生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

では、何で評価するか?

2009年11月04日 21時30分34秒 | 生涯学習
「学歴社会」は弊害であるとされる。

「資格等証明書」も「学歴」を「資格」や「証明書」に形を変えただけで、問題をすりかえているだけという主張がある。

では、何が「能力を測定する評価」の対象となるのか?日本において、社会人が学習しない、あるいは学習しても評価されない体制を構築したのは「評価システムがない点」ではないだろうか?

資格を取得しても、入社後学歴を更新しても、日本にはその努力に報いるシステムが存在しない。少なくとも私の周りには、「ジャンピングチャ~ンス!」てな感じの企業はない。だから、誰も生涯学習に貴重な時間を投下しようと思わない。逆に、社会人大学院生になったら「変人」だと思われるし、上司からは「家族を大切にしろ」とか「仕事を熱心にしろ」とか言われる始末。資格を取得すれば、これまた「資格マニア」として叩かれてしまう・・・

私は学歴社会は悪いとは思わない。むしろ、学習したことが報われる学歴社会なら大歓迎である。

学歴社会が悪いのではない。「日本型学歴社会」が弊害なのだ。「入社時の学歴のみ」に固執するのは学歴社会ではない。日本の悪しき伝統社会である。そこには、入社後に取得した学位は報われない、いわば、敗者復活を許さない社会が弊害なのだと思っている。

学歴社会や資格等証明書社会を否定する人は、一体、何を評価の尺度としようとしているのだろうか・・・岡本薫氏は「行政関係者のための新版入門・生涯学習政策」の中で、次のように述べている。

>「資格が能力や学修成果を正しく反映しており、多くの能力について資格が
>用意され、資格は人格の評価に影響せず、資格取得自体が極めて多くの人々
>の目的となることはない」という状況を作ればいいのではないでしょうか。

そして、岡本氏は「学歴(表示)を世の中からなくせばいい」と言う考え方についても疑問を持っておられます。

私の周りには、社会人になってから短大・大学・大学院に進学した方々が多数いらっしゃいます。その努力は、非常に尊いもので、正当に評価されるべきものだと思っています。

努力したことが報われる社会・・・そういう考え方が当然になったときこそ、社会人が生涯学習に努力するようになるのではないでしょうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログを続けて1900日!

2009年11月04日 06時12分25秒 | その他
なんと、昨日でブログをスタートしてから1900日が経過したそうです。

100万アクセスにも到達したので、次の目標は「2000日」ってところでしょうか。

今後とも、よろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする