ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

田部井淳子さんの死を惜しむ

2016-10-22 21:18:25 | 草花

この20日に田部井淳子さんが満77歳で亡くなりました。

1975年に世界初、女性のエベレスト登頂
1992年に7大陸の最高峰を登頂
そのほかにたくさんの前人未到の足跡を遺し、男女を問わず、山を目指す人たちの憧れの存在であり続けました。

今その足跡をたどってみると:谷川岳一ノ倉沢中央稜、アンナプルナIII峰、エベレスト、モンブラン、キリマンジャロ、シシャパンマ、アコンカグア、マッキンリー山、ビンソンマシフ、チョ・オユー・・・・・など。
小生のような凡人にとっては、ただ名前を聞いて憧れているだけの、そんな山を登頂しているのです。

輝かしい業績を残し、数々の賞を受けているにもかかわらず、朴訥な人柄はいつも変わることがなかったと思いました。
TV番組にも良く出演していて、小生などは田部井さんが出るから・・・というだけで、良く視聴していました。
その中には、息子さんと歩いた穂高岳や、最後になった、高校生との今夏の富士山紀行も見ていました。

小生が一番印象に残っていたのは、7年前のNHKの企画で「夏の北アルプス あぁ絶景! 雲上のアドベンチャー」という、登山歴1年の内多勝康アナウンサーと共に、夏の北アルプスを3週間かけて縦走する模様を描いた紀行番組でしたね。

20年ほど前のことですが、小生の身内の者が、仕事の関係で田部井さんにお会いした時に、失礼ながら足の腿に触れさせていただいたことがあったそうですが、筋肉の付き方の凄さに驚かされたと言っていました。

近年は私財を投じての社会貢献活動も活発にやっていました。闘病中であることは知っていましたが、彼女のことですから、病魔に打ち克って、再び力強く歩みだすに違いないことと期待していました。
まだまだ多く、ご活躍されることを願っていた矢先での、突然の旅立ちでした。
まことに惜しい人を、こんなにも早くに亡くしたものだと思うにつけ、残念でなりません。

ここに謹んで田部井さんのご冥福をお祈りいたします。


ジャンボ落花生 ↓

茹でた落花生が我が家にやってきましたが、その大きさにびっくりしました。
写真で大きいと言っても比べるものが無いので実感しかねますね。
それでメジャーにも協力してもらい大きさを理解してもらおうとしました。
4粒で20センチは驚きではないでしょうか。 茹でたものを頂いた結果、お味も一級品でした。



孫の学芸会(1年生) ↓


五年生 ↓

孫の学芸会があり、孫たちに「もう行かなくても良いだろう?」と聞いたら、「来てくれなきゃ嫌!」と言われたので、爺婆は渋々出かけました。
カメラと双眼鏡をもっていきましたが、早く並んだ甲斐あって、一番前の席が取れてしまいましたので、双眼鏡の出番はありませんでした。
コメント (4)
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10/13日 恵那山を神坂峠から広河原経由で回遊 8分の6:一等三角点のある”山頂”を経て広河原登山口へ下って行く

2016-10-22 07:11:56 | 草花
ここのところ、週の始めは暑さを感じるほどの日もありましたが、気温も低めに落ち着いてきたようです。
平地の紅葉はこれから一か月ほど後のことになりそうですが、どういう眺めが待っていることでしょうか。
木曽御嶽・恵那山を歩いて、この地方の高いところでの紅葉は今年はハズレてしまったようだと感じましたが、せめて平地では良い紅葉を眺めたいものですね。

この記事では一等三角点のある恵那山の”山頂”に着いてから、今度は下山の開始となり、尾根道を広河原に向かって下って行き、下山終了地点の本谷川と出会うところまでをレポートします。

ケナシハクサンシャクナゲ ↓

前の8分の2のところで葉裏を見たシャクナゲでは、そこに短い毛が密生していて、ビロードのような手触りでしたが、こちらのシャクナゲでは毛がありません。




薄く紅葉 ↓

笹原の中に紅葉した木が少しだけ配置されています。



六乃宮 ↓

恵那山内に置かれた摂社は頂上尾根に出逢う少し手前の一乃宮から始まり、この六乃宮で、最後となります。



恵那神社本社 ↓

そしてここ、”山頂”の一角に恵那神社本社があります。この祠はそれまでの六つの摂社の持つ祠よりもよほど規模の大掛かりなものでした。



イザナギの神? ↓

これは伊弉諾の神様でしょう。手に持つのは天沼矛(あめのぬぼこ)という鉾であり、これにて下界を搔きまわして、国を作って行った道具でしょうね。



日清戦争時の奉納 ↓

丸い石には字が刻まれています。あまり上手な字ではなくて、字並びも不整形ではありますが、「奉納 日清戦 為  明治廿八・・・・」という字が刻まれていました。



”山頂”のやぐら ↓

小広い”山頂”に着くと、櫓に乗って景色を確認しますが、全く遠くに視野が届きません。
一体何のための櫓だったのか・・・・・


一等三角点 ↓

一等三角点の標石を撮ります。その左隣では、ガスバーナーの騒音やかましく湯沸かしをしていたのでそそくさと”山頂”を後にすることにしました。


下山を始める ↓

下山路は紅葉のゲート、笹の両脇、そして、さっそく針葉樹林が迎えてくれます。



尾根の道 ↓

針葉樹の間に疎らに紅葉した木が混じる道を進みます。



石畳? ↓

石を敷き詰めたような道も通っていきます。
未だ恵那山の広い頂稜部分であり、下り勾配は穏やかなところです。



笹尾根 ↓

この山では笹の斜面に必ずどこかで出くわします。



隙間から雄峰 ↓

たまには木々の隙間から南アルプスの峰が見えたりします。
これが今回見る最後の甲斐駒ヶ岳でした。



針葉樹林帯 ↓

針葉樹林と笹の道・・・・いかにもこの山らしい特徴を併せ持ったところです。



落葉松の斜面 ↓

薄い色の黄葉を向こう側に見ます。あの色は落葉松林の黄葉のようです。



木曽御嶽 ↓

今回最後の木曽御嶽ですが、頂上付近の噴煙がはっきりと確認できます。


ヘブンスそのはら方面 ↓

眼下に富士見台高原のヘブンスそのはら方面が見えています。
長野県阿智村は環境省が認定する平成18年度「全国星空継続観察(星が最も輝いている観える場所)」第一位に選ばれましたが、そのヘブンスそのはらでは、近年、星空観賞のメッカになっているようです。



同行者 ↓

下りの途中で小生が小休止しているところに若い男性が立ち止まり、しばし話が弾みました。
その流れで、その男性と同道し、話を交わしながら山を下って行くことになりました。

落葉松林 ↓

先ほどは対面する斜面の落葉松の黄葉を眺めましたが、今度は自分が落葉松の黄葉の下を通っていきます。


タマアジサイ ↓

だいぶ下って川が近づくとこういう植物も見られます。



ここでお別れ ↓

同道して興味深い話をたくさん聞かしてもらっていましたが、埼玉県日高市に住むというこの男性とはこの場所でお別れしました。小生は川岸の景色にもう少しだけ拘ってみます。 
コメント (6)
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