昨日、普段と比べてアクセス件数が増えていると感じ、アクセス解析で確認すると、540件が武蔵野大学大学院のカテゴリーへのアクセスでした。
調べてみると、もう、武蔵野大学大学院の募集要項がでているのですね。第1回出願まで、もう1ヶ月を切っています。そういう時期に鈍感になっているということは、一般人に近づいている証拠なのでしょう。あるいは、名古屋での生活の方が波乱過ぎて、大学院研究が疎かになっているのかもしれません。
今はどうだか知りませんが、この前までは、武蔵野大学大学院通教の、人間学研究科の「人間学専攻」と「仏教学専攻」の2つの専攻を修了した唯一の存在でした。まあ、そんな「モノ好き」は稀なので、これからも唯一の存在となり続けることでしょう。
やってみて思うのは、やはりこの2つの専攻は全く別物と言ってよいこと。重複する科目は多いものの、仏教学専攻の時は、仏教を中心に学びましたから。
人間学専攻の時は、とーま先生とかゆずさんとか年は違えど、「同期」の方々がいらっしゃったので、その分、励みがありましたが、仏教学専攻の時は、同期は1桁と少ない上、「SCなしでの修了が可能か?」という実験をやっていたため、知人がおらず孤独な闘いでした。
もし、武蔵野大学大学院を目指している方のアクセスによって、件数が増えているのなら、そういった方々が、私やとーま先生、あるいはゆずさんの後輩になってくださばと願っております。「同期」かつ「人生の先輩」方の事例を取り上げるまでもなく、2年で修了する学生もそれなりにいますし、私が仏教学専攻でやったように「SC抜き」で大学院を修了することも可能です。無論、ルール的には「大学への登校ゼロ」では修了できませんが。
修士の学位を得るためだけなら、学費的にも安価な大学院の一つと言えます。SCが必須ではないので、地方の方も学修しやすい大学院です。いわば、「経済的制約」や「地理的制約」を超越した大学院なのです。また、通信制大学院なので「時間的制約」についても、かなり自由度が高いと言えます。
ただ、その自由度が高いことが、本学の一番の弱点でもあるのです。チャンスはピンチというか、自由すぎて自分自身で学修を自律できないと、結局、何もできなかったということになってしまうのです。逆に、通学制の大学院で強制的に学ぶ方が確実に修了できるという人もいるでしょう。本学の仕組みというか、システムというか、スキームを理解していないと、本当に、学位のためだけの、上辺の学びに終始してしまうこととなってしまいます。
無論、学位は大切だし、学修を終えた「免状」という意味でも一つの形といえます。ただ、そんな紙切れだけを目指す学習に特化してしまったら、それこそ、ディグリーミルと大差ないこととなってしまいます。そりゃ、正直、最初に修士の学位を得た時は、その「紙切れ」が本当にうれしかったし、その「紙切れ」こそが「学びの証」と舞い上がっていたこともありました。しかし、学修という裏付けがなければ、やはり、学位記は紙切れであり、私の学位記の重みと、他者の学位記の重みは、物質的価値は全く同価値のものであったとしても、その学びの重みからすれば、まったく違った結果となるわけです。
特に、通信制大学院の場合、自分自身の学びへの取組姿勢が、学修結果を左右するだけに、己のやる気次第で成果が雲泥の差となるわけです。要は、モチベーションをどのように維持するか?それが最大の問題であり、最難関の課題なのです。いい先生がそろっているのに、その先生方を使いこなすことができない学生が多すぎる・・・というか、先生方の求める水準に達しようと努力することを、何故か惜しんでしまうらしく。。。素直に、スタディガイドを紐解き、参考文献を読み、指示の通りのレポートを提出し、期限までにレポートを出すだけなのに、それができない。まあ、参考文献読破は最低レベルで、プラスアルファの文献を漁る必要はあると個人的には思っていますが。
何はともあれ、学びに貪欲な方々が続いてくださるとうれしいですね!
ブログ内でご紹介いただき、感謝申し上げます。
そろそろ復活しようかと、密かに企んでおりますが(^_^)。
それはそうと、とーま先生の復活楽しみにしております。
ただ、放送大学大学院の単位習得試験のレベルを、大学院の学習レベルと考えると、そのギャップに悩まされることとなります。修士選科生で単位が取れても、そのレベルは学部レベルと大差なく、私の学修履歴からすると、科目によっては、自由が丘産能短大の方が難易度は高いです。
一方、修士全科生は、当たりはずれのギャップが大きいのが特徴。大学レベルの人が簡単に修士になれる反面、博士取得者でも2次試験で落とされてしまう逆転現象が見られます。
やはり、定員が500人と多すぎて、試験官が複数となり、レベルの調整ができないことが要因です。無論、プログラム間の競争率の差もあるかもしれませんが、得てして大学院とはそういうものです。
このブログで何度も書いていますが、レベルの低いテーマは当然不合格ですが、立派すぎるテーマも、残念ながら落とされます。2年じゃとても結実しないからです。指導できる先生に目途がつかない場合も落とされます。指導できないからです。
逆に、放送大学大学院は年齢で落とされることはないと思っています。なんせ、全国の大学院(正科生)のうち、60歳以上の方の30%以上が放送大学大学院で学んでいるのですから。70歳を超える人もいますし、そもそも、学生の約1/4が60歳以上です。
どのような研究テーマか知らいないので、迂闊なことはいえませんが、常人には難しすぎる研究テーマだったのでは・・・と感じています。勿体ないので、学習センター等で学習相談にのってもらえないものですかね?