生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

学ばないことに対する恐怖心

2009年06月21日 04時23分03秒 | 生涯学習
久々に熱くなって、コメントに1,000字近く費やしてしまった。

もし、今、東京ではなく、地方に住んでいたら、本当に学習していただろうか・・・という思いである。事実、奈良に住んでいたときは、資格ばかり取得して、大学といった教育機関では学習していなかった。

されど、その資格取得自体、学習であり、本格的に大学通信教育に身を投じるまでは、一般の通信教育を経験した。今、数えたら、ビジネス・キャリアだけでも通信講座のテキストが64冊あったから、100講座は下らない。

そもそも、産能大学に入ったきっかけが、「20年前に産業能率短期大学に在籍していたこと」「東京に転勤になったこと」「通信教育にかなりの自己資金を投下していたこと」の3点であり、大学ではなかったが、読書と通教は昔からやっていたのである。

それにしても、20年前、大阪に在住なのに、産業能率短期大学の科目履修生だったのは、偶然としかいいようがない。これが、生涯学習の縁というものであろう。

さて、このように、やってきたことを振り返ると、相応に学習してきたつもりであるが、ならもう十分学んだので、学習を終わりにできるかといえば、それはムリである。

なんせ、何かしら学んでいないと「バカ」あるいは「アホ」になってしまうという恐怖心があるからである。

関西では「アホ」は褒め言葉であるため、「バカ」「アホ」と並列に書いたが、常に「知識」というガソリンを補充し続けないと、いずれ、人間の成長は止まってしまうと怯えている。

普段、学ばなくても生きていけるのは、過去に学習したガソリンを消費するとともに、日常生活の惰性である程度、やっていけるからである。しかし、そのような形で生活を続けると、いずれ、己の保有する知識やスキルは陳腐化し、仕事の中で取得した「ノウハウ」や「対応力」だけで世渡りをする人間になってしまう。

それでも、器用な人はうまくやっていけるのだが、私のように、生き方が不器用な人間は、学習し続けて、常に新しい知識を吸収しておかないと、使いものにならないわけだ。

そう、私は「社畜になりたくない」から、学んでいるといっていいかもしれない。「社畜」という言葉はなんとなくきつい言葉であるが、要は、上司の言ったことに対して、何も考えず、全て「YES」というような人間に成り下がるなということである。

「YES、NOをはっきり言えるだけの知識、能力、スキル等を身につける」

「YES」というのは簡単だが、「NO」というのは、その理由を証明しなければならない。これは結構難しいことなのだ。理由なく、「NO」というのはただの「駄々っ子」である。とはいえ、自分が間違っていると確信していることを「YES」というのは、会社にとってもマイナスであり、それをそのまま「YES」としてやってしまうのは、会社に対する「裏切り行為」であり「逆臣」といわれても仕方がない。

自分に自信を持つために、何かしら学び続ける。学ばずに、陳腐化した過去の知識を大上段に振りかざすのは、滑稽であり、それこそ「アホ」「バカ」と罵られる悪行である。

昨日学んだことが、今日も正しいとは限らない。それだけ、急速に時代は変化してきている。その陳腐化した知識で生きていくことが、私にとって、どれだけ恐ろしいことか。ましてや、部下や、第三者に誤ったまま伝えてしまうことがどれほど重大な責任になるか。

無論、学習することで学位が取得できたり、人脈ができたり、新しい未来が拓けるといった効果もある。しかし、それ以前に、知らないことを学ぶこと、自己の誤った知識の修正をかけること、自分がいかに無知であるかを思い知ることの方が、先に出てくるテーマである。

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