生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

人生論

2007年06月30日 06時20分03秒 | 生涯学習
レポートを書くといったのに、なかなか、手につかない・・・

コーヒーを入れて、新聞でも読んでから書こうかと思っていると、新聞の日付は、早、6月30日!月日がたつのは早いもので、今年も折り返し点に来てしまった・・・

折り返し点は月日だけではない。私は今年40歳になる。人生においてもターニングポイントである。無論、80歳まで生きられればの話だが。

常々言っていることだが、私の持論は、「自分に与えられた時間を成果物に変換していくことが人生」というものである。それは、資格や学位でもあれば、家族との貴重な思い出かもしれない。仕事の成功であったり、楽しい旅行でもある。

人生をたな卸ししたときに、「あの時、××をやりました!」といえるものが成果物である。「ビールの王冠集め」だって、自分さえ納得すれば、すばらしい成果物だといえる。

ただ、一度しかない人生の、貴重な時間を投下するのであるから、できれば、汎用性のある成果物の方が、成果に基づいた処遇を受ける可能性が高くなる。評価の基準が確立しているからだ。

逆に「コイン集め」等、趣味の世界をストレス発散等に考えるならよいが、人生の成果物として自己満足に浸っていると傍目で見て辛い。何故なら、50年かけて集めた成果物が、マーケットに存在しているから。お金さえ出せば、誰でも、即、同じレベルに到達できる成果物は、そのレベルにしか評価されない。

折角、貴重な時間を投下するのであれば、時間をかけないと手に入らないような成果物を目指してほしい。そのような、成果物は簡単に代替されないから。そして、代替の困難さが、評価につながるものと思っている。

「汎用性のある成果物」を薦めておきながら、代替困難なスキルまで到達すれば、オンリーワン戦略的にもすばらしいんだろうな。まさに、人間国宝的なスキル。無論、国家に認定してもらう必要もなく、「××の分野のオーソリティ」なんていわれると、人生をかけてきた価値があるってもんでしょう。でも、リスク高いし、人生のすべてを賭けて、それなりの成果がでなかった時が怖いけど・・・

私の場合、人生がわからないので、徒手空拳で、今、できることを、手探りでやっているだけ。自分の適性が、いまだにわからないし、何をしたいのかが不明である。高い地位を望んでいる訳でもないし、転職して給与を上げたい訳でもない。

ただ、このままだといけないという、「直感」が、私を生涯学習に駆り立てる。

書いててふと思い出した。昔、銀行の面接で「将来何(話の流れから役職をさしていた)になりたいか」と聞かれて「頭取」でもなく、「支店長」でもなく、私は「策士になりたい」と答えてしまった。面接官はビックリしていた。

尊敬する人の欄に「諸葛亮孔明」と書くぐらいだから、まあ、よかろう。孫臏でもよかったが、当時は、三国志がはやっていたから。

「策士策に溺れる」のごとく、2つめの支店において提起した私の献策は、煙たがられ、その後、流刑に処せられた。当時、書いたものを上京する際、思い切って廃棄したが、今なら通用するような、かなり、すごい献策が目白押しであった。

ただし、それだけに、当時の銀行の考え方からすると、異端この上なかった・・・

15年間の銀行と今の銀行の変化した部分を抽出すれば、当時、私が支店長に上げた献策にかなり一致すると思う。人事制度、コンプライアンス、情報管理、事務管理、メンタルヘルス、ポータブルキャリア等々。

当時の銀行員にはできなかった発想だ。当時の支店長が、こころある人であれば、ひょっとしたら、私の勤務している銀行は、大きくかわっていたかもしれない。

でも・・・考えることができても、実現されなければ、それは、なんら、成果にはならない。実現させる能力も、当時の私には必要だった・・・

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