくさのかばね」である。
3時ごろ読んでいた万葉集関連の本には、大伴家持の妻の名前が「大伴坂上大嬢」とあった。「おおとものさかのうえのおおおとめ」と読むそうだ。そして、その「大伴坂上大嬢」の母親が「坂上郎女」である。「さかのうえのいらつめ」は有名である。「大嬢」が「おおおとめ」と呼ぶのに関連して「二嬢」は「おとおとめ」と読むそうな。
その中に、大伴家持の弟の名前が出てくるのだが、ご存知ですか?
↓
なんと、「大伴書持」だそうです・・・読めます?
↓
「おおとものふみもち」でした。
修士論文の納期が切羽つまりつつある現状にもかかわらず、早朝より歴史書を紐解く。その中で、とある一文に遭遇した。
>太安萬侶は、壬申の乱での功臣多臣品治の子である。
古事記で有名な太安萬侶(おおのやすまろ)は多品治(おおのほんじ)の子というのだ。「太」は「多」とも書かれる。多品治は「臣」であったが、後に「朝臣」になったとされる。
日本史が好きといいつつ、「多品治」は知らなかった・・・ついでに、「八色の姓」も調べなおしたが、「真人」「朝臣」「宿禰」「忌寸」「道師」「臣」「連」「稲置」の八つというのもすっかり忘れていた。
「八色の姓」って読めます?無論、歴史をかじってれば読めるのだが、これが意外と難しいのかもしれない。
「真人」・・・まひと
「朝臣」・・・あそみ
「宿禰」・・・すくね
「忌寸」・・・いみき
「道師」・・・みちのし
「臣」・・・おみ
「連」・・・むらじ
「稲置」・・・いなぎ
というか、そもそも、日本史ではなく、地理や世界史をやっている人には「八色の姓」の読みも難読かもしれない。「やくさのかばね」である。
3時ごろ読んでいた万葉集関連の本には、大伴家持の妻の名前が「大伴坂上大嬢」とあった。「おおとものさかのうえのおおおとめ」と読むそうだ。そして、その「大伴坂上大嬢」の母親が「坂上郎女」である。「さかのうえのいらつめ」は有名である。「大嬢」が「おおおとめ」と呼ぶのに関連して「二嬢」は「おとおとめ」と読むそうな。
その中に、大伴家持の弟の名前が出てくるのだが、ご存知ですか?
↓
なんと、「大伴書持」だそうです・・・読めます?
↓
「おおとものふみもち」でした。