Weblog喫茶 モンブラン

日常のあれこれをのんびり綴っています

9年前のあの日・・・

2005-06-11 00:25:58 | しゅんけいツインズ

モンブランご来店の皆様、こんばんは。
昨日も書きましたが、ぱぴりおがお父さんの49日で島根の実家に今日から帰っていて、今夜から日曜日の朝までは一人で淋しいヴィシアです。
けいけいが「僕たちがいるじゃない」となぐさめてくれました。
ほんとは君たちがいる方が、おかーさんは手がかかって大変なんだけど・・・でもありがとう、けいけい。

さて、昨日バースデーケーキを食べたりしましたが、しゅんけいの誕生日は本当は今日です。
「僕たちは何時に生まれたの?」と聞かれたので、そういえば夕方だったよなぁ・・・と思い返しつつ、久しぶりに母子手帳を探し出してみると、しゅんしゅんは午後6時14分、けいけいは午後6時22分に生まれています。分娩所要時間は約10時間でした。
せっかくなので家の時計でその時刻を撮影してみました。
トップ画像はしゅんしゅんの誕生時刻です。

こうして母子手帳の「出産の記録」欄を見ていると、9年前のあのとても長かった一日のことが思い出されます。
ヴィシアは双子を妊娠していて、切迫早産の危険性があったため、妊娠35週くらいから入院して、毎日「張り止め(子宮の収縮を抑える薬)」の点滴を受けていました。
36週目にはなんと96cm(!)にまで大きくなったお腹を抱え、寝返りも一苦労。
一日寝てばかりの、気の滅入る生活です。
同じ病室には、切迫早産の妊婦さんがたくさんいて、皆腕や足を点滴の針の痕だらけにしながら、お腹の赤ちゃんのためにがんばっていました。

双子の場合、たいてい一人の場合より小さくなってしまうので、お腹の中で少しでも大きく育てたいのはやまやまなのですが、大きくなりすぎては母体に負担がかかってしまいます。
そこで、ある程度のところで見切りをつけて、陣痛促進剤で人工的に出産させる方法が取られることが多いようです。
ヴィシアの場合もその方法をとって、臨月に入ったらすぐ出産するということになりました。

平成8年6月10日、妊娠37週と3日目。
朝からヴィシアに、陣痛促進剤の点滴が始まりました。
この後の生々しい話はいろいろあるのですが、お嫌いな方もいらっしゃるでしょうから、細かいことは書かないことにします。
ただ、やはり薬で引き起こされる陣痛は、やっぱり自然のものとは「違うな」って感じがして、たぶん自然のものよりつらかったと思います。

もともと肉体的にも精神的にもタフではないヴィシア。
心の支えのぱぴりおも、産室の外で待機で、ひとりぼっちです(この病院は夫の立会いOKでしたが、ヴィシアの場合は双子ということもあって、トラブルが起こる危険性が高かったので、万一の時のことを考えて、ぱぴりおには立会いは許可されませんでした)。
不安で怖くてたまりませんでした。

でも、ヴィシアはがんばりました。
自分でも後でつくづく不思議に思ったのですが、この根性無しのワタクシのどこにそんなパワーが隠されていたのでしょうか。
体を引き裂かれるような痛みに耐え、歯を食いしばり、「も~人生最大のガンバリ見せたる!」とがんばって、ついに6時14分、第1子・しゅんしゅんが誕生したのです。

ところが、このあと大ピンチが。
陣痛がすうっと治まってしまったのです。
ドクターにも看護婦さんにも緊張が走ります。赤ちゃんの心拍数が下がってきているのです。
このままでは危険です。

幸い、数分後に再び陣痛は再開しましたが、少し弱くなってしまっていたのと、ヴィシアの体力が相当消耗してきていたので、なかなか生まれません。
赤ちゃんのピンチ!ヴィシアも焦ります。

その時、突然産婦人科のドクター(35歳くらいの男性)が、ヴィシアの上に後ろ向きに馬乗りになりました。
そして、思い切り両の拳をヴィシアのお腹に押し付けて、ちょうど歯磨きのチューブをしごくように、ぐいぐいぐい・・・!!と押し、赤ちゃんが出るのを後押ししてくれたのです。
ヴィシアもそれにタイミングを合わせて、歯を食いしばって、思い切り力をこめました。
そして、そして、ついに6時22分、しゅんしゅんより8分遅れで、第2子・けいけいが誕生したのです。
その時の時刻も写真に撮りましたが、うまくアップできるかな?


子供たちは二人とも体重が2400グラムくらいで少し小さかったので、念のため市立病院の新生児医療センターに救急車で搬送されていきました。
その後、出産した私立産婦人科に入院していたヴィシアは、毎日母乳を搾って、ぱぴりおに病院まで届けて、看護婦さんに飲ませてもらいました。

後でわかったことですが、実はヴィシアはどうやら出産直前に妊娠中毒症を発症してしまっていたらしく、通常なら陣痛促進剤の使用は危険なことだったのだそうです。
ドクターも看護婦さんも、データに気がつかなかったのかもしれません。
実際、ヴィシアのいわゆる「産後の肥立ち」は悪く、血圧が上がってしまったり、いろいろ具合が悪くて大変でした。
文字通り半分命がけで、しゅんけいを出産したわけです。

ぱぴりおは今でも時折、「入院させていたのに妊娠中毒症を見逃すなんて、あれは医療ミスだ。ヴィシアを殺す気だったのか!」と怒っています。
確かにそうだったのかもしれません。
あのハードな出産で、ヴィシアの寿命は何年か縮んだかも・・・。

半分命と引き換えに産んだしゅんけいも、もう9才。
毎日元気な、正しい小学3年生です。(笑)
もっとどんどん大きくたくましくなって、「あの時がんばってよかった・・・」とヴィシアを将来感動させてほしいものです。ゲームばかりやってるんじゃないよ、おい。